銀閣寺~(哲学の道)~法然院 | 京都 de 茶の湯 / 西方庵

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京都・嵐山近くで、四季の移ろいを愛でながら茶の湯を楽しんでいる侘び茶人・ 笹峯宗桓のブログです。400年以上の歴史を持つ鹿児島示現流兵法の門友として、鍛練に励んでもおります。

中学の同窓会の旅行先が京都に決まりましたので、現地在住の私が所要時間を確認するために、候補地を歩きました。

学生時代に住んでいた界隈ですが、再発見することもありました。

「銀閣寺前」バス停(白沙村荘の横です)。

「銀閣寺道」のバス停は更に西300mほどでしょうか。

「銀閣寺」と「哲学の道」の分岐点。左が「銀閣寺」への道。土産物店が並んでいます。

「銀閣寺」の門の前。いつもは混雑するのに観光客が少ない・・・。

門を入って右に曲がると受付です。

拝観料を納めて、次の門を入り、中庭を通ると「銀閣」(観音殿)が目前です。

銀沙灘、向月台の向うに国宝・観音殿

現代日本建築の基となった「同仁斎(どうじんさい)」のある国宝・東求堂。

本日は拝観はありませんでした。春秋などに特別拝観期間があると思います。

苔と青紅葉の庭越しの東求堂(東面)

拝観順路の、青楓、竹、銀閣寺垣

見晴らし道からの全景

銀閣寺を出て5分の「哲学の道」に来ました。終点の「若王子」まで行きます。

京都帝国大学の哲学の教授であった西田幾太郎先生が逍遥したので、名付けられたと言われる「疎水(そすい)」沿いにある小道です。

 

明治維新で東京へ遷都して沈滞した京都を活性化させようと、琵琶湖から水を引いのが「疎水」。当時としては大工事・難工事だったそうです。

その水を利用して、日本初の水力発電所、その電気を利用した日本初の市電、琵琶湖からの水運(物流)のためのインクライン(急坂で荷を積んだ舟を上下へ移動させる装置)の設置など、産業界・経済界の活性化が図られました。

 

そう言えば、これから向かう「岡崎」地区は、日本初の博覧会の会場として開発されたところ。今でも、京都の文化・教育の中心的ゾーンです。富豪の別荘地でもあったので、現在でも広壮な邸宅が立ち並んでいます。

桜・紅葉の並木の青葉が綺麗です。

春には桜並木、秋には正に錦秋になります。

琵琶湖から来たのか、鯉も数匹泳いでいました。

「疎水」の水は、サイホンの原理を使って鴨川(高野川)の下を通って西の方へも流れています。

法然院への分岐点「洗心橋」です。左へ橋を渡ります。

橋を渡ると登り坂

突き当たりを右へ

100mほど真っ直ぐ。前を行く人はフランスから。

左が「法然院」の入口です。立っている人は韓国から。

右の階段を登ります。

 

茅葺の門が見えてきます。

風情のある門です。

門を入ると直ぐに「白砂壇」の間を通ります。

この「白砂壇」には水の文様が描かれていて、心身を清めて浄域に入るという意味があるとか。

門の内側からの眺め。心が安らぎ、浄められるような思いがします。

小鳥が清水をいただいていました。

建物の中には入れませんが、庭から仏様を拝むことができますので、御縁を感謝して拝させていただきました。

 

私のフルートの先生は、毎年、この御本堂でコンサートを開かれますので、風情ある中で、良い音色を聞かせていただいています。

昨年は、前日の大雨で境内一帯が水浸しになりましたが、コンサートの時間には飛び石伝いに行くことができました。着物・袴姿だったので、少々難渋しましたが。

山深いところにありますので、山水が豊富に出るようです。

「法然院」を出て、「哲学の道」の「洗心橋」に帰って来ました。

所々に、このように休憩用に石の長椅子が置かれています。

(続きは、次号を御期待ください。)