最明寺とは、高松市 塩江町にあるお寺です。
最明寺の歴史は、
まず文武天皇の大宝元年(701年) に僧行基菩薩が
この地に来られ、薬師如来の本尊を刻んで安置し如意輪寺を称しました、
その後、嵯峨天皇の弘仁12年(821年)に弘法大師が当山に立ち寄り、千手観音を刻んで安置しました。
文応元年(1260年)には、鎌倉最明寺入道北条時頼が諸国行脚の折当山に立ち寄り一国一跡の、伽藍を建立し鎌倉御祈願所と定め、寺名を福寿山来迎院最明寺と改めました。
その時代には七堂伽藍が軒を並べ末寺13ヶ寺を従えて法益日々に新たなる有様でした。
しかし天正13年(1585年)土佐、長曽我部元親の兵火にあってしまいました。
明治年間に再び火災になり、音川の地に仮に再建し、現在に至ります。
今では、萩が咲き乱れる萩寺として認知されています。