嘔吐で完結~継承しつつ新たな領域へ | 音楽でよろこびの風を

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世間を騒がす夫婦音楽ユニット 相模の風THEめをと風雲録

よろこび製造所へようこそ!

 

相模の風THEめをとのダンナ

いしはらとしひろです。

昨日の夜は、嘔吐で苦しんだ。
同じものを食べた
ツマはなんともなかったから、
食あたりとかではなく、
僕の体の状態が弱っているところに、
ふさわしくないものを食べてしまった。
あるいは軽い風邪だったのか。
疲れがたまっていて、体の方から
休めよ、と言われたのか。

まぁいずれにしても。
それくらいで済んで良かった。

おかげさまで今は普通の状態です。
一日ゆっくり休みました。

なにかね
全部つながった気がするのです。
年末からこっちの色々なことが。

去年のクリスマスあたりから
年の最後の現場が
大変で残業続き。
早く体の疲れを
抜きたいなぁと思いつつ、
正月休みもいろいろあり、
疲れが抜けないまま
仕事始め。
ツマがインフルエンザになり、
その看病。

そして
このところ
ずっと書いていたように
年明けから母の具合が悪くなって
老人ホームへ入ったと思いきや
翌週すぐに入院。

そりゃ疲れるよなぁ。

でも
今日伝えたいことは
ここから、なのです。

母が老人ホームに入って
実家の母の寝室やリビングを
整理しに行きました。
体の状態が良くなって、
また戻ってくるにしても
色々と結構散らかっていたので
それは片付けた方が良い。

そうしたら
17年前に亡くなった父の
写真や、なんと死亡診断書まで
思わぬところから出てきました。
まぁ、父関連の
大事なもののいくつかが
出てきたわけです。

まずはそれを整理して
父の遺影の前に供えました。

父は感情をあらわにすることは
あまりない人でしたが、
でも、こんな状況には
怒るだろうなぁ、
ごめんなさい、
と、心の底から思いました。

大事な写真や書類が
ちゃんと保管されていなかった、
ということだけではなく、
散らかり気味のこの部屋で
母につらい思いを
させてしまった
ということにも。

そりゃ、怒るよな。
怒っていいよ、父さん。

母の老人ホーム入居から
落ち着く間もなくの 入院。

でも、入院で
とりあえずの一段落。

おととい母を見舞いに行った
その帰り。
父を喪った喪失感、というのが
なぜか急にやってきたのです。

もう亡くなって
17年もたっているのに。

父が亡くなった時はどうだったの?
もちろん悲しかったが
ここまで思うこともなかった気がする。

父が亡くなったとき。
余命宣告が出てしまい、
でも
それを父には伝えずに入院。
4ヶ月入院してなくなりました。
最後の二週間くらいは
意識も混濁状態で
見舞う方としても
つらかったです。

父が亡くなったときに思ったのは。
もっと生きている時に
やれることがあったのではないかな。
ということ。
ごめんなさい、という言葉が
結構長いループになっていました。

それからずいぶんと長い時がたち。

心の中での父との対話を
ずいぶんと重ねました。

おそらく生きているときに
交わした言葉の量より
多かったと思います。

そんなこんなで
亡くなって17年目に
感じた深い喪失感。

遅いよ、といわれても
仕方がないのですが。

その喪失感を感じた
しばらく後。
家に帰ってからです。

自分の中に父が
いるような気がしました。

僕はいわゆる霊感というのは
ありません。
そういう感じではなく、
父の想い、
正確には
後悔や
やりたかったけど
やれなかったこと、
思ったけれど、
その通りにはならなかったこと、
できなかったこと。

そんな想いが
僕の中に入ってきた。

というか
植え付けられたような
感じがありました。

喪ったことを
深く感じたからこそ
「じゃあ、これを引き継いでくれるか」
と言われているような。

父は太平洋戦争で
青春の一番いいところを
喪った人間です。
昭和20年の8月 
終戦直前に応召して
戦争が終わった後、
シベリアに3年
抑留されていた人ですから。

過酷だったであろう
収容所から
生きて帰ってきただけでもすごい。

その後の人生が
父にとってどれだけ良きものだったか、
あるいは大変なものだったか、
僕にはよくわかりません。

定年まで会社に勤め
母と結婚し、
僕という子供をもうけ
幸せだったのか。

ただ、
父が会社を辞めた後、
亡くなるまでの十数年間。

少なくとも僕の目から見た
父は幸せそうには
あまり見えませんでした。

これといった趣味もなく
人と交わることもなく。
脳梗塞を患った
晩年の4年くらいは
半寝たきりになってしまい。

ただ、晩年
デイサービスに
行っていたときの写真を見ると
結構楽しそうな表情を見せています。

ということは
家にいる時は
僕や母は、
こういう気持ちを起こすことは
できなかったと言うことなのかなぁ。

まぁ、でも
亡くなって
こんなに長い時間がたってから
言ってもしょうがない。

そんな父の想いの一部を
亡くなってから
17年後に引き継いだ。
それは息子の僕が
引き受けるべきことなのでしょう。

鎮魂、というやつが
遅ればせながら
今から始まるのかもしれないな。

そして昨夜の嘔吐です。
今まで吐き出せなかった
色々なものを ここで全部吐き出すんだ。

ゲロを吐いたのは体調不良、
あるいは
蓄積した疲労のせいだろうけれど、
これは今までの自分の
精神的な膿を吐き出すこと、
でもあるのだと
吐きながら強く思いました。

今までのよからぬことを全部吐き出す。
そして父から引き継いだものも
本来僕がやるべきことも
今まで以上に気を入れて
やっていく。

普通は
そういうこと
思わないじゃないですか。
嘔吐は嘔吐。

吐いている時に
そんな高尚なこと(笑)は
普通 考えませんよね。

多分この嘔吐は
母の体調不良や入院、
そして父から引き継いだ何か

そして自分自身の生き方。
これから。

言ってしまえば石原家の
これまでを 一度精算して
新たに立ち上げるための何か、
を象徴しているように思えたのです。

ただのゲロに
そこまで意味を持たせるの?
といわれたら
「ええ、そう感じたものですから」
と答えるしかない。

でも、ここから

大きな変革に入っていくと思う。

父と母とツマに感謝。

ありがとうございます。

 

 

 

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