最高齢社員の塩谷さん、おつかれさまでした。 | さかもっちゃんのブログ

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大阪・九条の「坂元鋼材株式会社」3代目社長の坂元正三が、仕事の周辺で起こったこと、考えたことを書き綴ります。


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 最高齢社員の塩谷さん(71)が昨年末に退職されました。勤続25年でした。今日は給料日で、最後のお給料をもらいに出社されました。退職されてもお元気そうで、なによりです。

 毎月の給料袋には「社長メッセージ」として毎月のトピックスや時々の話題、ときには経営ビジョンなどを書いた文章を入れています(今号が54号ですから、もう4年以上続きました)。
 
 今月の話題は何と言っても塩谷さんのこと。71年間の人生の厚みを原稿用紙4枚程度では書き尽くせませんが、一つの区切りとしてまとめました。塩谷さん、本当におつかれさまでした。これからも、どうぞお元気で!


社員の皆さんへ
 
 塩谷さんが昨年末を以って退職されました。勤続25年。本当におつかれさまでした。昨年、有望な若手2人が現場に採用されたことから、塩谷さんもようやく卒業していただくことが出来ました。高齢になられてからも夏の暑い日や冬の寒い日も休まずに出社され、現場を支えてくれました。

 塩谷さんは昭和17年(1942年)、兵庫県のお生まれ。2歳の時にお父様が兵隊に取られました。すでに敗色濃厚な昭和19年(1944年)。しかも40歳を過ぎての徴兵でした。その半年後にバシー海峡にて戦死。階級が「兵長」に昇格・・・。だから塩谷さんはお父様の顔を覚えていません。あらためて無謀な戦争がもたらした惨禍に思いをいたします。そして小学校4年の時にお母様が亡くなられ、塩谷さんは親戚に引き取られます。中学を卒業すると同時に大阪へ働きに出て来られました。

 昭和33年(1958年)。姫路から大阪まで蒸気機関車で3時間掛かりました。着いたのが大阪・九条の街。ボルト商の「大晃機工」さんに入社。住み込みの「丁稚奉公」でした。塩谷さんは盆暮れに故郷に帰ることを楽しみに早朝から遅くまで働かれました。

 その頃の九条は戦後復興から高度経済成長に至る、非常に活気に満ちていた時期。その昭和30年代から塩谷さんは取引先として坂元鋼材に出入りされていました。当時まだ我が社はガス溶断を始める前で太丸鋼が商いの中心でした。先代社長(私の父)とも、私の生まれるずっと以前から親しかったそうで「社長によう飲みにつれて行ってもらった」。そう懐かしそうに話されます。

 時代が下って大晃機工さんは残念ながら廃業されます(昭和63年=1988年)。その時、塩谷さんは九条の他社(D社さん)に再就職が決まっていましたが、先代社長が「是非うちに」とD社さんに話をつけて塩谷さんを迎えました。先代は長い付き合いのなかで塩谷さんの働きぶりを気に入っていました。
 
 塩谷さんがしばしば話されるのが入社当初のこと。クレーンを触ったことのない塩谷さんに先代が付きっ切りで教えました。我が社の業務でクレーン運転は欠かせません。「誰もおらん時間に教える」と早朝特訓でした。塩谷さんはいまでもそのことに感謝してくれています。「だから私は誰よりも早く出社するようになりました」。
 
 塩谷さんは毎朝一番に出社され、まず工場の扉を開け、酸素・プロパンの開栓と、ほかの皆がすぐに仕事ができるようお膳立てです。外回りも一手に。ノロ取り、伝票整理、出荷も含めて塩谷さんの業務は多岐にわたりました。
 
 確かにメインの切断業務そのものはされませんでしたが、工場全体がスムーズに動くよう、切断担当の社員が切断に専念できるよう、隅々まで気を配られました。まるで身体が自由に動くために内臓が静かに働いてくれているように。会社には「誰の仕事」と決まっているわけでもない、目立たぬが欠かせない仕事がたくさんあります。それを塩谷さんは熱心に片づけてくれました。そのおかげで会社が成り立っています。

 塩谷さんは結局、15歳で大阪に出てこられてから、最初の31年間が大晃機工さん、後半の25年間が坂元鋼材と、都合56年間ずっと鉄の街・九条で働かれました。我が社でいえば65歳の定年を過ぎてなお6年間も頑張ってくれました。
 
 その献身的な働きぶりは「丁稚奉公」時代に仕込まれたもの。本当に筋金入りの仕事師でした。思えば戦後日本の復興と経済成長とは、身を粉にして働かれた塩谷さんのような勤勉な方々のおかげでなしえたものと言えます。
 
 お酒が大好きなのも塩谷さん。飲み会の席では、よく顔を赤らめ「坂元鋼材で働けて良かった。先代、先々代、お婆様、奥様に感謝しています」と、涙ながらに話されました。経営者冥利に尽きる瞬間です。長年に渡って働いてくださる社員からこのように思ってもらえることは、このうえなくうれしいことです。塩谷さんを我が社にお招きした父も、きっと喜んでいるに違いありません。

 いま残ってくれている社員さんも、いずれは会社を離れる日が来ます。その時に、このように幸福な形で別れることが出来るよう、そのことを一つの目標に日々の経営を進めていきます。

 塩谷さん、長い間、本当におつかれさまでした。これからも、ちょこちょこ遊びに来てください!
 
                                  2014年1月24日
                      坂元鋼材株式会社 代表取締役 坂元正三

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