占いとスピリチュアルはそもそも「水と油」です。 | 占星術小説家@酒井日香の占い死ね死ねブログ

 今日は

 

「占いとスピりチュアルはそもそも

水と油くらい相性が悪い」

 

ということと

 

「けれども一周回ると両者は同じ

ことを目指していた」

 

というお話です☆ ( ´艸`)

↑ せめぎ合う二つの岩を侵食する波。。。

   象徴的なので選んでみました☆

 

 

 

 

 

さて、実は占いとスピリチュアルは大変に

水と油で仲が悪いです☆ ( ´艸`)

 

 

 

最近は癒しフェアとか、すぴまとか、トリニティとか

アネモネとかの

 

 

 

「スピ&占い雑誌」

「スピ&占いのキュレーションメディア」

 

 

のくくりでごった煮にされてますのでそういう

印象を持たない方もいるでしょうが。。。( ´艸`)

 

 

 

 

さて、スピが目指すのは

「ワンネス」

であります。

 

 

 

 

 

私は全体であり、全体は私であり、宇宙は私であり、

私は宇宙である、と。≧(´▽`)≦

 

 

 

 

 

そして他人も自分であり、自分も他人であり、

私は路傍の石であり、木の幹であり、葉っぱであり、

存在の価値に大差などないのだから、石や水とも

交信できちゃうのよ、みたいなところを目指していくわけだ。≧(´▽`)≦

 

 

 

 

 

んで、実際精神世界はスピ業界の言うとおりであるし、

スピリチュアルというのは元は宗教であり、宗教とは

文明であって、そこには

 

 

 

 

 

「死を超越して揺るがない安心を得る」

 

 

 

 

という大目標があります。

 

 

 

 

 

スピリチュアリズムのほうが私は、占い学理よりも

ものさしが大きいと感じていて、占いはスピには

絶対に勝てません。

 

 

 

 

 

 

対する占い学理が目指している

モノと言えばそれは

「現世利益」

なんですよねぇ。。。≧(´▽`)≦

 

 

 

 

この世の成功や富や、愛が欲しい。

 

 

 

 

 

そこから考え出された魔術が各種占いです。

 

 

 

 

 

スピは我欲、「個」から離れてワンネスに

なっていこうとする営み。

 

 

 

 

占いは私の幸福を追求する「個」

立脚した営み。

 

 

 

 

 

ぶつかるのは当たり前です。≧(´▽`)≦

 

 

 

 

 

だから仏教ではお釈迦様がスッタニパータの

中で占いを禁止したのだし、キリスト教でも

イスラーム教でも占いは忌むべき存在です。

 

 

 

 

サウジアラビアではいまだに、占い師を街中で

開業したりすると宗教警察に目をつけられ、

下手をすると斬首刑になります。

 

 

 

 

キリスト教でつながっているEU諸国でも、EU

共同体の法律で、占い営業の看板を公共の場所に

設置したり大々的に宣伝したりすることは禁じられています。

 

 

 

 

 

中国では共産党が強いので、共産党支配の

強いところではやっぱり占い営業は取締対象です。

 

 

 

 

 

香港とマカオだけは

 

 

「経済特区」

 

 

 

であり、そこはつい最近まで英国だったのと

共産党の縛りがあまりないため、占い営業は

花盛りですが、あとの地区では道教寺院の

門前町などでひっそりと営業する感じ。( ´艸`)

 

 

 

 

 

逆に台湾は占い超大国であります。台湾で

占いに目覚めてしまう人は多いです。( ´艸`)

 

 

 

 

インド人も占い大好きだし。。。インドでは占星学が、

貴重な外貨獲得手段にさえなっていますからね。。。

 

 

 

 

 

そんな感じで全体性を目指していくスピリチュアルは、

個人を追求する占いとは真反対なのです。

 

 

 

 

しかし占いが目指す

 

 

 

 

「現世での成功・富・幸福」

 

 

 

 

ということを考えたとき、ただ自分の欲望の

ままに突っ走ってその通りになるものなのでしょうか。

 

 

 

 

占いのお客さんは占いのことを

 

 

 

 

「星の言うとおりに行動すれば幸福に

なれる魔法のツール」

 

 

 

 

だと勘違いしていますが、成功を得るとか、

富を得るとか、本当の愛にたどり着くとかが、

そんなホロスコープではい、○○日にどこどこへ

行けば出会えますよ、みたいな、そんな簡単な

ものでしょうか。

 

 

 

 

そう思い込んでいるのが実は、占い館にやってくる

人々であり、占いとはまさにこいつらの単なる

 

 

「ゴキブリホイホイ」

 

 

 

 

に過ぎません。こいつら最低のゴキブリどもに

 

 

 

 

「成功が欲しいなら努力をしなさい」

 

 

 

 

と諭して、

 

 

 

 

 

「スピリチュアルに誘導する」

 

 

 

 

 

のが占い師の腕の見せ所なのであって、

占いの看板はただのゴキブリホイホイなのです。

 

 

 

 

そのゴキブリホイホイで一緒になって占星学を

盲信し

 

 

 

 

「○月に木星が来るから

この時に告白しましょう」

 

 

 

 

なんていう、個にしがみついた読み方をしていたら

占い師も先住ゴキブリの一匹なだけで、それでは

ゴキブリのようなお客と同レベルです。

 

 

 

 

本当の開運とはそういうことではない。

 

 

 

 

木星が来ようが、土星が来ようが、毎日の積み重ね

を現実にできる人が真に成功できる人なのであって、

占いの星は彼の熱意をただ試しているだけなのです。

 

 

 

 

 

木星が来た時だけ行動する。

時期の悪い時にはやらない

 

 

 

 

 

↑ そんなんでどうやって、あなたに信念が

あると判断したらいいのだ、と、星の神々は

本当は苦笑しているのです。

 

 

 

 

大切なのは木星が来ようが土星が来ようが、

冥王星が来ようが

 

 

 

 

「信念を貫く」

 

 

 

 

ことなのです。だから、この時期が来たら○○

すればいいですよ、とか、今は○○の時期だから

○○するのはよくない、という形のリーディングを

施す占い師はダメダメな、ゴキブリ型の占い師です。

 

 

 

 

鑑真という和尚さん、みなさん日本史で学んだと

思いますが、この鑑真さんは日本に勧請され、

日本に仏法を広めるべくなんと5度に渡って

渡海する計画を立てますが、明の役人と朝廷との

摩擦や難破などでことごとく失敗。

 

 

 

 

そして度重なる心労のため両目を失明します。

 

 

 

 

 

ウィキによると743年頃から渡海計画を始め、

念願かなって日本に来れたのは11年後のこと。

 

 

 

 

鑑真が何度も難破し、弟子の死を乗り越え、

政治的困難をものともせずに成しえたのは

 

 

 

 

「仏法を広める途上での死であるならば

それは自分としては本望だ」

 

 

 

 

という、強い強い信念があったからこそ、天が

それを叶えてくれたわけです。

 

 

 

もしも鑑真が

 

 

 

 

「うわ~、、、○年は天中殺か・・・。

海賊に襲われて死んだりするかもしれない。じゃあやめとくか死にたくないし」

 

 

 

 

なんて考えていたら、今日まで尊敬される高僧として

歴史に名を刻んではいないでしょう。

 

 

 

 

 

鑑真は、

 

 

 

 

「途中で死んでもいい」

「信念を貫く」

 

 

 

 

という生き方をしたから、天がそれにこたえてくれた。

 

 

 

 

占いとは、あなたに

 

 

 

 

「死を賭けてもいいのか、どうなのか」

 

 

 

 

という究極の覚悟を突き付ける道具なのです。( ´艸`)

 

 

 

 

 

 

どんな苦労も損もいとわない。死ぬためにこそ

猛烈に働きたい。死んでもいいからそれをやりたい。

 

 

 

 

 

↑ この境地こそが真に成功をもたらす考え方

なのであって、結局は毎日毎日、目標に向かって

たゆまなく行動し続けるためには、相当な突き抜けた

覚悟、自らの死ですら楽しめる心でないと、とてもとても、

あなたの心願を叶えるなんてことはできないのですよ。≧(´▽`)≦

 

 

 

 

 

そうして

 

 

 

 

 

「死を賭してでもこれがやりたい!!」

 

 

 

 

という心を持った人のことを、算命学でも易経でも

紫微斗占星術でも宿曜でも、中国人は

 

 

 

 

 

「皇帝」

 

 

 

 

と呼んで尊崇してきたのです。

 

 

 

 

 

三国志の英雄たちがいまだに我々のココロを打つのは、

中国人はそうした

 

 

 

 

「真の皇帝」

 

 

 

 

 

こそを尊ぶ伝統があり、易も算命も子平も、

そういう覚悟を決めるためのトレーニング

マシーンなのです。

 

 

 

 

 

だから中国占術では、皇帝の座は命盤の

中心であり、それは

 

 

 

 

「真の覚悟を持った皇帝には、

四神五大元素八卦が従う」

 

 

 

 

ということをシンボライズしているからです。

 

 

 

 

 

九星気学でも五黄がもっとも強く、五黄が

皇帝だと言われているのは、それは中国人が

 

 

 

 

「真に悟った人 = 皇帝」

 

 

 

 

であり、こうなればもはや死の恐怖から抜け出せない

凡人、凡民は彼に付き従うしかない。

 

 

 

 

だからこそ

 

 

 

 

「五黄の人間は嫌われるイメージ」

 

 

 

 

に描かれているだけです。( ´艸`)

 

 

 

 

 

本当は違う。みんな成功が欲しいなら五黄の

ような人間にならなきゃダメなんです。

 

 

 

 

 

そうして死を賭したとき、やっと占いは一周回って

スピりチュアリズムになっていく。( ´艸`)

 

 

 

 

日本の真言宗は占いを否定していません。

 

 

 

 

 

開祖・空海(弘法大師)本人が占星学を大陸から

持ち帰ったくらいなので、真言宗のお坊さんは

占星学のたしなみがありますが・・・・。

 

 

 

 

 

どうしてお釈迦様の禁じた占いを、同じ仏教の

真言宗ではOKなのかというと、占いを通じて

自らの

 

 

 

 

「ゴキブリ性」

 

 

 

 

に気付かせるためですね。≧(´▽`)≦

 

 

 

 

 

お前、ゴキブリなんだよって。≧(´▽`)≦

 

 

 

 

利己的な成功とかおカネとか、やみくもに

欲しがるだけではゴキブリだよ、と、哀れな

ゴキブリどもを全部捕まえて仏道に目覚めさせるために、

そのためのゴキブリホイホイとして弘法大師は

占いを持ち帰ったのです≧(´▽`)≦。

 

 

 

 

だから、占いは現世利益を追求しながらも、

現世利益のみでは人間は成功しないので、

成功したいならスピリチュアルに目覚めていかなくては

ならない。

 

 

 

 

そうすると最終的には占いは、一周回ってワンネス

になっていく。

 

 

 

 

だから、占い館にやってくるゴキブリどもは

尊いゴキブリたちであり、そこから次第に

本当の仏教とか神とか、ワンネスに至る可能性の

ある人たちなのです☆

 

 

 

 

占い師がゴキブリの考えから抜けられていなければ

ダメじゃないか。≧(´▽`)≦

 

 

 

 

だから、星でやる、やらないを決めるなんて

ゴキブリ思考はやめなさい。

 

 

 

 

毎日毎日、やり続けられるかどうか。

 

 

 

 

情熱を持ち続けていられるかどうか。

 

 

 

 

占いを人に施す者がそれを体現できて

いなかったら、それはとても空しいことでは

ないでしょうか。

 

 

 

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