週刊今川氏真詠草&おんな城主直虎の不都合な真実 Vol.13 2月2日号
(2020/01/27-02/02)

 

二月になりましたが、今宵も『#おんな城主直虎』第11話「さらば愛しき人よ」のお話をば。今週はぶりさんとのやり取りから男のそれがしでは気づかない女性の視点を学びました。『おんな城主直虎』でもそうでした。

 

では第11話のお話。
前回あわや瀬名処刑か、という場面で登場した騎馬武者、石川数正でした。


ドラマでは瀬名は寿桂尼の意向で処刑されかけましたが、そういう史実は見あたりません。


この時期の寿桂尼には政治に関与した記録はなく、氏真が当主としてバリバリ仕事をしていました。


『今川氏真詠草』に慣れ親しんでいるそれがしは、築山殿に並々ならぬ想いを抱いていたはずの氏真さんは築山殿と家康の婚儀から、家康の離反、人質交換までさぞ苦悩しただろうと思います。


氏真にとって築山殿は特別な女性なので、処刑はできなかったでしょう。家康の離反に対する氏真の反撃が鈍かったのも、築山殿への愛情が足かせになったのかもしれません。


一方で、氏真が三河は今川家にとって本来の領土ではないと思っていたため、三河進撃に積極的ではなかったかもしれません。


最近戦国時代は、昔思われていたほど弱肉強食ではなかったという視点からの研究が増え、戦国時代にも伝統的権威や筋目を重視する人々が多数派であったように思います。


今川家の場合、駿河遠江両国までは代々今川家が守護に任じられてきた正当な領国ですが、三河以西はそうではなく、義元の場合、家康の父松平広忠の岡崎復帰支援や織田信秀による今川氏豊の那古野城奪取をきっかけに三河への関心を持ち、信秀の三河侵攻からの松平支援を名目に三河進出を加速していったと思われます。


桶狭間の戦い以後主要な今川拠点が陥落し、大原資良が吉田城開城の交換条件として家康の異父弟松平康俊と、酒井忠次の娘おふうを人質として受け取り、和睦が成立しました。


氏真は、以前将軍義輝から和睦勧告を受け、家康がこの頃までに三河守に任官したこともあって、三遠国境を幕府も朝廷も是認した国境として受け入れたように思われます。


以前はあっさりと和睦をしたり、積極的に対外侵略せずに滅びてしまった大名を暗愚として切り捨てる傾向がありましたが、いわゆる「戦国大名」たちの領国意識や、正当性認識をきめ細かく検討していく事が大事だと思います。


さて、ドラマに話しを戻します。石川数正は、家康の譜代の家臣で、後に嫡男信康の家老的存在となります。後に秀吉との和睦に抵抗する徳川家中を見限って、秀吉の許に身を投じました。『直虎』では後に築山殿の最期に秘めた想いを告げましたが、実際にはどうだったのでしょう。


数正は駿府の築山殿母子の許に駆けつけて、人質交換に成功しましたがこの時築山殿母子と交換されたのが、鵜殿長照の子、氏長と氏次です。鵜殿長照の母は今川氏親の娘とされますので、今川氏真にとっては従兄弟。そして、「もう一人のおんな城主」お田鶴の方=引間城主飯尾連龍の正室が鵜殿長照の姉妹です。


従って、氏長と氏次は氏真さんとお田鶴の方双方にとって甥になりますね。


なので、この人質交換には直虎よりも、お田鶴の方の方が強い思い入れがあったと思われます。


『おんな城主直虎』はそれがし史上最高の大河ドラマと思っていますが、一番残念だったのが、このお田鶴の方の不在です。


『直虎』は脚本家が大河ドラマ史上屈指のネタ不足に苦しんだドラマと思いますが、お田鶴の方が登場していれば、面白い内容が数話分できたと思います。


まず、駿府ではおとわ、瀬名、お田鶴の三人娘の話しが作れたでしょう。悩みなき三人は後に、戦国の動乱に巻き込まれて、波乱の人生を歩むわけです。


さらに、お田鶴の方の夫飯尾連龍が煮ても焼いても食えない男だったようで、家康について今川家に背き「遠州忩劇」と呼ばれた今川家への反乱の台風の目になります。


しかし、飯尾連龍は三河一向一揆発生で身動き出来なくなった家康の支援が得られなかったせいか、氏真に詫びを入れて赦免されます。


しかし連龍は間もなく家康と密会して再び謀叛を企んだため、氏真に駿府に呼び出されて謀殺されてしまいます。


お田鶴の方はこの時駿府で連龍と共に討たれたとも言われますが、引間城のおんな城主となり、後に遠江に侵攻してきた家康から降伏勧告を受けても拒絶し、壮絶な討ち死にを遂げたという「椿姫伝説」の方が有名です。


お田鶴の方夫妻が登場すると、直親の死や直平おじじ、中野直由の死のエピソードも中身が濃いものになったと思います。


ただ、登場人物が増えて複雑になる、お田鶴の方本人が江戸時代の系譜や逸話に登場しても一次史料二は登場しない、などの理由で登場させなかったのかもしれません。


さて、今回氏真さんは寿桂尼に叱責されて逆ギレしてましたが、自暴自棄な氏真さんというのは、あっけない今川家崩壊を知っている後世の人の創作です。


一方寿桂尼は、凄味のある策謀を巡らして、ニセ家康を使って直親を鹿狩りに誘って密会させ、直親書状という動かぬ証拠を政次に突き付けます。


史書では直親の鹿狩りと徳川方との密会を小野但馬が密告したことになっています。寿桂尼は出てきません。


ドラマでは次郎法師と寿桂尼のおんなの戦いなわけです。


目付でありながら直親に加担していたのか、と疑った後の寿桂尼の言葉が秀逸でした。


「答えを、選ばれよ」


ノベライズでは、「選ばれよ」に傍点が振ってあり、寿桂尼は「ぞっとするような冷笑」を浮かべていたとあります。


つまり、寿桂尼は、政次と直親や次郎法師との絆を知った上で、今川家のための目付として直親を裏切れ、と言うんですね。


なかなか凄まじい『直虎』名場面のひとつだったと思います。


家康への内通発覚後井伊家では次郎法師が岡崎の瀬名に助けを求めて拒絶されたり、直親が皆に別れを告げたり、切ないシーンが続きました。


江戸時代の史書の短い記述からは、直親は取るものも取りあえず弁明に赴こうとしたところ、掛川城下で城主の朝比奈泰朝の手勢に襲われて命を落としたようです。


しかし、別れを嘆く時間があったらこうだったのだろうか、と思われて、感慨深いものがありました。


今宵はここまでにしとうございます。以下は過去ツイート再掲です。

 

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今日も氏真さんの一首を。

 

 述懐の哥の中に
人次に世を安かれと祈るかなうき身ひとつの捨て難きより(6―118)

 

天正七年(1579)幽斎類歌「いそち」の一首直前の歌。安寧を願う真情を吐露したが、築山殿が横死しその願いは叶わなかった。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ

 

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今日も氏真さんの一首を。

 

 花は処〱咲はしめて余寒ふかし
朝な〱薄雪計置霜にさすか春知庭の下草(1―170)

 

天正三年(1575)二月下旬、「旅枕」を涙で濡らした後、気を取り直して余寒の中の春の到来を詠んだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ

 

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妹隆福院と母定恵院を立て続けに失った氏真は、この世の無常を感じ、その無常感が詠草にも現れるようになったかもしれません。
亡き母を追慕する氏真と、季節の贈り物をくれる瞼の母との再会を夢見て頑張る家康も対照的ですねえ。於大の方の使者を妨害しなかった今川家はやはり優しかった?
#今川氏真


御意(^^)
「#おんな城主直虎」の「おなごは血など見慣れておるからのう」「私たちはスケコマされたのでございます!」も男性脚本家では絶対書けない名セリフでした。
直虎も直親正室宗徳も貞淑で、文句を言わず直親の遺児直政のために尽力したイメージで語られますが、女性の視点が新鮮でした。

 

 

今日も氏真さんの一首を。

 

 雑廿首
 籬竹
千尋ある籬を陰の庵かな玉の台を世の外に見て(5―82)

 

天正十五年(1587)細川幽斎玄旨と里村紹巴に和した百首の一。不遇を嘆くこともあったが、富貴を求めて権勢に媚びる気はなかったようだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


御意(^^)

 


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今日も氏真さんの一首を。

 

 寄身述懐
いかなれは咎あるたにをゆるす世にをかしなき身のたゝすも有かな(5―93)

 

天正十五年(1587)?秀吉政権?に伊勢国神戸に抑留?されて潔白な「をかしなき身」の不遇を嘆いた。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


うほ!そうきましたか!?
氏真と家康と築山殿!!!
海音寺潮五郎さんが『太閤記』で家康の母性に対する飢餓感が築山殿と年子=信康と亀姫を立て続けに作ったのだろうと書いてましたよ(^^)
それがしは若い頃の家康は築山殿の元カレ氏真に対抗心を感じていたと思います(^^)


正直それがしは氏真目線だけで考えていたので、築山殿=ララァ=悲劇的な死で心に焼き付いてしまった女性、早川殿=ホワイトベース=帰れる所、「こんなにうれしいことなない」ばかり見ていました。
やっぱりそれがし男なんだなあ。
今日もぶりさんの女性ならではの視点に学ばせていただきました!


超北海道&超石川県で測定不能w

嵯峨良蒼樹さんっぽい47都道府県は、
https://shindanmaker.com/chart/962681-f6155678d6fef4b2f9616298fc589bc7b0979c62
北海道です。
#あなたっぽい47都道府県 #shindanmaker
https://shindanmaker.com/962681

 

 

 


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ツンデレと言っても、「べ、別にあんたのことなんか好きじゃないからね!」みたいな厨二病的ツンデレではなく、大大名北条家の支援に期待して媚びることはなく、弱音も吐かなかった、くらいの意味です。
氏真は早川殿には上機嫌で歌を詠み聞かせたりしていたんじゃないでしょうか。(続


氏真さんは強がっていい所ばかりを見せようとし、早川殿は蔵春院の戒名らしく、温かく受け止めていた、という印象です。
「旅枕」の涙雨、というのは、早川殿から離れた独り寝で泣いていたのでは。
築山殿はララァ的存在で早川殿は「帰れる場所」だったのかな?
https://youtu.be/EhjjU3PULn0?t=5m8s

 


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直前に藤原定家が昇格できなくて嘆く歌を本歌取りしてるので、領国を失った後の流転漂泊の人生を嘆いているようです。
早川殿に対しては結構ツンデレと思います。大家北条の姫に媚びるように見えるのは嫌だったかも。でも早川殿死後に「あらましの」の一首で(´;ω;`)ブワッとなったのでは。


北条氏政が甲相同盟復活を決めた後、氏真は家康を頼って浜松行きを決めた。早川殿が氏真についていくと決めた時、
「よいのか?死ぬかもしれぬぞ」「どこまでも殿についてまいります」みたいなやり取りや、タイタニック的船上ロマンスがあったかもw氏真にとってなくてはならぬ女性になったでしょう。

 

 

今日も氏真さんの一首を。

 

庭の面に雨降晴てみこしなる端山の近き夕暮の色(1―169)

 

天正三年(1575)二月下旬。旅枕を涙で濡らした翌日、美しい夕焼けを見て気を取り直したようだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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今日も氏真さんの一首を。

 

 夜より雨降てはるゝほとこもりゐる
夜な〱の露に馴たる旅枕猶催せる雨の音かな(1―168)

 

天正三年(1575)二月下旬。旅の枕を濡らすのに慣れているが、今宵もまた涙雨だ、ということらしい。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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今日も氏真さんの一首を。

 

 炭竃煙
諸人の冬の為なるすみかまはいかて煙を寒く立らん(2―68)

 

天正五年(1577)?冬、閑居の氏真には炭竃の煙を眺めて歌を詠む時間的余裕があったようだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


予想通り(^^)

#あなたが一年後も推してそうな人

_人人人人人人_
> 氏真 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄
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(2020/01/27-02/02)