前回から続きます。

 



戸矢学氏はその著者

「オオクニヌシ 出雲に封じられた神」で

 

「出雲(イズモ・イヅモ)」は

「いづ・くも」からの変化と、記しています。

 


このヤマト王権以前に

日本に暮らしていた先住民

「クズ」、「土蜘蛛」、「八束脛」の伝承は

全国に散在します。


中には女性名と思われる首長名も、存在します。

 

さて、そんな「クズ人」の中の

徹底抗戦派の代表格

奈良盆地一帯のクズの王とも言える存在が



『長髄彦(ながすねひこ)です。

 



この長髄彦は

初代天皇~後の神武天皇となる

「磐余彦尊(いわれひこのみこと)」が

奈良盆地に攻め込んだ際に

その大和地方一帯に居を構えた豪族と言われ


鳥見(とみ)の里を本貫としたため

(現在の奈良県奈良市富雄(とみお)周辺)

 

「日本書紀」では、長髄彦ですが

「古事記」では

 

・登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)

・登美毘古(とみびこ)

 

ともいいます。


そして、大和入りを目指す磐余彦尊に

激しく抵抗し、生駒山の戦いにおいて

激戦の末、勝利したと伝えられています。

とても強かったんですね。

 

今でもこのことを、長髄彦の末裔として

記憶している人々が、生駒の地に

住まわれているようです。



 

・「石切劔箭神社

    (いしきりつるぎやじんじゃ)

(本社・大阪府東大阪市東石切町1丁目1-1)





神社の公式な見解には無いが、進藤治によると

「石切さんは長髄彦と深いかかわりがある。」

「石切さんには長髄彦がお祀りしてある。」

等の口伝があるという。


(「長髄彦の実像」進藤治) 「wikipedia」より

 

 


 


「長髄彦(ながすねひこ)」という名前は

文字通りに解釈すると

「長いすねを持つ彦()という意味で

 

先住民たる「クズ」のあまり聞きなれない

「八束脛(やつかはぎ)という名称と

意味が通じるとも言われます。

 

八束脛は、八脛とも書き


「脛(すね)の長さ、握り拳(こぶし)8個分」

という意味とされ

 

ようするに

どちらも「すね」が長いという意味です。

 


 繰り返しになりますが

先住民、クズ人の別名は

 

「土蜘蛛」→足が長い

「八束脛」→脛(すね)が長い

 

の意味とされ、体格雄偉であることを示し


彼ら、クズ人は

「胴長短足の弥生人」に比べ

大きい身体している傾向があったようです。

「縄文土器」に造形された蛇紋からもわかる通り、 彼らは蛇信仰を持っており





「安中市ふるさと学習館」より




安中市は、石棒がたくさん出土し
蛇より「猪(いのしし)」が、造形されることが
多く、蛇は長野県が多いとのことです。
地域差もあるんですね。




一説には


この蛇信仰は、エジプトで始まり

ユーラシア大陸を経由して

はるか古代に、日本にも伝わったようです。


信仰が伝わるということは、人が来ることでも

あります。

(ザビエルが来ないとキリスト教も伝わりませんからね😅)



いろいろな説があり、はっきりとしたことは言えませんが


「日本の旧石器時代の人々~縄文人」のルーツの一つはユーラシア大陸の体格雄偉な人々に

求められるのかもしれません。

(人類発祥は、アフリカで、そこから世界中に拡散したのですから)

 

この「体格雄偉」と形容された

ヤマト王権から見下されたともされる

先住民「クズ」ですが


豊かな世界観を持ち、それにふさわしい

多種多様な信仰を持っていたでしょう。





「天白磐座遺跡(てんぱくいわくらいせき)」



静岡県浜松市北区引佐町井伊谷(いいのや)にある古代祭祀遺跡。(「wikipedia」)



縄文人は「アミニズム」「精霊信仰」を持ち

自然のあらゆるものに、精霊が宿ると考えた人々です。

その子孫たるクズ人も、同様な自然信仰を

持っていたでしょう。


さて、ここで思い出してもらいたいのが

(やっとここから、今回の本題に入るのですが😅)

 

茨城県の、斎藤姓の多い

塩谷町船生(ふにゅう)の総鎮守が

「岩戸別神社(いわとわけじんじゃ)」の祭神が

 



・「天手力雄命(アメノタヂカラオ)」で

 


(「wikipedia」より)


長野県佐久郡出身の武家、望月氏の系譜には

この天手力雄命の別名が

 


「多久豆魂命(おおくずたまのみこと、たくづたまのみこと)」

 


と記されています。

 

「久豆」は「クズ」と読み

文字通りに読むと、「多くの久豆(クズ)の魂」となります。

 

ただ、この天手力雄命の別名が

「多久豆魂命」であるとの記述は

望月氏系譜のみなので、一概には言えません。

これが大前提なんですが😅

 


謎の多い部分で

この多久豆魂命の正体の解明は、極めて困難だと思います。

天手力雄命と同神なのか?ということも含めて。


明らかになることは、永遠にないかもしれません。

 


それでも、今まで調べてきたことをふまえて

あえて個人的な考えを書かせて頂きますね。

 

 

「多久豆魂命」とは

前述した、縄文以来の先住民


「クズと呼ばれた人々」

(もちろん、「土蜘蛛」「八束脛」と呼ばれた人々も含みます)

 

その彼らが信仰した神々


「久豆(クズ)」の神々を総称した呼び名ではないでしょうか。

 


前回、書いたように

全国に数多くの王権に従わない「クズ人」

先住民が日本にいました。


ということは同時に


王権とは信仰を異にする『クズの神々』が

たくさんいたということでしょう。



この多久頭魂命の謎を解く鍵は


ヤマト王権以前の先住民、「クズ」にあるように思えてなりません。

 





①天手力雄命の別名が

「多久豆魂命(おおくずたまのみこと、たくづたまのみこと)」(「望月氏系譜」より)

 

②奈良県吉野町の国栖(くず)に、かつて暮らし

 ていた古俗を残す「国栖人(くずびと)

 (「古事記」「日本書紀」)

 

③そんな彼らの利用した生命力の強い

 蔓性植物の「葛(くず・かずら)

 

 また奈良県に「葛(くず)神社」があり

元々は「九頭(くず)大明神社」

「九頭大明神」を祀っており

 「葛(くず)」と「九頭(くず)」は

 関連すると思われます。

 

④常陸国風土記に記された

まつろわぬ民の「国巣(くず)の別名は

 「土蜘蛛(つちくも)

 「八束脛(やつかはぎ)

 





すべてが『クズ』に集約されます。

 これら、ヤマト王権以前の先住民

「クズ」人の信仰する神々


その神々を、総称して

「多久豆魂命(おおくずたまのみこと、たくづたまのみこと)」と呼んだのではないでしょうか。



この「多久豆魂命」に似た名前の神社が

長崎県の対馬に2社あり



 「多久頭魂神社(たくずだまじんじゃ)」

(長崎県対馬市厳原町大字豆酘字龍良山1250)



 「天神多久頭魂神社(あめのかみたくずたまじんじゃ)

(長崎県対馬市上県町佐護洲崎西里286)


です。


読みは同じ「たくず()」で漢字表記が違います。


「豆」と「頭」の違いですね。



この二つの神社は、対馬の北部と南部にあり

セットで、対馬で有名な「天道信仰(てんどうしんこう)のシンボルとされます。

 

 

天道信仰も九頭竜信仰と同様

土着の対馬の信仰と、仏教が融合

そして、さらに海人族(あまぞく)の太陽信仰が

混淆した、修験道の信仰と言えるでしょう。


続きます。