もう嫌になるよね?
そりゃそうさ。常にわかってもらえないような感じになったりしてしまうのだしね。そう、何をしてもわかってもらえないという観念を作ったりしてしまうほどのものなんだしね。なんとかして、それ以外にならないようにしなきゃいけないような気もしてたしね。

こんなことばっかりなのかもしれないね。
そう思うかな、何をしても何を言っても、自分の把握できないような感じでね、しかも傷ついたりしてしまうような感じだったりもするしね。するからこそ、何もしなくて良いという風に思えたりっていうのをしたりするような感じというのもあるような気がしてる。

それって悲しいよね?
悲しいよ、悲しくないわけがない。なぜなら、何もわかってもらえてないということだから。勝手に相手に決めつけられたり、勝手にそう思われたりして、関係というのがぶち壊しになったりする。他の関係性とかでもそうなのだと思う。だからこそ、自分はとかく人と付き合ったり、関わったりというのをすることを物凄く恐れたりしていたようなきもしてるよ。

別に人との関わり合いを恐れても良いんじゃない?
いや恐れていてはダメだ。いつものように、一方的に否定されたり決めつけられたりというのをされたりするだけだから。少しでも恐れたりしてしまうということは、それらのリスクがあるということ。恐れたら負けっていうことだし不幸への一歩を辿る。

みんなそういう経験をするのかもね。
でも、そうやってたとえどんなような人だったりしたとしても、決めつけられたりしてしまったり、自分が不幸だと感じたり、悲しいとか思ったりするような経験みたいなものをしたりしてしまうしさ。他の人もするのかもしれないけれど、でも他の人はそんな目にあったりしないと思ってだんだけどなぁ。嫌なものだなぁという風に、本当に感じてしまう気もするよ。

としたら悲しいのは自分だけじゃないのかもね?
そうかもしれない。でもさ、そうだとしたら、他の人も自分と同じような悲しさを持ってるってことでしょ?それなのに、どうして他の人は自分みたいになったりしないの?その事実的なものというのが、自分のことをさらに悲しくさせたり、寂しくさせたりしてしまっていくような感じもしてしまうよ。

他の人と同じでも良いんじゃないの?
嫌だよ、他の人と同じで、自分 悲しくなるでしょ?だって、責められたり貶されたりというのをしたりもせずに、生きたりしている人もいるはず。そういう人っていうのは、頭が良かったり優れたりしているわけでしょ?そういう風に基準みたいなものを持つようなことができたりというのをするのであればね、できてない自分はダメなやつになるんじゃないのかな?

頭が良くても悪くても良いんじゃない?
よくないよ。この場合、頭のよさとか悪さみたいなものが人との付き合いがどのようになるとか、悲しくて寂しい現実というものを味わったりするのかみたいなものが決まったりする。悲しくなったり寂しくなったりする人は、全体的に頭が悪いというか、相手のことを考えられなかったり、考えた上で組み立てたりというのをすることができないわけなんだからね。

悲しくなったり寂しくなったりして良いんじゃない?
いや悲しくなったり寂しくなったりするっていうことは、失ったりなくなったり、何か心の中にあったものや、支えという形でなっていたりしていたものをすべて失ってしまうようなことを意味している。それだけ大きなようなことだったりする以上ね、寂しくなったり悲しくなったりすることは避けなきゃいけない。

失うと大変なんだね?
うん、失うと大変なんだと感じる。俺は多分、すべてを失いすべてを無くしたって思ってる。そんな風に思っているうちは、怖くて仕方がない。それに、その気分のようなものが、自分のことを何もさせてくれないようなそんな感じにもなったりもするしさ。それにね、寂しいというか悲しいというか。何とも言えないような感情みたいなのを味わう気もしているしさ。

失ってないっ思いたいよね?
思いたい、なんか失ってしまったとか無くしてしまったという風に思ったりすることほど、惨めのようなものはないと感じたりしてる。それにさ、こんだけ惨めで、人にわかってもらえないような理解してもらえな位ことから失い、さらにその失ったところの位置というのはさらに理解というのをしたりはてもらえないものだとするのなら、もうその失ったりしてしまったことのすべてというのを隠したいと感じるよ。

誰にも知られたくないと思ってるんだね?
思ってるよ。だってさ、知られでもしてしまったとしたらね、同じ展開を繰り返すというの目に見えている。そこに深さというか、相手の人の違いというものや、相手な人の考えや事情みたいなものは関係ないみたいな感じで見なしたりというのをしてるしさ。