週刊今川氏真詠草&おんな城主直虎の不都合な真実 Vol.12 1月26日号
(2020/01/20-01/26)

 

 

今宵も「#おんな城主直虎」第10話「走れ竜宮小僧」のお話をば。
前回奥山朝利を「誤って」殺害してしまった政次=小野但馬、龍潭寺に逃げ込み次郎法師に会って事情を説明します。


奥山朝利は娘が沢山いて、直親正室を含め井伊家の有力者たちに嫁いでいたので、直盛死後小野但馬と権力闘争をしたようです。


この時小野但馬が龍潭寺に逃げ込んだ、という記録はありません。これは史料をしっかり読み込んでいる脚本森下佳子さんの創作です。


龍潭寺が駆け込み寺のような、逃走者を保護する「アジール」的存在だった。これは「リアルもののけ姫」騒動でちょっと有名になった夏目琢史さんが強調していますが、今川氏真が龍潭寺に出した文書がしっかり根拠になっています。


氏真は、永禄三年(1560)八月、龍潭寺が井伊直盛の菩提寺となる事と数々の権利を認め、「悪党」が逃げ込んだ場合にも住職の承認なくして成敗しない事まで認めています。確かに「アジール」ですね。


今川氏真は、従来井伊家に対する圧制者として描写されがちでしたが、史料からは氏真は直盛の忠節を認め、南渓和尚が父義元の葬儀に導師の一人として参加した事に感謝していた事が分かります。


その後次郎法師や直親の働きで政次への攻撃は収まり、直親嫡男誕生。虎松、後の徳川四天王井伊直政です。
虎松誕生の祝いに政次は小野家がもらっていた直満遺領を贈ると言います。これも森下脚本の創作のはずですが、よく考えられています。


井伊家の内紛が収まったと思ったら、今度は家康正室瀬名と子供たちの危機!
桶狭間合戦後、夫松平元康が今川から離反したためです。元康はさらに今川義元の妹婿鵜殿長照まで倒してしまいます。


ドラマには出ませんが(残念)引間城主飯尾連龍の正室。お田鶴の方の兄です。


駿府に駆けつけて寿桂尼に瀬名たちの助命を願う次郎法師ですが、認められず、かえって瀬名と一緒に監禁されてしまいます。
いよいよ瀬名処刑という時に、早馬到着。


次郎法師は井伊谷徳政くらいしか史料がない人で、家康正室築山殿の助命嘆願も創作です。
直虎は、今までの大河主人公の中でも史料も創作も乏しい人物です。


そんな直虎関連史料を丁寧に読み込みつつ、その行間を丁寧にドラマにしていく。
そこが森下脚本の産みの苦しみであり、醍醐味でもあったと思います。
今宵はここまでにしとうございます。


以下は過去ツイート再掲です。


今日も氏真さんの一首を。

 

 遠山雪を
信濃路の雲のよそなる白雪を遠山松の梢にそ見る(1ー419)

 

天正四年(1576)冬。牧野城を出る決心をした後の一首。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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今日も氏真さんの一首を。


 嵯峨の千部も今とて往来障なし
そことなく花の陰行心こそ都の春のけしき成けれ(1―167)

 

天正三年(1575)二月清凉寺千部経の頃落ち込んでいたようだ。藤原定家の古歌を踏まえつつ、不遇を嘆いた。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


歴史的出来事があった時の氏真さんの喜怒哀楽が分かるのが、今川氏真詠草、特に「天正三年詠草」の面白い所です。
なお明智光秀が二月十三日に村井貞勝と千部経聴聞での狼藉を禁ずる禁制を出してます。「#麒麟がくる」で氏真登場!?
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ

 

 


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今日も氏真さんの一首を。

 

 浦眺望を所にのそみて
望なき世にもこゝろをとむるかな朝夕なきのうらめしの身や(6―123)

 

天正七年(1579)冬?「浦眺望」に対し「望なき」「うらめし」と詠む異様な一首。築山殿殺害への怨恨を詠んだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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今日も氏真さんの一首を再掲。

 

 月前述懐 当座
すてやらぬ望なりけり世中を有きても又むかふ月影(6―163)

 

天正九年(1581)冬。築山殿を殺した信長は憎いが駿河奪回のため信長の甲州攻めに乗った。月(築山殿?)に言い訳?
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ

 

 

今日も氏真さんの一首を再掲。

 

 月前述懐 当座
すてやらぬ望なりけり世中を有きても又むかふ月影(6―163)

 

天正九年(1581)冬。築山殿を殺した信長を憎んでいたが、駿河奪回のため信長の甲州攻めに乗った。月(築山殿?)に言い訳した?
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


「是非に及ばず」は、「事の善悪を論じるな」、この場合、光秀の謀反に憤る暇があったら、やれることをやろう、と家臣の興奮を抑える意味に思えます。
不本意な出来事に対する感情的思考を停止する、今でいうアンガーマネジメントだったのではないでしょうか。
信長はやはり傑物だったと思います。


グッドクエスチョンw(^^)
といいつつ、今川氏真詠草を読むと、『信長公記』の天正三年(1575)の氏真出仕、蹴鞠、河内出陣と一致しているようですので、太田牛一は結構リサーチして書いたようには思います。
でも丁寧に一次史料と突き合わせできない部分は本能寺も含め物語として扱うべきですね。

 

 

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今日も氏真さんの一首を。

 

 寒草所々
花にみし草の原より冬枯の数にさひしき陰の道芝(2―59)

 

天正五年(1577)冬?牧野城を出た後と思われるこの百首には氏真の落胆ゆえか、寂しげな歌が多い。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ

 

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よくできた掌編でおすすめです(^^)
高橋一生さんの政次で脳内再生すると、切なさが高まりますね(^^)
相変わらず素晴らしい想像力。
#おんな城主直虎
#今川復権


駿府と井伊谷は平地と山地で体感温度差を感じましたので同意。
井伊谷徳政史料では小野但馬は駿府滞在する一方「井伊次郎」説得を期待されていて、誰かの不平不満を避けられない損な役回りを演じていたのもおそらく事実。「嫌われ政次の一生」の切なさが感じられてよい掌編です(^^)
#おんな城主直虎

 

 

今日も氏真さんの一首を。

 

手もさゆる清滝川の春の水石はしる音や氷なるらん(1―158)

 

天正三年(1575)二月二十日頃 愛宕山麓の清滝川で石がぶつかるような音を聞き、水中で氷がぶつかる音と想像したようだ。
#今川氏真
#今川復権
#評伝今川氏真みな月のみしかき影をうらむなよ


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