内容紹介
物理学を記述する言葉は数学ですが、理解する言葉は哲学(形而上学)であり、量子力学においては特にその傾向が顕著なので、研究者でない一般の人たちがアインシュタイン以降の物理学によって読み解かれた宇宙論を知ろうとするのに数学はまったく必要ないと考え、数式を一切使わないで、主に相対性理論や量子力学で読み解かれた原子論や宇宙論を紹介し、それと並行して、ヴェーダやヴェーダーンタの宇宙論、生命論、神論を紹介した本です。
眠れぬ夜に 知識ゼロから始める 物理学も悪くない
…古代の賢者や近代のノーベル賞物理学者たちが残した宇宙と科学と神の話…
一般相対性理論と共に現代物理学の根幹となっている量子力学。
量子力学の基礎となっているアインシュタインの光量子仮説。
しかしアインシュタインは、「もし自然が(量子力学のコペンハーゲン解釈のような)そんな仕組みになっているのなら、私は物理学者でいるより、靴の修理屋になるか、あるいはいっそ賭博場にでも雇われた方がましだ」と量子力学を批判し激しく対立した。
量子力学に不可欠な業績を築いているシュレーディンガーもまた「私はあれが嫌いであり、あれに関わったことが残念である」と量子力学を批判する側に回った。
量子力学を構築する理論の提唱者でありながら、量子力学に懸念を示したのはこの二人だけではない。量子論の生みの親であるマックス・プランクや粒子の二重性の発見者ド・ブロイも例に漏れない。そうした物理学者たちが量子力学に見た問題は何だったのか。
不確定性原理で知られる物理学者ハイゼンベルク。
数学、物理学、工学、計算機科学、経済学、ゲーム理論、気象学、政治学に影響を与え、20世紀科学史における最重要人物の一人とされるジョン・フォン・ノイマン。「純粋に科学的な観点から言えば、その偉大さはアインシュタイン以上だったかもしれない」と評された桁外れの天才物理学者ヴォルフガング・パウリ。
これら全員を門下に持つマックス・ボルンが「我々の時代の理論と実験の両方に、他のどんな物理学者よりも絶大な影響を及ぼした物理学者」と評しているニールス・ボーアとアインシュタインによって繰り広げられた「史上最も激しい」と語り継がれている量子力学論争。
その最大の論戦は、第五回ソルヴェイ会議が終わった後のホテル・メトロポールのダイニングルームで繰り広げられた。アインシュタインは実質的に敗れたが、まだ完全には屈していないことを表明するために「神はサイコロを振らない」という言葉を何度も口にした。
そんなアインシュタインに対しボーアもまた、「しかし、神がどうやってこの世界を回しているかなど、誰にもわからないでしょう」と神を持ち出して反論した。
ほとんどの人は知らないが、量子力学論争ほど、物理学者が神という言葉を口にした論争は存在しない。
不確定性原理によれば、任意の時刻に、粒子の位置と運動量の両方を正確に測定することはできない。電子の位置は測定できるし、電子の速度も測定できる。しかし、その両方を同時に正確に測定することはできないのだ。どちらか一方を正確に知れば、自然はその代償として、他方に関する情報をあいまいにする。これは、不確定性原理に課せられる限界を超えて量子の世界を正確に知ることは、いかなる実験によってもできないということを意味している。
言い換えるなら、宇宙に対する人間の理解には、越えることの出来ない限界が、宇宙そのものによって予め設定されていたということである。
ボーアの《コペンハーゲン解釈》によれば、電子や原子などのミクロな対象は何らかの性質をあらかじめ持つわけではない。例えば電子は、その位置を知るための観測や測定が行われるまではどこにも存在しない。速度であれ、他のどんな性質であれ、測定が行われるまでは物理的な属性を持たないのだ。つまり、量子力学によれば、測定されない電子は実在せず、測定という行為がなされたときにのみ「実在物」となるのだ。
このことから導き出される宇宙モデルは、われわれが《実在》と信じている宇宙は、客観的に実在しているものではなく、われわれの見るという行為(目による測定)によって、われわれが見ている間だけ実在となっているものだということになる。
アインシュタインはこうした量子力学に対して「そんな馬鹿なことがあってたまるか」と憤慨し、これを批判した。
アインシュタインがまず標的にしたのは不確定性原理だった。これを崩すことが出来れば量子力学を振り出しに戻せる。アインシュタインはそう考え、不確定性原理を崩すための思考実験を用意して第6回ソルヴェイ会議に乗り込んだ。会議の途中、不意打ちに近い形でその思考実験を突き付けられたボーアは、「そんなバカなことがあるはずがない。もしあるのなら、物理学は終わりだ」と周囲に漏らして青ざめるほど狼狽した。しかし、アインシュタインはこの思考実験で重大なミスを犯していた。そのミスをボーアは見逃さず、誤りを指摘されたことでアインシュタインはボーアとの量子力学論争に敗れてしまった。しかもそのミスは、アインシュタインが思考実験に及ぼす相対性理論の影響を見逃しているという皮肉なものだった。
これによって長らく続いてきた量子力学論争に決着はついたという考えが物理学界を支配したが、アインシュタインはまだそう考えておらず、5年後《EPRパラドックス》という論文を用意してボーアとの再度の決戦に臨んだ。
この決着は、アインシュタインとボーアが生きている間はつかず、重大な争点として残った。しかし、二人が世を去った後に可能となった実験で、アインシュタインが「起こり得ない」と主張していた現象が、量子の世界で起こっていることが観測されたため、この件でもアインシュタインは敗北した。
しかし、だからと言ってアインシュタインが量子力学を理解できていなかったと考えるのは間違いである。アインシュタインは誰よりも深く量子力学を理解していたからこそ、誰も気づくことの出来ない量子力学の問題を見つけ出して争点にしたのだ。
宗教による弾圧を受けた科学者の象徴として語り継がれているガリレオ・ガリレイ。彼は、地動説の正しさを理解できなかった教会によって異端として弾圧されたと思っている人がほとんどだが、実は違う。
ガリレオを異端審問にかけた教皇ウルバヌス8世は、教皇に選任される以前の枢機卿時代、ガリレオが唱えた地動説に感動して、何度も共に食事をとりながら宇宙の神秘について熱く語り合うほど地動説を理解していた。信じられない人がいるかもしれないが、これは歴史資料が裏付ける事実である。
そもそも聖書に天動説が正しいと読み取れるような記述は存在しておらず、無名なガリレオが地動説を説いたぐらいで教会が異端と騒ぎ立てることなどあり得ないことだった。実際、ガリレオが地動説を世に示すための本「星界の報告」を出版したとき、それが異端として教会が問題にしたという記録は存在していない。それどころか、ローマでは一躍時の人になるほどの評判を得ているだけでなく、イエズス会が設立したローマ学院、教皇によって設立されたサピエンツァ大学の学者たちからも賞賛され、トスカーナ大公国付きの数学者兼哲学者に任じられただけでなく、リンチェイ・アカデミーに入会を招待されるという栄誉にさえあずかっている。
そもそも、地動説はコペルニクスやガリレオによって提唱されたものではなく、紀元前5世紀頃にはすでに古代ギリシャに存在していた。
それはピタゴラスの定理で知られているピタゴラスが率いていた宗教学派の業績であり、宇宙の中心には火があり、その周りを「空」「水星」「金星」「地球」「月」「太陽」「火星」「木星」「土星」が回っているというものである。
この宇宙モデルの中心に据えられている火は太陽でなく架空の天体だが、地球が球体で自転や公転をしていること、月が反射光であるという概念を持つこの宇宙モデルは、最古の地動説と呼ぶに値するものである。
ちなみにピタゴラスはインドに渡り、多くのことをバラモンから学んだことも資料として残っていて、その一つには、帰国後に説いた輪廻転生を基礎とする生命モデルもある。
……眠れぬ夜、羊を数える代わりにちょうどいい、宇宙と科学と神の話。
後でもう少し追記するかもしれませんが、前回の更新から半年近く更新が止まっていたので「どうなっているんだ…」と気になっていた人もいると思うので、とりあえずこの時点で一回アップしておきます。
一時は、本気で「完成できないのでは」という感じに陥っていたのですが、ここにきてやっと納得のいく原稿が書きあがった気がしています。まだ完成はしていませんが、最終的な読み直しながらのチェックの段階までは来ました。( ^^) _U~~
サイラム<(_ _)>