宮城県に行って3日目の最終日、
2017年12月16日。
母に逢いに行きました。
母は、10月14日から、療養病棟のある総合病院に入院していました。
宮城県は、寒い寒い曇り空でした。
白鳥の来ている川の橋を通って病院に行きます。
あの冬の日のあの風景は脳裏に焼き付いています。
白鳥の鳴き声だけが響いていて、静かで、とても寒くて、寂しくて、美しい景色。
無人駅を降りて、20分程歩くと、母の入院している総合病院です。
タクシーも呼べば来てくれるのですが、時間に余裕がない時以外は、この景色が好きで、いつも歩いていました。
母はこの日でだいたい入院してから2ヶ月目です。
食欲が全く無くなり、
自ら食べる事をしなくなってから、2ヶ月目です。
周りの方や、看護師さんからは、食べなくなってから、3ヶ月くらいで、命に関わる事がある、とアドバイスして頂いていました。
療養病棟の病室は2人部屋で、逢いに行くと母は、眠っていました。
入院してから母はずっと点滴をしていました。
そして、食べていないので、全体的にとても小さくなっていて、歩く事をしなくなったので、特に足はとてもか細くなっていました。
この時は、「お母さん」、と声をかけると、気づいて目を覚ましてくれました。
だけど、私をすぐには認識できなくて、でも、
知ってる顔だな、とわかったようでした。
「私、わかる?」って聞いたら
「わかるよー。ミキ(姉の名前)だっちゃー。」
「違うよー。ナミだよー。」
姉の名前が最初に浮かんだようでした。
姉は、母の、最初の子供。
我が子はみんな愛しいけど、最初の子は、特に、特に心に強くあるのだと思います。
私も、母なのでわかります。
だから、最初に姉の名前が出てきた事、私は悲しくも寂しくもなかったです。
「大丈夫?」と聞くと、母は、
「大丈夫だよ〜。私、泣かないもん」
って、言ったんです。
母は、若い時からなんでも、我慢してしまう性格で、でもだんだん話しを聞いていくと、愚痴をこぼしだして、我慢してるんだなぁ、ってわかることが多かった。私たち娘に話して、楽になっていたようだった。
入院の日々は毎日、沢山、我慢してるんだろうな。でも、話すことも出来ないから、辛いだろうな。
私は、自分の近況や、私の子供たち(母にとっては孫)の話しをして、
それから、私は、趣味で歌を歌っているので、
録音した自分の歌を、スマホを母の耳元に当てて聴いてもらいました。
母の目が驚いたようにパッと大きく開いて、とても熱心に歌を聴いてくれたんです。
そして、「上手だっちゃー」
と、言ってくれました。
そして、それが、私の歌を聴いてもらった最初で、最後でした。
母は、その翌月、ほんとに、食べれなくなってから3ヶ月で、天国にいったのです。
歌を聴いてもらって、少し母を撫でて、握手して、「じゃあ、また、くるね」
と言って帰る時、
母はずっと私を見ていました。
少し寂しそうに。
あの時の顔は鮮明に覚えています。
私は、この日が最後になるなんて、思っていなかったから、明るく手を振って別れた。
今思えば、母は、わかっていたのかもしれない。
歌を聴いてもらえて、ほんとに、ほんとに良かったと思いました。