自分の想いを大切にする。
ものすごく大事。
なんたって、自分の想いを大切にするからこそ、自分の人生が拓けていくんやから。
自分の想いを理性で抑えている限りは、一向に前に進めない。
だって、本来の自分で生きていないから。
確かに、人は人との間で生きているから、いつも、自分のことを押し通すわけにはいかない。
だからといって、人の眼を意識して、人に合わせるように生き続けてはならない。
それは、自分を見失うことになり、人に合わせることでしか、生きてはいけなくなるから。
人に合わせて生きていれば、高い確率で、自分の力を発揮することはない。
しかも、自分の多くの力は、自分の中に眠ったままだろう。
なんせ、自分の中に眠っている力を使わなくとも、なんとか生きていけるから。
だから、人に合わせることを続けることで、自分の成長する機会を奪い、自分を堕落させているんよね。
実際は・・・
人に合わせて生きていくことで、ある程度のリスクを回避することはできる。
なんたって、皆と右に倣えだと、自分が目立つことはないから。
ゆえに、自分が負う責任もほとんどない。
一見、人に合わせれば、リスクを回避することができ、責任を負うことがほとんどなく、楽のように感じる。
おそらく、楽なのだろう。
だって、その環境はぬるま湯みたいだから。
けど、楽に感じるものほど、ぬるま湯に浸っているように感じるものほど、怖いものはない。
なぜなら、そういったものは、本人にも分からないほどゆっくりなスピードでその人を蝕んでいるから。
冷静になって考えてみれば分かることだけど、ぬるま湯に浸っていたところで、何もしなくて、いつまでもその温度が保たれるものではない。
もちろん、時の経過と共に、ぬるま湯の温度は下がっていく。
そのことをちゃんと自覚しているのだろうか。
自覚していなければ、温度が下がった時にアタフタしちゃって何もできなくなっちゃうんやで。
だから、たとえ、今ぬるま湯な状態に浸っていたとしても、その状態から出て何かをする時間を作った方がエェ。
そういったことが、万が一のことが起きた時に活きてくるんやから。
人に合わせて生き続けることは、案外、自分に何も残してはくれない。
精一杯人に合わせて生きていたところで、人からは、良い人としてしか見られない場合だってある。
人に合わせて生きることは、大切なことだが、それだけではいけない。
言うべき時には言い、責任を負うべき時には責任を負う。
場面によって、自分の想いを出すことはものすごく重要。
それが、自分の道を切り拓くことにつながっているんやから。
ただ、日本では、皆と同じように生きることを、皆に合わせて生きることを、小さい時から多くの時間をかけて学ぶ。
こうしたことが一つの要因となり、自分の感情や自分の欲望を理性で抑えることにも・・・
何かをするにしても、人の眼を気にし、人からどう想われるかを予想しながら、損得を計算してことに当たる。
そういうことが頻繁にある。
ゆえに、自分の中で、優先されていることが、自分の想いではなく、人からどのように映るかなんよね。
本来なら、どう映っても構わないことなのに、少しでも、変に移りたくないという想いから、見栄を張ったり、無理をしたりしてしまう。
皆と同じように生き、皆に合わせて生きているうちに、いつしか、その平均的な集合体で生きる癖が身に着いている。
よって、その中から出ることを、怖れている自分がいる。
皆と同じでありたい、と思い込んでいる自分がいる。
その中から出ることを、受け入れることができていない自分がいる。
自分の本当の想いとは裏腹に・・・
平均的な集合体の中で生きる道もあれば、平均的な集合体から出て生きる道もある。
それは、あなたが選べばエェ。
仮に、あなたが、平均的な集合体から出て生きる想いがあれば、堂々と出て行けばエェ。
だって、あなたの人生なんやから。
もちろん、その環境から出て行けば、目立ち、責任は自分が負うことになり、人からも揶揄されるだろう。
なんたって、そういう人は、稀有な存在だから。
だが、そんなことは気にする必要はない。
なんせ、あなたが選んだ道だから。
あなたの人生は一度きり。
だからこそ、皆と同じように生きる必要がなければ、皆に合わせて生きる必要もない。
あなたは、あなたらしく生きていけばエェ。
小さい時から、皆と同じように生き、皆に合わせて生きたからといって、それを貫く必要はない。
なぜなら、生き方なんて、人の数だけあるんやから。
自分の想いを大切にして、自分の人生を大事に生きる。
それが、すごく重要なことなんやで。
人は人。
あなたはあなた。
あなたの好きなように生きたらエェ。
あなたの想いを大切にしながら生きたらエェ。
たとえ、何があっても・・・
サコヤンの独り言
「自分の想いを大切にして生きなよ」