前回はこちらです。
『白鳥』について書きました。



引き続き、埋葬された後に
白鳥に化身して飛び去ったとされる
英雄『ヤマトタケル』について
書きたいと思います。

なぜ古代の英雄は死後に白鳥となって
飛び去らねばならなかったのか?
白鳥とは何を意味するのか?



羽衣を着て天から降りてくる『天女』
「天人女房」「白鳥巫女」をヒントにして

征服神としての側面をもつ
英雄「ヤマトタケル」と「白鳥」の関係に
ついて考えてみたいと思います。


誰もが一度は、その名を聞いた
ことがある(と思われる?)「ヤマトタケル」とは
いったいどのような人物なのでしょうか?

  『ヤマトタケル』ってどんな人なの?


「ヤマトタケル」は
『日本書紀』では「日本武尊」
『古事記』では「倭建命」
と漢字表記されます。



彼は第12代景行天皇の子供で
その名を『おうすのみこと』といい
出生に関して、面白い逸話が
『記紀』に記録されています。✪

彼には双子の兄がいるのですが
その昔、双子を忌む風習があり

父である景行天皇は、2人が生まれた際に
怪しんで『臼(うす)に向かって叫んだと
いうのです。(何を叫んだかまでは記録されていません)


また双子の一方、兄の名前は
「おおうすのみこと」といい
 

・兄『大碓尊(命) (おおうすのみこと)
・弟(ヤマトタケル)『小碓尊(命) (おうすのみこと)

という名前となっています。



ヤマトタケルはその出生譚に双子伝説
そして農耕用具である『ウス(臼)』
関係するエピソードがあるのですね。


ちなみに「兄」の方は、ゆくゆく
どうなったのかというと『古事記』には
朝夕の食事に来ない兄「オオウス」を
教え諭すように父から命じられた
弟「オウス(ヤマトタケル)」は

兄が厠(トイレ)に入るところを捕らえ
手足を引き裂いて、ムシロに包んで投げ捨て
殺してしまうという極端な行動を取ります。




この出来事に驚き恐れた父は、息子を
遠ざけるべく、地方への遠征を命じます。

(先ほどヤマトタケルを「征服神」と書きましたが)
こうして彼は、西は九州の熊襲(クマソ)から
東は関東まで、ヤマト王権に従わない
(まつろわない)人びとを従わせるために
遠征し、ヤマト王権の勢力拡大に貢献しました。

  英雄『ヤマトタケル』助ける『女性の力』


ヤマトタケルは日本全国にその逸話を
残しているのですが、そのほとんどは
この遠征に関係するものです。

特筆すべきは「タケル」の身辺に
彼を助ける「女性の力」が多く存在する
ことです。
 

クマソ兄弟討伐の際には
おばの倭姫命(やまとひめのみこと)から
授かった衣装で、女装をして油断をさそい
クマソ兄弟を討ちますし

東国(関東)征伐では、やはりおばの
倭姫命から与えられた「草薙剣(くさなぎのつるぎ)
を使って危地を脱します。

さらに、妻となる「弟橘姫(おとたちばなひめ)
も荒海を鎮めるために海に入水し
タケルの遠征の一助となります。

このように彼は、女性の力を借りながら

日本各地を転戦し


最後は滋賀県から岐阜県にまたがる
「伊吹山(いぶきやま)」の山神退治に赴き

油断から失敗してしまい、命を落としますが
亡くなる直前に、故郷をしのんで歌った歌が
『古事記』に記録されています。

「倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し麗し」

そして彼は埋葬された後に「白鳥」と
なって飛び去り、陵墓には衣服だけが
残されたと「記紀」に記されています。


彼のもつ悲劇性は、私たち日本人の心を
大きくゆさぶるものですが
「八塚(ヤツカ)」と称した先祖を
調べている私個人としては

征伐された人びとにも均等の家族と歴史
人間的な思いがあると思っていまして
「アラハバキ」族も樹木信仰を基層とした
優れた技術をもった先住民と以前に書きました)
 



もう少し変わった視点で英雄
「ヤマトタケル」をみてみたいと思います。

  『ヤマトタケル』『一人』じゃなかった!?


じつは、ヤマトタケルには複数人説?があり
日本全国(とくに関東に多い)にあまた存在する
タケル伝承は、とうてい彼一人でなし得る
ものではなく

「ヤマトタケル個人」と「ヤマト王権」
この「個人」と「組織」の二者が
長い時間をかけて行ったものともいわれています。

どういうことかというと
日本各地に『建部郷』という地名が存在し
「タケベ」とも「タケルベ」とも読みます)

ヤマト王権の軍事的部民…いわば
「タケルベ」という軍隊が駐留した
拠点と推定されています。


『長柄町誌』では、ヤマトタケル伝説は
このヤマト王権によるタケルベの地方征略が
重ね合わされていると記しています。

つまり全国に多数存在する
ヤマトタケル征服伝説は
 

・景行天皇の息子『ヤマトタケル(オウスノミコト)』
・各地に設置されたヤマト王権の軍事的部民『タケルベ』

この「個人」「組織(軍隊)の二者が

長い時間をかけて行った結果のもので

それらを「ヤマトタケル」個人の業績
としてまとめ上げたのが「記紀」のいう
英雄ヤマトタケルの征服伝説の真実
という考え方です。

ではなぜ、わざわざそのような
物語形式にしたのでしょうか?


それは様ざまな困難を抱えながら
征服事業を完成させるという
わかりやすい悲劇的な英雄像を表現
したかったからではないでしょうか。


戸矢学氏は、その著書
『ヤマトタケル 巫覡(かんなぎ)の王
  たった一人の征討とは?』の中で


ヤマトタケル伝説の意義について

 

「ヤマト朝による全国制覇の「宣言」である。」
「すなわち「弥生による縄文の制圧完了」という
わかりやすいプロパガンダであろう。」と記し

ヤマトタケルの名前「小碓命(おうすのみこと)
の「ウス」は、稲作を比喩する
農耕用具「臼(うす)」であり

「うす(臼)」によって狩猟文化たる
クマソ・イヅモ・エゾ等を制圧したという
意味の寓意であって、これは一種の寓話仕立て
となっている。」と記しています。

物語の構図としては「桃太郎」「鬼」退治と同じで

きっと鬼にも家族と彼らなりの思いがあったでしょう。


では最後に、残された謎
なぜヤマトタケルは死後に白鳥となって
飛び去らねばならなかったのか?
白鳥とは何を意味するのか?

この謎について書いて
終わりにしたいと思います。

  ヤマトタケル『白鳥』伝説意味することは


(個人的な考えとなりますが)
前回、「白鳥天女」とは天と交信する女性
『境界の巫女』だと書きました。

タケルの白鳥伝説とは
「ヤマトタケル」・「ヤマト王権」が
その支配領域を拡大する過程において

その土地々で、白鳥にたとえられる
(「生」と「死」の境界を司る)土着の
神の巫女…『女性首長』たちが統べる集団と
ときに争い融和しながら、彼女たちと通婚し

その「女系社会」の血脈を
自らの「男系社会」に取り込んだ
歴史を比喩するものであり




ヤマト王権の成り立ちには
この白鳥の女性たちの尽力が
あってこそ、はじめて可能になった

ヤマトタケルの白鳥伝承には
彼を支え、ときに征服された白鳥
『縄文の天女』たちの稀有な存在が
秘されている…そんなことを考えました。

続きます