前回記しました、関東の「縄文神社」をテーマにいくつか書いていこうと思います。


最初は地元の東京都荒川区、家の近くから始めたいと思います。

妻は、生まれも育ちも荒川区で

荒川区から始めないと怒られそうだからです(笑)


山手線、西日暮里駅の脇の高台の上に


・諏方神社(すわじんじゃ)

 (東京都荒川区西日暮里3-4-8)

 祭神 武御名方命(たけみなかたのみこと)


があります。

この「すわ」を「諏方」と表記する

のは珍しいようです。

(全国に数社しかないようです)▼

通常は「諏訪」ですね。


神社は道灌山と呼ばれる高台にあります。

(太田道灌の城跡との説もあるようです)


じつはこの高台は上野から続いていて

北区の飛鳥山(あすかやま)公園につながります。
「飛鳥山」…東京にも『飛鳥』の地名があるんです。

ちなみに荒川区でもっとも広い氏子区域を
持つ神社は「素盞雄神社(スサノオジンジャ)」


 (東京都荒川区南千住6-60-1)



です。
祭神は

・「素盞雄大神(スサノオオオカミ)」
「飛鳥大神(アスカオオカミ)」

です。

この祭神の飛鳥大神」は、神社の公式サイトでは


大国主神(だいこく様)の御子神です。別名を事代主神(ことしろぬしのかみ)・一言主神(ひとことぬしのかみ)」


と記してあります。


飛鳥といえば、奈良県の飛鳥の都…

この都を建設するのに、多大な貢献をしたのが

「蘇我(そが)」一族です。


「飛ぶ鳥」と書いて

「あすか」とは、あきらかに読まないので

宛字(あてじ)ですね。

一族・都の繁栄を願って、大空を飛翔する鳥に

たとえたのでしょうか。


北区の飛鳥山にも、飛鳥の都にゆかりのある

人々が住んだ時期があるのでしょう。


荒川区一帯にも、意外な面白い歴史がたくさん

眠っていそうですね。


「荒(あら)」…「荒神」という神さまも

よく聞きますが、埼玉県の郷土史家の

茂木和平氏は「荒は「サカ・サケ」とも読む」と言われました。


もちろん辞書で調べても

このような読みは、いっさい存在しません。

とうぜんですね。

私も先生の知識に追いつけません。


「荒」の文字に、何の意味をたとえたのか…

「荒」の底の意味についても後々、調べてみますね。



さて、階段を登って、諏方神社が鎮座する断層の上に向かいます、けっこうな急階段です。


この上野から赤羽まで続く断層は
文字通り、「上野赤羽断層」と言われ
今回の諏方神社をはじめ、この断層の上に
神社がずらっと並んでいます。



国土地理院の地図でみると
こんな感じです。
標高差を色で表現してみました。


青と緑の境界線が断層、大地の裂け目で
この緑色の高台に沿って
神社がたくさん並び
(その中に、今回の諏方神社も含まれます)
JR 京浜東北線も、この断層の崖下を走ります。

諏方神社の反対側には、開成高校があります。



どえらい進学校で…
世の中、すごい人はたくさんいますね。

この道灌山の上に諏方神社は鎮座します。



そして開成高校のグランドを中心に縄文遺跡が見つかっています。
古くから人々が住んでいたんですね。

案内板によれば
この諏方神社は元久2年(1205年)に造営されたようで、神社自体の由緒はそれほど古いものではありません。





しかし私は、ここが「縄文神社」
きわめて古い縄文からの祈りの場所で
それゆえにこの地に、諏方神社が
創建されたと思うのです。

その理由の一端が、歩いていて
発見できました。
今は都市化して高層ビルで見ることはできませんが、かつてこの高台からは富士山と筑波山を眺めることが、できたそうです。



「富士見坂からの眺め」
荒川区案内板より




妻の小・中学校の校歌では

「~青空はるかに、霞むは筑波よ~」
「~筑波山(つくばやま)、北にはるかに~」

とあります。

現在の荒川区一帯に住んだ、古代の縄文の人々は、この二つの山を眺め生活していたのでしょう。

このブログで何度も、「山」は縄文の人々にとって最も大切な信仰の一つと書いてきました。




有名な、山梨県の「新倉山浅間公園(あらくらやませんげんこうえん)」からの富士山の眺め。
(コロナ以前に出かけた時の画像です)





さて、神社にお参りします。


諏訪の神紋といえば、「梶(かじ)の葉」ですね。
ここも、そうでした。



さらに、お参りして、周囲を散策していると




西日暮里駅に降りる階段を見つけました。
断層ということが、実感できます。
紫陽花がきれいに咲いていて


東北新幹線が走っていました。




境内を歩いていると、本殿脇の奥に
岩が祀られているのを発見しました。


神社の方に聞いてみましたが
明言はされなかったのですが
神社とお寺の混交、修験道の痕跡でしょう。
諏訪神社の隣に、真言宗豊山派の浄光寺があります。
江戸時代までの、諏方神社の別当寺です。



浄光寺は、社殿が富士山、富士見坂方向に向かっていました。


今はビルに覆われて、富士山は見えません。

富士山は間違いなく、日本一の霊峰です。
ちなみに富士山は、比較的新しい名称だと
思います。

火山の古語は「あさま」で
富士山をご神体として祀るのは

「富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)

です。
この大社は、「山宮」・「本宮」・「奥宮」とあり
もっとも古い祭祀は、あさま山(富士山)を
祀る「山宮」でしょう。



大社公式ホームページより


山宮は社殿が無く古木・磐境を通して富士山を直接お祀りする古代祭祀の原初形態を残す神社で、祭祀形態の変化をうかがい知ることが出来ます。




とあります。

戸矢学氏の著書
「古事記はなぜ富士山を記述しなかったのか
         藤原氏の禁忌(タブー)」

において、関東には富士山の信仰を柱とする
国があったのではないかと、述べられています。
とても大きなテーマですが、富士山は
それだけの神南備山だと思います。


今でも、その土地を見守る山、大地母神と
いっても良い神が、時に災害をもたらしながら
貴重な鉱物や湧水を人々にもたらす。

鹿児島県の桜島の映像を見るたびに、鹿児島の人々はきっと桜島を愛しているだろうな
単なる山以上の思いを持っているのだろうな
と想像してしまいます。


都市化して、なかなか実感しにくいですが
地元の東京都荒川区の断層の高台に立って
縄文の山の信仰の痕跡、富士山国のヒントを発見できました。



「西日暮里駅のガード」





この道路は、断層の台地を削って敷設されています。
左が上野方向で、右が赤羽方向です。