(続きです)
「生きづらさ」は治しきらなきゃいけないの?
その疑問が、私の中に湧き上がったのは、
本当に最近のことでした。
確かに、生きづらいことは、しんどい。
もっと、「健常(あえてこの言葉を使います)」な人みたいになれたら…。
でも、そう思っているときって、
「今の自分」を、「否定」しているってことなんですよね。
今の、ふつうより少し歪んでしまった自分は、
過去につらい経験があり、
それでも生き延びるために、死なないために、
なんとか踏ん張ってくれた証。
そんな自分を否定してしまったら、
きっと、「がんばってきた私」は悲しむ…そう思ったんです。
それに、もし、私のこの異常なまでの過敏さを失くしたら、
もしかしたら、人の痛みを我がことのように思える優しさも失くし、
不安だからこそ、がんばるという向上心も失くし、
夕焼けを見て、毎日泣けるほど感動する感受性も失くしてしまうかもしれない。
だったら……
「このまま、生きていく」
という選択肢もありなのじゃないかなと思ったんです。
もちろん、苦しい症状については、
引き続き、病院や、家族や、自分自身の力を借りて、
少しでも、苦しみが和らぐ方法を模索したいと思います。
でも、ちょっとの歪みは、私が私である証。
人に合わせなきゃと、焦るのはやめました。
もし、これを読んでいるあなたが、
「人と同じでなければならない」と苦しんでいるのなら…
そのままのあなたの魅力を探してほしいと思います。
「私なんて、いいところはひとつもない!」
そう思われるかもしれません。
だけど、自分で「ダメ」だと思っているものも、
裏を返せば、あなたにしかない優しさだったりするんです。
「生きづらさ」から逃れる、最初の一歩。
それは、「生きづらさ」を、
「個性」だと受け止めること。
そこから、その中の、
「本当に取り除きたい物」を探していければと思います。
周りの無責任な
「治さなきゃ、しあわせになれない」
に負けないで。
「生きづらい」まま、
あなただけの「生きやすさ」を探していけたらいいなと思います。

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