貴重なインゲンマメは、アンリニ世の妃となるためにやってきたカトリーヌ・ド・メディシスの荷物のなかにおさめられ、フランスの宮廷に入りこんだのである。
しかし、インゲンマメがフランス北部でもよく食べられるようになるには、なお一世紀の歳月が必要だった。
ルイ14世時代に書かれた多数の料理法が、インゲンマメをまったく相手にしなかったためである。
1750年にジェフリーという者がはじめてインゲンマメについて書くが、その内容は、「消化しにくく、胃にもたれ、腸内にガスを発生させるので」デリケートな人や家にひきこもりがちな学究の徒には勧められないという、とても好意的とは言えないものだった。
しかし、インゲンマメがフランス北部でもよく食べられるようになるには、なお一世紀の歳月が必要だった。
ルイ14世時代に書かれた多数の料理法が、インゲンマメをまったく相手にしなかったためである。
1750年にジェフリーという者がはじめてインゲンマメについて書くが、その内容は、「消化しにくく、胃にもたれ、腸内にガスを発生させるので」デリケートな人や家にひきこもりがちな学究の徒には勧められないという、とても好意的とは言えないものだった。