そうして祇王寺を目指しつつも、なかなかどうして、歩くにはいささ遠いようである。バスが通っている気配もないため、引き返すことにしたのである。祇王寺まで行けるとは思ったが、予約の西芳寺に遅れたくはないからである。

 

 予定を変更して、渡月橋を素手で渡り、阪急電車の乗って松尾大社まで行くことにしたのである。

 何度も言うが、阪急電車はこれまでわたしが見た電車たちのなかでは、もっとも麗しい外観の電車であるといえる。

 

 

 松尾大社には11寺半頃に着いたが、これは早く来すぎたようである。さっさと庭園の入口を探すとややわかりにくいが見つかった。神社で参拝料をとるのはここが初めててあった。20世紀の作庭家、重森三玲の遺作、ーーつまりは最後の作品がこの、松尾大社の庭園たちであるという説明を入場券を買う際に受けたのである。

 

 

 じつは、あとで知ったことであるが、重森三玲が関わった庭は、この松尾大社の庭園以前にいくつか見ていたことを知ったのである。

 

 肝心の庭園(1つ目)は、「曲水の宴」という名前らしい。よくある日本の庭園のイメージからはかけ離れ、水と石とがこれでもかと言わんばかりにその輪郭を荘厳に強調し合い、すこぶるエキセントリックなそれ(これでもか!)であった。

 

 

 はなから自然体を装っていないため、いかにも人が作ったお庭、というよりもむしろ、作品であった。

 たぶん、その人の作品はわかりやすい特徴があるため、初めて見た庭園でも、すぐに重森三玲のそれであるとわかるのではないか。

 

 

 以降、これと似た感触のよその庭園を見たときにもそれを感じたのである。その重森三玲っぽいという予想はすべてあたっていたのである。

 

 曲水の宴の右側にも別の名前のそれ、「上古の庭」があったが、「曲水の宴」と比ぶれば、存在感にかけると感じ、割愛する。

 

 

 さらに下の方にもそれとは独立した別の庭園があった。「蓬莱の庭」である。こちらは先のもの比ぶれば、そこまでエキセントリックではなさそうであったが「上古の庭」よりは気に入った。↓がそれである。

 

 

 まあ、先に挙げた松尾大社のメインのほうの庭園などは、池や川の水よりも水っぽいというか存在感のある水である。

 

体験上の偏差値は、

「曲水の宴」が59、「上古の庭」が39、「蓬莱の庭」が54くらいに感じた。

 

 ええと、「重森三玲庭園美術館」などがもっと別の離れた座標にあるようだが、そこの画像をwebで見ると、かなり良さげで、どう考えても偏差値70以上はありそうである。

 

 そもそも、庭園の対象はどう表記するのか難しい、松尾大社の場合は3つあり、南禅寺や大徳寺などの大規模なお寺には「◯◯院」などが多いため、松尾大社や南禅寺だけでは対象が曖昧なのである。

 

 

「水っぽいぞお前」などというセリフは昔のドラマでありがちだが、これは血液の濃度が薄い人のことを言っているのであって、お身体の心配をしているのである。

 

 次が、本番の西芳寺へ向かうのである。

 

 ここでカミーユ・レオンハルトの「本番」にまつわる名台詞をここで紹介したいところであるが、◯◯を表記すると苦情が来そうなのでそれを割愛することにした。

 

「本番には興味ないんだよ! ◯◯だよ!」

 

 キャバクラエイトたちも、喜んでいることであろう。