人間が考えた人間の生き方

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仏教というのは、釈迦という人間が考えた

人間のあるべき生き方。

あとで神格化というか仏というものを持ちだして

「ありがたさ」を強調するところもあるが、

釈迦自身は、「お釈迦様が死んだあと、私たちはどうすれば

いいでしょう?」と聞かれたとき、釈迦の像を作って拝め、

五重塔にそれを安置して遠くから拝めれば、なお良し、

とは言われなかった。「自灯明、法灯明」と言ったという。

 

禅の世界では、仏とは、あるべき人の状態になったことをいいます。

 

ところで、お盆も終わりましたが、

六道輪廻というのは、天、人間、畜生、修羅、餓鬼、地獄というのが

一般的で、釈迦以前からあった概念らしい。

生まれ変わったら、というのが世間一般だが、人間として生きていると

一生のうちに、あるいは毎日でも地獄のようになったり、餓鬼や畜生の

ようになったり、良いことがあって天の昇るような気持ちになったりも

している気持ちの状態、という風に説明されることがある。

 

これは、すべて人間が考えついたことで、生きている間どうするか、

ということである。

 

釈迦などは、苦に満ちた現世という世界には、もう二度と生まれない

ようにとしよう、という風に考えていたことが、原始仏典の翻訳もので

読んだことがあるが、

中国に渡った仏教は、こんな楽しいこの世には、なんどでも

生まれてこよう、と考えに変化して、より良い来世のためにどうするか

という風になった。

 

まぁ、言ってみれば「解釈」というか、なにやら「逢って欲しい未来」

みたいな欲が入り込んでしまったのかもしれない。

 

どれが本当のことだかは、科学ですべてを解き明かせていないから、

宗教というものがある余地がある、と説明されることが多いし、

宗教界の方からすると、真実はすべてあきらかであり、科学はその

一部を解明したにすぎない、と説明するところもある。

 

人間は弱く、困れば沈んで行く我が身惜しさに、藁の一本でもつかむ。

六道の根底にあるのは、「欲」であろう。また、「欲」なくして人間は

この世に存在できない矛盾した生き物である。

「欲」に振り回されずに、善用というか昇華、そして神秘や迷信に

惑わされない生き方を提起してきたのが、禅の世界ではなかろうか?

 

習慣としての座禅を是非、お勧めしたい、というのはそういうわけなのです。