酒と権力ー22

 

造石税と熟成古酒

明治時代以降、全国の酒造メーカーは、造石税による過酷な酒税に苦しめられてきたことは、先に書いたとおりです。

造石税は、酒を搾ると同時に税金が課せられるもので、税を徴収する国の方から見れば、酒を搾ると同時に自動的に税額が決まり、その年度内に全額が徴収できるのですから、安定的に確実に収入が得られことから、国側とすれば理想的な政策です。

一方、これを酒造家の立場からすると、蔵に貯蔵中の酒はすでに酒税を収めてありますから、少しでも早く出荷して金を回収しないと、財務的には非常に厳しくなります。

まして、貯蔵中の酒が流失したり、漏れたり、腐ったり(昔は木の桶ですから、このようなトラブルはよく起こりました)しても、すでに収めた酒税は戻ってきません。

この当時酒蔵が倒産する最大の原因は、この貯蔵中の酒が腐ることによる財務の破綻です。

 

厳しい酒造検査制度

国は酒造家のごまかしを見逃さず、確実に酒税を徴収するために「酒造検査制度」というものを定めました。

これは、米の買い付けからはじまって酒を搾るまでたとえば精米をしたら、そのつど使用した玄米の重さ、できた白米の重さ、出た糠の重さを正確に量るなど、物を動かすすべての工程において、量的な変化を克明に計測し、記録を義務付けるもので、最後は搾ってできた酒の量の確認と、酒粕の重さを量ってやっと一連の検査は完了することになります。

 

検査は酒税専門の検査官によって行われますが、一貫したそれぞれの工程で、理論的な数量が決められいるため、その途中で間違いやごまかしがあれば、数字の上で矛盾が現れ、ベテランの検査官たちはたちまち見抜くという仕組みです。

特に酒を搾る時には、一滴のごまかしも見逃すまいと検査官が立会い、最終的な数量を確認するのですが、その数字によって酒税額が決まるため、蔵元は少しでも少なく見せようと、さまざまな工作試みますが、性悪説にたつ検査官はたちまち見破り、少しでも不審なことがあると、蔵の中はもちろん、隣接する母屋の押入れの中まで徹底的に調べたという、まことに厳しいものでした。

 

姿を消した熟成古酒

江戸時代には日本酒を「3年」「9年」など、何年間も熟成させて美味くなった酒が珍重されていましたが、明治時代の税制によって、このさけは完全に姿を消してしまいました。

「造石税」の導入が、

日本酒を長く熟成させるという余裕(発想)を、

全くなくしてしまったのが最大の原因で

その後、熟成を目的に日本酒を年を越して貯蔵するという発想は、

昭和も終わりごろになるまでなくなってしまったのです