【床本】堀江相撲場の段 | さきじゅびより【文楽の太夫(声優)が文楽や歌舞伎、上方の事を解説します】by 豊竹咲寿太夫




■双蝶々曲輪日記
堀江相撲場の段







木戸口よりも濡髪長五郎ぬれがみちょうごろう、評判一のすみ前髪、大郡内の太りじし鮫鞘さめざやさすが関取とひと際目立つ男振り

「コレ茶店の、ちょっと頼もう。アレアレアレ向こうへ行く船に追付いて、おれが名は言わずに『長吉殿に、急にちょっとお目にかかりたいと、誰やら待ってござる』と言うて返事聞かして下され。近頃、大儀」

に「ハイハイ」とそのまま走りゆく跡に

早や暮近き浜側の茶店目当てに放駒はなれごま

「確かここら」

と見回せば
濡髪見るより

「イヤこれはご苦労、サアサアこれへこれへ」

と招かれて放駒

「オオちょっと逢いたいとのお使は濡髪殿、こなはんでえすか」

「オオ成程この長五郎でえす、ちと其の許へお頼み申したい事もあり、また他にお話いたさねばならぬ事、ササ、これへこれへ」

「アイ、そんなら関取許さんせ」

と互に、おれそれ床几しょうぎに並び、腰打ち掛ける前髪同士四角な十の二枚物、すは事こそと見へにけり

「イヤ長吉殿、お名はかねがね聞き及べど、しみじみ逢うは今日の相撲、さてきつい身塩梅あんばい小手のきき様」

「へヽ何とごんすかい」

「イヤモ、けうとい達者ぢゃのう」

「オヽイヤ、コレ関取、何やら話したい事があると人おこさんしたは其の事でえすか」

「オヽイヤイヤ、頼む事は他の事でもない。今日の桟敷のお客ナ、お侍さうな」

「アイざぶでえす、マそれがまた何とぞしたかナ」

「イヤ何とせねども、そのお客がこの間、藤屋の吾妻あづまを身請の相談、その吾妻殿には先からの馴染み即ち我らが親方筋、モ若い人なり、ことには部屋住み故、身請の金事もわが物でわがままならず、この金の才覚する間も四五日、その中に貴殿の方のかのお客に請けだされてはとサアそこが今の若い物同士、何ぞ言い交わした詞が立たぬとやらいう様なハヽヽヽ、サ、無茶苦茶した事があるそうなぢゃ。そこでわしは家来筋の事なり、『コリャ長五郎、太夫を彼方へやってはおれが立たぬ、われどうぞ先の客に逢うて断り言うてこの方へ請け出さして下され』と、モ、ほんの子供の様な若い人。私ぢゃというて近付きではなし、エ、コリャマア、何としょうと思う折から貴様と今日の立合、ヤこれは幸い大坂同士、そのお客のお気に立たぬように。そこらを、ナ、コレどうぞ」

「イヤ、コレ長五郎殿、詞半ばぢゃが、こなはんの言わんす親方筋とは山崎の与五郎殿でえすか」

「いかにも、よう知ってぢゃなア」

「ハイ、知っていやんす、知っていやんす。その事について吾妻殿の身請の相談、私もまた成程、侍衆に頼まれ、『金の工面するうち与五郎に請けだされては立たぬ程に長吉頼む、どうぞマア金の才覚する迄、脇へやるな。ことに向こうには濡髮が肩持つ程に汝を頼む』と押しての頼み。私もまた与五郎殿とやらと吾妻殿ばかりなりや侍衆に断り言うて、『イヤ、そんな世話は嫌でござる』とサア言うまいものでもないてや。なまなか濡髪が肩持つと聞いたによって、どうやらこの長吉が濡髪怖さにへり口言うと思われるも面倒なり、また友達仲間もそんなものナ。さうぢゃごんせんかいのう」

「ムヽ天晴れ男ぢゃが、そこぢゃて」

「どこでえす」

「イヤ其所が男同士、平押しに頼みたい事あればこそナ、今日の相撲放駒と名乗りを上げた、見りゃあ長吉殿、こなはんぢゃ、ヤこれは幸い好い処と否応なしに立ち合うたは」

「アヽこうこうおかしゃれおかしゃれ、エヽ言はんすないの。そんなら何かこの長吉にこの事を頼みたいと思うてそれで今日の相撲をえヽ様にとったと言はんすのか」

「イヤそうではない」

「アヽイヤイヤそう言うのぢゃ、振ったのぢゃ振ったのちゃ、エヽ振りさらしたのぢゃ。マ、貴様は評判の取り手、どうで子供なぶる様にするであろ、おのれ左差いたら食いついてなと遣ってくれうと思いのほか、ヤッといふとずるずると持って出た、その内に団扇は上がる、合点がらいかぬと思うたが、そんならやっぱり振ったのぢゃな」

「そうぢゃない」

「振ったんぢゃな」

「そうぢゃない」

「振ったんぢゃな振ったんぢゃな、エヽ、振りさらしたのぢゃな」

「そうぢゃないはい」

「コレイノウ、投げるなら投げて殺しておいて、『さて長吉こうこう』と改めて頼む事なら、ム面白い、引きはせぬ。そんな、人に物遣って跡から無心言う様な、むさいきたない長吉ぢゃごんせぬわいの。めいめいの心の中に引きくらべ、へヽそりゃもう慮外ながらお関取には似合いませぬわい」

「アイヤ長吉殿、さう言わんすりゃ、いかうこヽで喧しなるぞよ」

「エヽ、喧しなったら何とするぞえ」

「さればサ、与五郎殿とその侍衆とが、めっきしゃっきとなって貴様と私とが立て訳まだ半分道も行かぬ内こヽで互に言ひ合うてぶったり踏んだりするは、喧嘩の地取りする様なもの。そちらの身請も今日明日に埒明くでもなささうな。いま四五日の事、こなたもまた、二三日には埒するはず」

「いやぢゃはい」

「どうぞナ」

「いやぢゃはい」

「貴様を頼む、そちらの金の隙のいる様に」

「エヽ、どびつこい、いやぢゃと言うたらいやぢゃはい。そんな工面仕かも邪曲者もがりものの言う様な事おりゃいやぢゃ。叶わぬまでもその時になったら、へヽ腕づく腕づく。この長吉は邪曲もがり商売でえすわい」

「イヤ長吉殿。イヤサ、長吉、余りおとがいがあがき過ぎるぞよ」

「あがき過ぎたら何とした」

「サイヤイ、与五郎の事については、この長五郎が命でも差し上げねばならぬ筋があるによって、男が手を下げ言うのぢゃないか」

「それをおれが知った事かい」

「サ、知らぬによって言うて聞かすのぢゃ」

「勝手にさらせ」

「ムヽもうえい、もう頼まん。聞き分けのない者に物言ふは放駒の耳に風、随分と侍の腰押せ」

「オヽそりゃ知れた事ぢゃ、これから内の商も構わず、姉者人が勘当せられうとままよ。随分貴様の邪魔せうかい」

「面白い、侍が抜いて切り掛けうが、何奴が抜いて掛からうが、額に濡髪、鎖鉢巻より、サ確かな請人うけて、ハヽちと切りにくかろぞよ」

「ムヽまだくら味知らぬ放駒、人中で馬乗に逢うた事はない。珍しう踏まれてみよかい」

「見事見るか」

「ヲヽ見よかい」

「見せう」

と互に悪口、睨み合ひ、思はず立ったる
茶碗と
茶碗

手に持ちながら

「コリャ長吉、この茶碗の様に物事がナアまるう行けば重畳、長五郎、長吉とサこの様に割れたれば」

「ハテ継がれぬ、角びし」

「ハヽヽヽ」

「ハヽヽヽ」

と別れてこそは








三味線



文楽へようこそ (実用単行本)