実は先日、ひょんなことから、
酒井さんが某目黒区(当時)の
占い鑑定ダイヤルで
事務員をしていた頃のことを知る占い師さんと
再会いたしました。。。(*´σー`)
↑ ※注、 イメージ画像。。。
懐かしいけどどっぷり占い業界にどハマり
してた当時を知る人と会うと照れくさいやら
恥ずかしいやら。。。(*゚ー゚*)
その鑑定士さんとわしは、電話越しだけでやりとり
するだけだったが、明るくて感じのいい鑑定士さん
でした☆
あんまりチキGUY感がなかったというか、ごく
普通の明るい人で、客も鑑定士もキチGUYだらけの
占い業界にあってはホッとするタイプの先生だった
から再会できてうれしいデス☆
つくづく占い業界は狭いなぁ~。。。と改めて
思いました(汗)。
そんでいろいろおしゃべりしているうちに
当時のことを思い出してしまった(汗)。
酒井さんが、その某占いダイヤルに入社して
働いていたのは今から20年も昔のことである。。。
酒井さんは24~25歳のぴちぴちギャル
であった☆
その当時、川崎市多摩区登戸の駅から徒歩3分の
くっそ汚いアパートで独り暮らしをしていましたが、
そのボロアパートって当時から築30年くらい経ってて
ぼろかったのにいまだにあるから恐ろしい(汗)。
めっちゃくちゃゴキブリ屋敷でね。。。(汗)
チャバネじゃなくてでかいほうの黒ゴキブリが
1年中出るのだ(汗)。1階が木工所の跡地で
オガクズが大量に捨ててあり、どうもそのオガクズが
黒ゴキブリの繁殖所になっていたらしい。。。
壁やトタンや排水溝を伝って、木工所跡地の
二階だったアテクシの部屋に入ってくる
ようだった(汗)。
いっぺんに部屋の中で7匹の黒ゴキブリが
走り回るのを見て、わしはパニックになり
知らないおっさんのところへ転がり込んだり
してそこでまたひどい目に遭ったりいろいろ。。。(涙)
家賃が安かったんです。。。(涙)
わけあり物件というやつだな。。。(汗)
おかげで登戸はわしにとっては原点でもあり
辛い記憶の多い街でもある。。。(*´σー`)
なんつうか、神奈川県がダメっぽい(汗)。
神奈川が鬼門なのかもしれない(汗)。
東京都民になったとたん人生が上向いた
ので、なんか方位とかそーゆうのがあったのかも。。。
酒井さんは一人ぼっちで伊豆から首都圏に出てきて、
知り合いも友達も一人もいなかったけど
なんか異様に楽観的だった。
この経験もいずれは小説を描くため。
経験のすべてが、いつか何かを描くための
大切な礎だと思っていたので、貧乏暮しも
楽しんだし男といろいろあったのも楽しかったね
今思えば。。。(*´ω`*)
そんで、作家になりたい、がだんだん
「ライターになりたい」
にすり替わってしまい、なんとかライターになれないかと
占いを学び始めたのがその頃。
占いだろうが子どもネタだろうが風俗だろうが
ライターの肩書きがもらえるならなんでもよかった
んだよなぁ。。。(汗)
文章を書いて生活したかっただけなのだ。。。
たまたま、当時キャバクラで働いててややこしい
ことになってた客の男がそこそこ名の通った
芸能ライターだったんである。。。(汗)
今思うと口説かれてたんだと思うけど
当時は気づかなかった(汗)
その男になんや、ライターの仕事回してやる
とか言われて有頂天になっとった☆
んで、占いライターならすぐどうにかなる、みたいな
ことを言われてその気になり、たまたま西洋占星術の
占い師のじーちゃんとこに入門しちゃったわけ☆
そのすぐあとだったねぇ、、、この目黒の占いダイヤルに
偶然就職したのは。。。(汗)
思えばここでの貴重な経験が、その後の酒井さんのこの
「占い死ね死ねブログ」
にまでつながっているから不思議なのである。。。(*´ω`*)
そこの占いダイヤルでの仕事はとっても実の
ところ楽しくて、お客を振り分けるのにいろんな
所属鑑定士さんとお話するんだけど、気の合う占い師
さんもいたりしてすごく楽しかった☆
占いダイヤルのコアタイムは深夜なのである。。。
だいたい、夜の8時から勤務して翌朝5時まで
事務所で仕事してました☆
当時は占いダイヤルもすごく景気良くて、
事務員も一人では足りず、だいたい3人体制
くらいでやってたかな。。。
んで、夜中に腹が減るから事務所のみんなと
出前のピザ頼んだり、仕事続きで風呂に行けないと
会社近くの銭湯行ったり。。。
占いダイヤルはマスコミとの距離が非常に近く、
実は会社の社長が広告代理店とのやりとりを
しているのを間近で見て
「あ、マスコミから仕事取るって
なんだ、こうすれば
いいのか!!!」
と、ものすごく勉強になりました。。。(*゚ー゚*)
んで、そんな感じで調子に乗っていた酒井さんは
ついつい、占いダイヤルではご法度の
「事務員が所属鑑定士と個人的に会う」
ということをしてしまいました☆ ははは☆
だってライターになりたかった
んだもん。。。(涙)
所属占い師の中に出版社の人がいて、
ライターになりたいって言ったらいろいろと
教えてくれるってんで、どっかに一緒にランチを
食べに行ったんだよなぁ。。。
そしたら占いダイヤルの社長に見つかり大問題
扱いされ、酒井さんは社長の自宅に連れていかれて
ものすごいお叱りを受けました☆
それで、実はその占いダイヤルの社長さんを
平素から事務所で見ていたわけなのだが、いい人
なんだけどだいぶ病んでる感じで、ちょっと理解しづらい
人だった。
酒井さんはもともと10代で親を亡くし、それ以来
川崎と横浜で一人ぼっちフラフラしていて、その社長も
親に捨てられたとか、兄弟食わさなきゃいけないとか、
幼少期の頃からクソ貧乏だったとか、いろいろあった
人みたいで、天涯孤独の私をその人なりにかわいがろう、
立派に育てようとしてくれていたのだと思う。
けれど酒井さんにはその優しさがちょっと重かった
のです(汗)
親死んで、帰る家もないけどおいら、自分のこと
そこまで不幸だと思ったことなかったし(汗)、登戸で
毎日フラフラして暮らすのも楽しかったし、一生そこの
占いダイヤルで幹部として頑張れみたいなこと言われても、
酒井さんはそーゆうのがちょい重かったのだ(汗)。
だから仕方がなく、怒られたのを契機にして
社長と距離が近い事務員をやめて、占い鑑定士に
なることにしたのである。。。
それで1年くらいやって自信がついたので、
移籍して別の某鑑定ダイヤルに所属したらあっという
間に指名率ナンバー3くらいの人気鑑定士になって
しまいましてですね(汗)。
それからです。。。天狗になったのは。。。(●´ω`●)ゞ
そして天狗になり独立して大コケしてどん底に
陥り、借金やら対人トラブルやら会社を作っちゃあ
潰すわの繰り返しで、妊娠して子どもが生まれる頃には
赤ん坊のおむつ代も無いという。。。(汗)
そんな中で、占いについてずっと考え続けてきたこと、
納得いくところ行かないところ、そもそも占いなんか
最初からライターのネタに思ってただけで好きじゃ
なかったことなどを思い出し、それで気が付けば
占い死ね死ねブログを初めていた☆
すべてはあの1997年、酒井さんが黎明期の
占い鑑定業界に拾ってもらえたところから
始まっているのだにゃ。。。☆
今では酒井さんはすっかり占い業界の偉い
人とか、社長さんたちに覚えられてしまい(汗)、
なんだかんだ占いから抜けられておりません(汗)。
よっぽどこの業界に縁があるんだろう。。。
こんなに死ね死ね言ってるのに☆
当時のことを思い出したので、当時は占い業界
はどんなのだったのか、さまざまな鑑定士さんの
数々など、また書いていきたいと思います☆