広島県尾道市の歯医者さいだ歯科医院の齊田健一です。

 以前、2022年9月出発のトルコ旅行を申し込んでいたところコロナ第7波のため旅行会社がキャンセルしてしまい行けなくなっていた。この度インターネットで調べたところ「ターキッシュエアライン&トラベル」が募集している「トルコ周遊8日間ツアー」を見つけ参加することにした。

    

 トルコと言ってもあまりなじみがなく中学の音楽授業で軽快な「トルコ行進曲」を聞いたのが初めてトルコを知ったのでは無いかと思う。

その後、高校の歴史などでオスマントルコのことを習ったり、日露戦争で日本がロシアの「バルチック艦隊」に勝利したことでトルコ人が海軍大将「東郷平八郎」の名前から子供の名前に「トウゴウ」と付けたり、通りの名に「東郷通り」をつけていることを聞いたことがあった。

 そして2015年日本・トルコ国交樹立125周年を記念して日本・トルコ合作映画「海難1890」が作られ、2015年12月に封切られた。それに先立ち、トルコを訪れていた当時の安部首相とエルドアン大統領が11月、一緒に映画を鑑賞したニュースが流れていた。

この映画は私も封切られるとすぐに観に行き、私のブログ(平成27年12月6日)でも紹介した。一部ブログから転用すると

    

『日本よりおよそ9000kmも離れた、アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる1つ の国、トルコ共和国。かつてオスマン帝国として歴史に名を刻んできたその国と日本は、長きに渡り交流を深めてきた。そして2015年、日本トルコ友好 125周年を迎える。遥か海を越えた両国の友好には、歴史の裏に隠された2つの知られざる物語があった―。

 1890年9月、オスマン帝国最初の親善訪日使節団を載せた軍艦「エルトゥールル号」は、その帰路の途中、和歌山県串本町沖で台風のため海難事故を起こし座礁、大破。乗組員618人が暴風雨の吹き荒れる大海原に投げ出され、500名以上の犠牲者を出してしまう。しかし、この大惨事の中、地元住民による献身的な救助 活動が行われた。言葉の通じない中、避難した小学校では村中の医師が集まり応急手当を行い、台風の影響で残りわずかな蓄えにもかかわらず、食糧や衣類を提供。そのおかげで69名の命が救われ、無事トルコへ帰還する事が出来たのだ。この出来事によりこの地で結ばれた絆は、トルコの人々の心に深く刻まれていった。この軍艦「エルトゥールル号」の話は聞くところによるとトルコの小学校の教科書に載って長い間語り継がれて来たとのこと。

 そして、時は流れ1985年、イラン・イラク戦争勃発。サダム・フセインのイラン上空航空機に対する無差別攻撃宣言によって緊張が高まった。この宣言後、 在イランの自国民救出の為、各国は救援機を飛ばし次々とイランを脱出。しかし、日本政府は救援の為、自衛隊機を出すことが自衛隊の海外派兵となり憲法違反と判断し救助要請に応えなかった。またJALも乗務員の安全が確保できないと判断し救援機を出さなかった。テヘランに残された日本人は215人。メヘラバード国際空港で誰も助けの来ない危機的状況に陥り絶望の淵に立たされた。この状況を打開すべく、日本大使館はトルコへ日本人救出を依頼。トルコ大統領オザル氏は、それを快く承諾。まだ500人近くのトルコ人がテヘランに残っていたにも関わらず、日本人に優先的に飛行機の席を 譲ったのだった。』

このことで私はトルコに大変興味を持った。

 それともう一つ高校の世界史でトロイの遺跡をドイツ人のハインリヒ・シューリマンがギリシャの詩人ホメロスの叙事詩「イリアス」にでてくる伝説上の都市と信じられていたトロイを、これが実在したと信じ続け、私財を投げうってついに発掘した話を習った時、是非トロイを訪れてみたいと思っていた。

恥ずかしながらまさかトロイがトルコ共和国にあるとは露知らず。数年前に知ってトルコ旅行にトロイが含まれているツアーを選択した。

    

 ただし私のこのツアーはトルコ航空の旅行会社が企画したため、集合は現地イスタンブール空港出口のすぐ右側に有る「バーガー・キング」の前とのこと。日本のオフィスに電話したら私たちのプランで関西空港から出発される方は私たち夫婦2人だけとのこと。少々心配であったがイスタンブール空港に着いてからの道巡を示した地図などがインターネットのマイページに掲載され、また飛行機の切符もEチケットで掲載されており印刷をして持って出かけた。

 5月19日新尾道駅を14:21の「こだま」で出発、福山で「のぞみ32号」に乗り換え、新大阪で関空特急「はるか」に乗り換え無事関空についた。少し早かったため1時間ほど待つ。

    

 当日の関西空港国際便出発ロビーはものすごい人で、ほとんどが外国人。日本語はほとんど聞こえず韓国語や中国語などが飛び交っていた。円安の関係で旅行客が増加しているとニュースなどで聞いていたが、ここまですごいとは思わなかった。1時間ほど待ったところでトルコ航空のカウンターが開きチェックインした。スターアライアンス加盟航空会社のためANAのラウンジで少し時間を過ごす。

     

 21時頃搭乗口前に集合したところ放送が流れ家内が搭乗口に呼び出された。家内が搭乗口まで行くと家内の座席のモニターは画像はでるが、音声が故障のためでない。そのため搭乗前にその事が家内に通知され、それに文句を言わない様に誓約書にサインをさせられた。それに対して粗品の一つも無い、とんでもない。

 21:45イスタンブールに向けて離陸。1時間ほどで食事が出たが、言葉はあまり通じず英語のメニューを観ながら私は寿司を頼む。渡辺憲が出演している映画「GODZILLA(ゴジラ)」を観て寝た。

    

トルコ時間午前3時(日本時間朝9時)前に朝食として機内食が提供された。その時モニターで飛行ルートを観ていったら丁度黒海の南側を飛行しており、地図には手前に2014年冬のオリンピックが行われたロシアのSochi(ソチ)、その上方にはウクライナの首都Kyiv(キーウ)が書かれていた。しばらくして黒海の北側にYalta(ヤルタ)が表示されていた(写真では右側)。Yaltaはクリミヤ半島に有りこの飛行機の現在地から300㎞程のところ(広島と大阪間)である。正に今この時間もロシアとウクライナは戦争をしている。自分たちは戦場横の安全な場所にいて朝食を食べていることに有難さを感じた。

 さらにこのヤルタでは1945年2月にイギリスのチャーチル首相、アメリカのルーズベルト大統領、ソ連のスターリン書記長による会議が行われ、ソ連対日参戦と第二次世界大戦の戦後処理についてヤルタ協定を結んだ場所で、現在の日本の形が作られる出発地点である。

 現地時間4時半(日本時間朝10時半)前頃、無事イスタンブール空港に到着。少し予定より早く着いたようだ。正に「飛んでイスタンブール」であった。

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