さがみはら九条の会ブログ

~子供たちに引き継ごう 戦争をしない国を~
かつて軍都だった相模原。敗戦後、それらの施設に進駐した米軍。
今も相模総合補給廠やキャンプ座間の基地強化が図られています。
私たちは憲法をしっかりと守り、日本中に世界中に、力を合わせて平和を発信していきましょう。


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 今、改めて、2007年6月16日さがみはら九条の会発足のつどいでの『アピール』を読み直してみました。


 戦争法は「成立」したけれど、私たちは今までにもまして、新たに、着実に、前に進んでいきましょう!!


 皆さんもじっくりこの「アピール」を読んでみてください。

 さあ、闘いはここから、闘いは今から!!


 さがみはら九条の会アピール

戦争はしない 戦力も持たない と約束した憲法が

もしも なかったとしたら・・・・

あなたは そんなことを考えてみたことはありませんか

だって60年前までは 侵略戦争をする国日本により

アジアの人びとの尊いいのちが奪われ

沖縄や広島・長崎 そして各地の大空襲などの

悲劇が生じたのです

計り知れない犠牲の上に 国民主権や基本的人権を

保障した民主的で平和的な日本国憲法がつくられ

私たちは自由にものを考え 自由に発言し

自由に行動することが できるようになったのです

そして もう戦争はしない 戦力も持たないと

九条で しっかりと約束したのです

ところが 占領下に押し付けられたものだからとか

時代に合わなくなったからと

憲法を変えようとする動きが

かつてない規模と強さで台頭しています

その意図は 九条を変えて

日本を ふたたび戦争をする国に変えるところにあります

憲法を変えて 戦争の泥沼に進むのか

それとも 憲法を守り通し

九条がめざす戦争のない世界を

平和を愛する世界中の人々と共に 築き上げていくのか

今 私たちは大きな選択を迫られています

私たちは 今日ここに

「さがみはら九条の会」を結成しました

かつて軍都だったこの相模原

敗戦後 それらの施設に進駐した米軍が

今も 相模総合補給廠やキャンプ座間などから

イラク戦争などに発進し さらに米軍再編戦略の中で

基地の強化が図られつつあるこの地で

私たちは憲法をしっかりと守り

日々の暮らしの中に生かし                            日本中に 世界中に 力を合わせて                         平和を発信していきましょう


2007年6月16日

さがみはら九条の会発足のつどい




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「『戦後70年』さがみはら九条の会の決意」を掲載します。


 2015年9月1日発行のさがみはら九条の会ニュース第32号の1ページ~2ページに掲載したもので、私たちの「70年談話」として、決意を述べたものです。

 戦争法(安保法制)が成立した今、この決意を改めて確認し、“子どもたちに引き継ごう 戦争をしない国を 基地のない国を”の活動を、着実に進めていきます!!


 『戦後70年』さがみはら九条の会の決意


戦前から戦後70年まで続く基地のまちの歴史を記憶し、


未来に戦争をしない国の在り方を引き継ごう!

                


軍都化と農地の接収


 1937年、北京近郊の慮溝橋で関東軍が引き起こした軍事衝突を機に、日中戦争が始まった。この年、相模の地に陸軍士官学校と練兵場が設置され、天皇の閲兵のために「行幸道路」が敷設された。天皇はこの地を相武台と名付けた。翌年には、東京第三陸軍病院、相模陸軍造兵廠、陸軍兵器学校と次々と軍事施設がつくられた。陸軍士官学校では、陸軍の幹部を養成し、造兵廠では戦車の部品の製造と修理が行われた。陸軍病院は傷病兵を治療し、再び戦場に送り出す軍事施設であった。文字通り、相模原は、日本軍の中国大陸侵略、さらにはアジア太平洋戦争の中軸の兵站基地となった。 これらの軍事施設の広大な用地確保のために、農民の畑地の買収が行われた。農民は村民大会で反対の声を上げたが、軍部による強制収用のおどしに抵抗しきれず、安い価格で生業の基盤の農地を売り渡さざるをえなかった。


強制連行と強制労働の歴史をもつ相模ダム建設


 相模原地域は台地であり、水資源が乏しい地域だった。軍都に集積される人々の生活基盤の整備として上水道の確保が緊喫の課題となった。京浜工業地帯での軍需産業のための電力と工業用水の確保を目的として相模川河水統制事業が計画され、1939年に相模ダム建設工事が申請され、翌1940年に認可、工事着工された。地元では土地不売同盟がつくられるなど住民の抵抗運動が起きたがこれを押さえ込んで進められた。徴兵による建設労働者不足対策として、学徒動員、朝鮮半島から強制連行された人々、日本軍により捕虜となった中国人兵士が厳重な逃亡監視のもとで、過酷な突貫工事労働に従事させられた。延360万人の作業者のうち朝鮮出身者が6割をしめ、中国人捕虜は287名であったと言われている。83名の労働者が工事現場で命を落とし、この中には中国人23名、朝鮮人18名が含まれていたと 記録されている。

 1945621日、軍需省は「戦局の情勢にかんがみ」この建設工事を停止する通ちょうを発したが、米軍の相模湾上陸作戦に備えて、日本軍部が相模ダムを破壊して、県央地帯を水で押し流してしまうという戦法をとっていたと伝わっている。

 相模ダムは1947年に完成し、神奈川県の重要な水資源として私たちの生存の基盤となっているが、私たちは、侵略戦争遂行の遺産であることを記憶し、伝えていかなければならない。


敗戦後の占領軍による基地接収と恒久化


 815日、天皇はポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争が終結した。1872年徴兵令、1894年日清戦争以来続いた他国の侵略戦争に動員されて戦死した相模原の出身者は1400名前後と推測されている。戦後は、占領軍の駐留下による日本の軍部解体と民主化を柱としてスタートした。194753日、わが国は、九条を柱の1つとする日本国憲法を施行し、軍隊をもたない平和国家としての戦後を歩み出した。

 ところが、1948年朝鮮が南北に分断され、1950年に戦争状態となり、占領政策が大きく転換した。これに伴い、占領軍に接収された相模原地域の日本軍基地は在日米軍基地として恒久化に組み込まれ、現在も米軍キャンプ座間(旧陸軍士官学校)、米軍相模総合補給廠(旧相模陸軍造兵廠)、米軍相模住宅地区(旧電信第一連隊)が極東・中東を含むアジア太平洋における米軍の兵站基地・前線司令部として位置づけられている。



ベトナムへの戦車闘争の歴史


 1964年、米軍はトンキン湾事件を仕組んで北ベトナムへの爆撃を開始した。1972430日、ベトナム戦争で破壊されたM48戦車など戦闘車輌が相模総合補給廠に運び込まれ、修理され、再びベトナム人民を殺戮するために搬出されている事実が報道された。ただちに相模原市が、ベトナム戦争と直結した形で、大量の戦車の修理再生のため、基地が使用されることは基地の使用目的に反する行為であり、即時中止するよう強く要求する、と抗議をした。515日、大規模な市民の抗議行動が始まり、520日には西門前に監視センターが設置され、戦車闘争の拠点となった。相模原市及び横浜市は当初市道使用許可を拒絶し、相模総合補給廠から大型トレーラーで運び出されたM48戦車5台が横浜市村雨橋で車輌重量規制の法律と座り込みのたたかいでストップし、引き返しとなった。しかし、9月になり両市長とも日米両政府の圧力のもと突如方針を転換し、市道の使用許可に応じてしまった。そして、118日、警察機動隊が西門ゲート前に座り込みをしていた労働者、市民、学生を強制排除し、ジュラルミンの盾で守られながら、M48戦車が搬出強行された。たたかいは終わったが、米軍と日米両政府を相手にした労働者、市民のたたかいは「流す汗の一滴、一滴は、ベトナム人民の血の一滴を救う。」とたたえられた。


基地を取り戻し、住民福祉に活かす


 戦前の陸軍、戦後の米軍の侵略戦争の兵站の拠点となってきた相模原の基地を取り戻すたたかいが連綿と続いている。東京第三陸軍病院は国立相模原病院に、相模陸軍造兵廠附属の病院は相模更生病院に、陸軍士官学校練兵場は北里大学・相武台団地・相模原公園等に、陸軍兵器学校は麻布大学・大野北中学校・大野北小学校等に、陸軍通信学校は相模女子大学・相模台工業高校、大野南中学校・谷口台小学校等に、相模原陸軍病院は、相模女子大学グリーンホール・伊勢丹等に、陸軍機甲整備学校は、相模原球場・銀河アリーナ・博物館・JAXA等にと、市民の命を守り、生活と経済活動の基盤となり、子どもたちを育み、文化・スポーツを楽しむ場として転換を実現している。


子どもたちに引き継ごう 戦争をしない国を 基地のない国を


 2000年代になり、米軍第1軍団司令部がキャンプ座間につくられ、陸上自衛隊中央即応集団司令部がキャンプ座間に移転した。相模総合補給廠では作戦指揮訓練センターが開始され、米軍と自衛隊の共同訓練が行われている。

 安倍政権は、集団的自衛権行使を中核とする戦争法案を衆議院で強行採決した。九条を破壊する違憲立法に対し、国民各層全体から反対の声と行動が未曾有の規模で生まれ、拡大している。私たちは、戦争をしない国を子どもたちに引き継ぐために、廃案をめざしてたたかい続ける。

 沖縄では、辺野古の海に新基地建設をさせないオール沖縄の歴史的なたたかいかいが続けられている。私たちは、沖縄のたたかいに連帯し、神奈川県の基地縮小・返還に向けたたたかいを続ける。

 戦後70年を迎えるに当たり、私たちは、改めて「河野談話」、「村山談話」を支持し、我が国がおかした侵略の歴史を記憶し直し、この歴史の反省に立った日本国憲法を守り抜き、再び武力による殺し殺される歴史の過ちを繰り返さないために活動をする。           (文責:中野直樹 8.15記)


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2015年9月19日(土)午前2時18分を忘れない!!


戦争法案が強行採決されました。


「戦争いやだ、9条まもれ!」相模原連絡会の、                         「安保関連法案の強行採決に抗議する」の文面は次のとおりです。


内閣総理大臣 安倍晋三 殿   

安保関連法案の強行採決に抗議する


2015年9月19

「戦争いやだ、9条まもれ!」相模原連絡会

 相模原市中央区小山1-2-3北センター内 相模労連気付

私たちは「戦争法案」の強行採決に、全身の血が逆流するような怒りをもって抗議します。

多くの国民が憲法違反と批判し、もっと丁寧に説明すべきだと強く求めているなかの強行採決は、まさに暴挙であり、国民への侮辱です。民主主義と立憲政治の破壊であると強く糾弾します。私たちは70年間、海外で武力行使をしなかった日本の歴史に誇りを持ってきました。今この誇りと信頼が破壊されようとしています。私たちはこのような暴挙を決して許しません。憲法を無視し、民主主義を否定し、国民多数の声に耳をかさない安倍独裁内閣の即時退陣を強く求めます。

日本国民は、アジア・太平洋における15年間にわたる侵略戦争で、300万人を超える多くの日本人の命を失いました。同時にアジアで2000万人におよぶ犠牲者をつくりました。「二度と戦争をしない」と世界に宣言し、新たな憲法を定めたのが戦後日本の原点です。

憲法9条は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と明記しています。

9条は、「他国防衛」のために、自衛隊を地球の裏側まで派兵し、武力行使することも、武力行使と一体となる「後方支援」も認めていません。

かつてベトナム戦争やアフガン戦争で「集団的自衛権」の名のもとに「後方支援」として派兵した国々は、多くの戦死者を出しました。戦場に「安全な地域」などありません。武器も弾薬も提供し、発進準備中の飛行機に給油すれば、それを受けた側は、必ず日本を攻撃対象とします。戦争に巻き込まれ、国民の命を危険にさらすことは明らかです。

いくら「平和・安全保障」法と看板を掲げても、国民の命を危険にさらし、戦争への道に導く戦争法であることは国会のすべての審議を通じて明らかです。憲法違反の立法は無効です。憲法と国民の声を無視し、戦後の政治史に重大な汚点を残すものとして、私たちは決してこの日を忘れません。

この戦争法の撤廃をめざし、今後ますます国民の共同の闘いは進むでしょう。

「主権者の声に耳をかさないものは、必ず歴史から退けられる」すでにその瞬間がもう始まっています。主権者を甘く見てはいけない! 必ず歴史から退陣させられるでしょう。


「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の声明は次のとおりです。 

       

      声   明

  

 

 919日、政府・与党は強行採決に次ぐ強行採決を重ね、日本を海外で戦争する国にする憲法違反の戦争法を成立させた。私たちは満身の怒りを込めて抗議する。一内閣の恣意的な憲法解釈の180度の転換よる戦争法は、それ自体、違憲・無効であり、立憲主義の大原則を否定するもので、断じて認めることはできない。私たちは、戦争法のすみやかな廃止を実現するため全力を尽くし、戦争法の発動を許さない世論と運動を発展させる。

 「安倍の暴走」は同時に、沖縄での辺野古新基地建設や原発再稼働、教育の国家統制と歴史認識の歪曲、秘密保護法体制と個人情報の国家管理、消費税の引き上げとTPP、女性の人権軽視と労働者の使い捨てなど、あらゆる分野で進められている。私たちの運動は、まさにこれらと闘う人びととの共同・協力による「総がかり行動」でもある。

 この一年余、「戦争法案絶対反対」「9条壊すな」の声は全国津々浦々にひろがり、老若男女がこぞって行動し手を結ぶ歴史的なうねりとなってきた。最高裁長官や内閣法制局長官の職にあった人びとをはじめ、学者、法律家、宗教者、芸能人などを含むあらゆる分野で「戦争法案廃案」の声が湧きあがり、大学生や高校生、若い母親たちの主体的な行動とも響きあい、違いを超えた広範な共同行動が生み出された。私たち「総がかり行動実行委員会」は、このような運動の発展に一定の役割を果たすことができたことを誇りに思う。

 この間、全国数千か所での人びとの行動を背景にして国会正門前を連日埋めつくし、国会を何度も包囲した人びとの波は、暴走する政府・与党に立ちふさがる巨大な壁となり、政府・与党を大きく揺さぶり、窮地に追い込んだ。この広範な人びとの声と行動こそが、民主・共産・社民・生活の連携を支え、野党の闘いを強めるという画期的な状況をつくりだした。ここに示された無数の人びとの意思と行動は、決してこれで終わることはない。このエネルギーは、必ず戦争法の発動にストップをかけ、戦争法を廃止する力となろう。私たちは、この人びとの力を信じ、希望として、前進する。
 全世界の人びとの生命のために、平和のために、憲法を生かすために。

2015919
戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会


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 「戦争いやだ、9条まもれ!」相模原連絡会は、次のとおり引き続き市内駅頭宣伝・署名活動を行います。

 5分でも10分でもご都合のつく時間に、お近くの駅での活動にご参加ください、と呼びかけています。

2015.09.09当面の行動

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 「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の『8.30国会10万人・全国100万人行動』の呼びかけにこたえ、相模原では史上初の全区いっせいスタートのパレードが行われました。
 

 小雨が降り続く中、南区・相模大野駅500人、中央区・淵野辺駅300人、緑区・橋本駅450人、3か所合計で1,250人が参加しました。
 

 民主党、共産党、社民党など各政党から国会議員、地方議員合わせて10人が参加しました。
 

 各会場での一分間スピーチでは45人の方々がマイクを握り、それぞれの決意が語られました。
 

 この日、国会議事堂周辺には12万人が集結、大成功の行動を踏まえ、

戦争法案廃案・安倍政権退陣への取組みを継続し、いっそう強めていきましょう!!


 小雨が降り続く中、淵野辺駅には300人が集結しました。
8.30淵野辺① 8.30淵野辺③



 淵野辺駅から矢部駅までパレードをしました。

8.30淵野辺④

 

 国会会期末まであと4週間足らずとなりました。今、まさに正念場です。


 戦争法案廃案!安倍政権退陣!に向けて、みんなで力を合わせましょう。




8.30淵野辺②

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