母の死の1ヶ月後の父② | 相模野ナミ 父母の介護の記録2017年冬〜現在まで。記憶の記録。

相模野ナミ 父母の介護の記録2017年冬〜現在まで。記憶の記録。

宮城県在住だった両親の介護の記録です。
想像を超える事が多かったので、忘れないうちに記録しておこうと思いました。

神奈川県在住の56歳の主婦です。ドラックストアで登録販売者として16年勤務しています。
夫56歳、娘25歳、息子23歳、の4人家族です。

「ところで、お母さんは、どうしてる?」

父が、突然、静かに、聞いてきたのです。


私は一瞬戸惑いました。

でも、本当のことをそれとなく言ってもいい、と担当のお医者さまにも言われていたし、

いくら認知症ですぐ忘れてしまう父にでも、

そんな重大な事を黙っているのは辛かったし、


動揺しましたが、平然を装って、


「お母さんは先月、亡くなったでしょう。お父さん、忘れるからなあ、もう。」


と、困ったような演技もしながら、言いました。


すると父は、

「まだ、何言ってんの。そんな事、俺は知らないっちゃ〜。ほんとに?いづや?(何時だ?)」

と、ショックを受けた様子で、言ってきました。


私は、ますます、平然を装って、


「もう〜、何回も言ったのに。お葬式もしたでしょ。」


父→「まだ、ほんどにが?なんで?(また本当に?何で?)」


私→「身体弱ってて、寝たきりで入院してたでしょう?それで、老衰みたいな感じだよ」


父は、黙ってしまい、悲しそうな表情になりました。

そして、「嘘ばり言って。」と、言ってきたので、「本当だよー」

と言うやりとりを、3回くらい、しました。

私もさすがに、悲しくなってきました。

そして、暫く沈黙。


そして、

父→「お母さんは、最後になんか言ってだが?(何か言ってたか?)」

と聞いてきました。


私→「お父さんによろしくね。幸せだった〜って言ってたよ。」

と、作り話しをしました。

もう、話せなかった母ですから、本当にそう思っていたかは、わかりませんが。


すると父は、

「んだが…。(そうか…。)」

と言って、暫く涙を流し、目を覆ってしまいました。

 

また暫く沈黙のあと、

「お母さんは夢に出てくる?」

と、聞いてみました。


すると、父は、「出でくるよ。」

と即答。

やはり、そうなんだなぁ、と思いました。


そして、

お墓は、私に任せるから、よろしくな、と言われました。


家の売却の件も。


そして、「お母さんも亡くなったから、お父さんに私の住んでいる神奈川にきてもらおうと思うけど、どう?」


と聞いてみました。

すると、それは、「まだ、わかんねえなぁ」

と、その件は、半信半疑のようでした。


それはそうでしょう。

いきなり、母の死を告げられ、

退院後の事を言われても、認知症でなくても、

すぐに答えられる事ではないと思います。


でも、父は、

「家を処分するなら、

家にある俺の、アルバム、碁盤と将棋盤、掛け軸、母の着物、は、捨てないで欲しい」

と、それは、しっかり言いました。

昔の記憶は、本当にちゃんと、残っているのですね。


その日は、そんなところまで話して、

病院をあとにしました。


やっと、母の死を告げる事ができた。

私の心の中は、少し軽くなっていました。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

認知症で入院する、約1年前、2016年8月、作並温泉に父母私、私の息子娘で旅行に行った時。

父はこの時すでに、細かい所で様子はおかしかった。(認知症とアルコール依存症)

母は、もう完全に認知症で歩く事も大変だった。