【床本】大和屋の段 (心中天網島) | さきじゅびより【文楽の太夫(声優)が文楽や歌舞伎、上方の事を解説します】by 豊竹咲寿太夫
◾️心中天網島
大和屋の段



令和元年九月文楽東京公演チラシより引用









恋なさけ、こゝを瀬にせん蜆川 流るゝ水も、行通ふ人も音せぬ丑みつの、空十五夜の月冴えて、光は暗き門行燈、大和屋伝兵衛を一字がき、眠りがちなる拍子木に番太が足取千鳥足。

「御用心々々々」
と声更けたり。


「駕籠の衆いかう更けたの」
と、
上の町から下女子、迎ひの駕籠も大和屋の潜りぐわら/\つっと入り

「紀の国屋小春さん借りやんしょ、迎ひ」

とばかりほの聞え、あとは三つ四つ挨拶の、ほどなく潜りにょっと出で

「小春様はお泊りじゃ。駕籠の衆すぐに休ましやれ。アヽいひ残したこれ花車さん、小春様に気を付けて下さんせ。太兵衛様への身請が済んで、金請取ったりゃ預り物。洒過させて下さんすな」

と、門のロからあす待たぬ、治兵衛小春が土になる種蒔き散して帰りける。




茶屋の茶釜も夜一時休むは八つと七つとの間にちらつく短檠(たんけい)の、光も細く更くる夜の、川風寒く霜満てり

「まだ夜が深い送らせましよ。治兵衛様のお帰りじゃ小春様起しませ。それ呼びませ」

は亭主が声治兵衛潜りをぐわさとあけ、

「コレ/\伝兵衛。小春に沙汰なし耳へ入れば、夜明けまでくゝられる。それゆゑよう寝させて抜けていぬる。日が出てから起して往なしゃ。われら今から帰るとすぐに、買物のため京へ上る。大分の用なれば、中払ひの間に分かるように帰るは不定、最前の金で、そなたの算用合も仕舞ひ、河庄が所へもあとの月見の払ひというて、四つ百五十匁請取つてたもらうしと、福島の西悦坊が仏壇買うた奉加、銀の一枚回向しゃれと遣ってたも。
そのほかにかかり合ひは、ハアそれよ/\、磯市が花銀五つ、こればかりじゃ仕舞うて寝やれ。
さらばさらば戻って逢はう」

と、二足三足行くよりはやく立帰り

「脇差忘れたちゃっと/\。なんと伝兵衛。町人はこゝが心易い。侍なればそのまゝ切腹するであろの」

「われら預って置いてとんと失念。小刀も揃うた」

と、渡せばしっかと差し

「これさへあれば千人力。もう休みゃれ」
と立帰る。

「追付けお下りなされませ。よう御座りま」
もそこ/\に、あとはくろゝをこっとりと、物音もなく鎮まれり。

治兵衛はつっと往ぬる顔、また引返す忍び足、大和屋の戸に縋り、うちを覗いて見るうちに、間近き人影びっくりして、向ひの家の物蔭に過ぐる間暫し身を忍ぶ。



弟ゆえに気を砕く粉屋孫右衛門は先に立ち、あとに丁稚の三五郎が、背中に甥の勘太郎連れ、行燈目当に駈来たり、大和屋の戸をうち叩き

「ちと物問ひませう。紙屋治兵衛はゐませぬか。ちよつと逢はせて下され」

と呼ばゝれば「さては兄貴」と治兵衛は身動きもせずなほ忍ぶ。

うちから男の寝ほれ声

「治兵衛様はまちっと先に、京へ上るとてお帰りなされた。こゝにではござらぬ」

と、重ねてなんの音なひも、涙はら/\孫右衛門

「帰らば道で逢ひそなもの、京へとは合点がゆかぬ。マア気遣ひで身がふるふ。小春を連れては行かぬか」

と、胸にぎっくり横たはる、心苦しさ堪へかね、また戸を叩けば

「夜更けて誰じゃ、もう寝ました」

「御無心ながら、ま一度お尋ねもうしたい。紀の国屋の小春殿はお帰りなされたか。もし治兵衛と連立って行きはなされぬか。

ヤ、ヤ、なんぢや
小春殿は二階に寝てぢや・・・。
ア、まづ心が落付いた。心中の念はない。
どこにかゞんでこの苦をかける。一門一家親兄弟が、固唾を呑んで臓腑をもむとはよも知るまい、男の怨みにわが身を忘れ無分別も出ようかと、意見の種に勘太郎を連れて尋ぬるかひもなく、今まで逢はぬはなにごと」

と、おろ/\涙の独りごと。

隠るゝ間の隔てねば、聞えて治兵衛も息をつめ、涙のみ込むばかりなり。

「ヤイ三五郎、阿呆めが夜々うせるところほかには知らぬか」
と、言へば阿呆はわが名と心得て、
「アイ、知ってはゐれど、こゝでは恥かしうて言はれぬ」
「知ってゐるとはサアどこぢや、言うて聞かせ」
「聞いたあとで叱らしゃんな。毎晩ちょこ/\行くところは、市の側の納屋の下」
「大だはけめ、それを誰が吟味する。サア来い、裏町を尋ねて見ん。
勘太郎に風邪引かすな。
アヽごくにも立たぬ父めを持つて可愛や冷い目をするな。この冷たさで仕舞へばよいがひよつと憂い目は見せまいか。憎や/\」

の底心は、不便々々のうら町を「いざ尋ねん」と行き過ぐる。


影隔れば駈出でて、あとなつかしげに伸上り、心にものを言はせては、
「十悪人のこの治兵衛死に次第とも捨置かれず、あとからあとまで御厄介、勿体なや」

と手を合せ、伏拝み/\

「なほこの上のお慈悲には、子供がことを」
とばかりにて暫し涙に咽びしが


「とても覚悟を極めし上、小春や待たん」
と大和屋の、潜りの隙間差覗けば、うちにちらつく人影は
「小春ぢやないか」
「待って」
と知らせの合図のしはぶき、
「エヘン、/\」
かっち/\
「えへん」
に拍子木打交ぜて、上の町から番太郎がくる/\たぐる風の夜は、せき/\廻る
「火の用心。御用心、/\/\」
も人忍ぶ、我れにはつらき葛城の、神がくれしてやり過し、隙を窺ひ立寄れば、潜りのうちからそつと明く。
「小春か、待ってか」
「治兵衛様はやう出たい」
と気をせけば、せくほど廻る車戸の『明くるを人や聞付けん』と、しゃくって明くればしゃくって響き、耳に轟く胸のうち、治兵衛が外から手を添へても心ふるひに手先もふるひ、三分四分五分一寸の、先の地獄の苦しみより、
鬼の見ぬ間とやう/\に明けて嬉しき年の朝、
小春はうちを抜け出でて互いに手に手を取交し

「北へいかうか」
「南へか」

西か、東か行く末も心の早瀬蜆川流るゝ月に

逆らひて足を、ばかりに



〽︎走り書き



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