古巣を懐かしむような感覚でamebloに立ち寄ってみて驚いた
Twitterが無い頃はブログがSNSのような立場で
ある時期になるとブログの更新が疎かになりTwitterが活発になり
今となってはそのTwitterすら殆ど呟かない
なんでなんだろうかと不思議に思って考えてしまった。
今、映像の仕事で三重の方に出張に来ている。
宿の中は常時換気扇が回り、無機的な空間。
コメダ珈琲のモーニングを楽しみに支度をしながらこのブログを書いている。
昨日、移動中の新幹線で久しぶりにTwitterを書き殴った。
「変身-METAMORPHOSIS」の配信販売が終了するからそれまでになんとしてでも各キャストとその役についてを書きたかったからだ。
なんで今まで書けなかったなだろうかと、宿についてからも考えた。
書きたくなかったわけでもない。
言いたいことや伝えたいことは沢山あった。
だが何故かそれが出来なかった。
なんでだろう。
やり方なんていくらでもあるわけで・・・
amebloを訪れてページを開き
ああ、と感じたのは
Twitterはノイズが多過ぎると思った
このノイズが多いことが特徴になっているけど、どうにも自分の性に合わないことに気づいたのだ。
書きたいことを書くだけ書く。
それでこれまでは良かった筈。
ツイートしようとタブを開くと、書けない。
書きたくなくなる。
そんな事ばかりで、開くことさえほぼなくなってしまった。
無意味な雑音にさようなら
という気持ちだ。
amebloを開いて思った。
まあいい意味で好き放題書いてる。
自分もそうだし、そこに溢れるランキングもそうだ。
ブログってそういうもんだったような気がする。
文字で何かを書くこと=有益な情報でなければいけないという観念に囚われていたように思う。
別にそんなことないのよ。
人は何かを選んでるわけでそこに選ばれようとしなければいいのだよ。
ピンとくるものがあるから選んだり好きになったりするわけなのだから、自分の好きなものや好きなこと。自分にしか出来ないことを愚直にやればいいんじゃないのさ。
シンプルな答えなのにも関わらず、
やはりノイズが多いと振り回されてしまうのだ。
自分と向き合える時間や場所を大切にした方が結果、人や環境を愛せる。
4.16の南図書館でのイベント終了後のSAI。