超マニア向け企画です。
都市高速の番号は、小さな違いはあれど、大体路線番号と出入口の番号を組み合わせて3−4桁になってますよね。こないだTwitterに表を上げましたけど。
けど、北九州は違ったんですよ。私は幼少期、北九州市在住歴がありますが、こんな番号じゃなかったです。まずはその話から。
ひとまず、道路好きの皆さんなら知っているであろう、現在の北九州都市高速のランプとその番号を紹介する。
方面別に偶奇を揃えてあったり(首都高)、上りと下りで番号が分かれてたり(名古屋)、ハイフンがついていたり(阪神)など、上の表に挙げた特徴が薄い、最もベーシックに近い附番である。特徴があるとすれば、入口のランプウェイが上下共有である場合、両方向ともに番号が同じになることぐらいか(ただし、これは阪神高速にも共通の特徴)。
まあ、わかりやすい。
で、その昔、北九州の番号がどうなっていたか、というのがこちらになる。私が北九州市に居住し、高速道路に興味を持ち始めた5歳の頃、1994〜1995年あたりの路線図である。
私は当時小倉南区に住んでいて、よく北区の方に出かけることが多かったため、1号線については鮮明に記憶がある。
対して、2号線は記憶が薄い。なんなら、今回この件について調査するにあたり資料を参照したわけだが、完全に覚え間違っていた。
さて、これらは長野まで延伸したり5号線が開通したりしていた2001年の時点では明確に使用されていた(ちなみに、新規開通区間の長野と枝光は当初から現在の番号であり、横代は長野延伸に伴い先行で102になった)が、その後数年をかけて現番号になったようだ。
まずは、先に4号線の話をしよう。
4号線が元はJHの有料道路だったことは有名だ。なので、番号体系が違う、というかほとんど番号がない。
まず、旧北九州道路(春日〜黒崎)については、標識が非常に簡素で、番号欄そのものがなかった。
確か00年代中盤まではそれが残っていたはずである。
旧北九州直方道路(黒崎〜馬場山)については、高速道路と同じ標識を使用していた。で、馬場山には9番があったわけ。それでもなお黒崎と小嶺が空欄だった理由はわからない。
さて、なぜ馬場山が9番か。それは、一応、春日からカウントしているかららしい。これは20年以上前に某道路愛好家のサイトの掲示板で見た話だ。
95年開通の追加ICである山路を除けば、確かに9番目に当たる。この説は妥当だと思われる。まあ、だから、山路が仮に番号がある状態で開通してたら5-1になってたということだろう。実際は現在も標識によっては無番だが。
で、1号線だ。横代から1,3,5,2,4,7,9,6,11,8と続く。この一見すると奇っ怪で法則性が掴みづらい数列、どういう理論かわかるだろうか。
実は、北行き、下到津方面が奇数で、南行き、横代方面が偶数になっているのだ。
横代、若園、北方が全部北行きのランプなので奇数で2飛びになっているが、その次の篠崎南は南行きランプなので偶数の2、というわけ。
ちなみに、方面別に偶数奇数、という方式は前述の通り首都高でも採用されているが、あちらは同方向のランプが続く場合、その間は欠番になるのに対し(首都高の法則に則れば、2と4が欠番になり、篠崎南は北方の次なので6になる)、こちらは1,3,5の奇数系統と2,4,6の偶数系統がバラバラになっている。だから、一見するとバラバラに見えるわけ。
あと、紫川JCTは横代方面と下到津方面で別々に番号が与えられている。都市高速のJCTに番号が与えられているのは珍しいが、これは当時別会社の有料道路だった北九州道路へのランプと見做されていた影響だろう(現在でも阪神高速は、他社線のJCTには番号がついている)。
ちなみに、篠崎北は番号から推測すると、紫川の両ランプの間にあるものとみなされていたらしい。さらに言えば、当時から篠崎北が正式名だったはずだが、この当時、本線の標識上は「篠崎」と表示されていた。これは鮮明に覚えている。
そういうわけで、奇数系統は北行きが1横代、3若園、5北方、7篠崎、9紫川、11勝山、南行きが2篠崎南、4紫川、6大手町、8下到津と、こうしてみるとちゃんとした法則性を持って並んでいる訳だ。
で、私は2号線の正しい番号を知って頭を抱えた。まず、若戸が無番なのは妥当として(今も205を掲げている標識があっただろうか?)、小倉駅北も無番だし、日明が16?西港が21??
その間の番号はどこに行ったと言うのだ。
ここで私はふとあることを思い出した。昔持っていた当時の北九州市の地図(お馴染みの昭文社の都市地図だ。広げて1枚になるタイプの)に、1号線の延伸計画線が書かれていたのだ。下到津から戸畑を突っ切って八幡まで行くのだ。ちなみに、この延伸計画は4号線の編入とともに立ち消えになったが(その代わり5号線が計画)、それを流用したのが都トンネルなわけ。
で、どういう計画だったかと言うと、下到津から到津の森を抜け戸畑区の鞘ヶ谷(フルランプ)、もう少し西に行って国道3号に乗り直し諏訪町(小倉方面)、枝光(八幡方面)、そして八幡駅近くの西本町で終点に至る訳だ。
これに番号をつけるとどうなるか?
まず、下到津の八幡方面ランプは奇数になるはずなので勝山の続きで13。鞘ヶ谷も両方向なので、下到津両ランプの続きで10と15。諏訪町は小倉方面で偶数なので12、枝光は八幡方面で奇数なので17、終点の西本町はもちろん偶数で14となるわけ。
となると、次の偶数ランプは16となるわけ。16!そう。ここで私は気づいた。きっと、1号線の旧延伸計画まで番号を用意した上で、その次を2号線にしたんだろう。だから、日明は西本町の次で16になるわけだ。
じゃあ、奇数系統は枝光の次は19になるはずだが?
実はこの19は、本当は小倉駅北の番号なのだと思う。
そしたらその次の21がちょうど西港になるしね。
なぜ小倉駅北が無番かと言うと、きっと、ただ単に4号線と一緒で、番号が掲示されている標識が1つもなかったんだと思う。
今の番号体制になるまでの都市高速は、入口に番号を表記していなかったし。
じゃあ、出口はと言うと、実は、2025年現在においても、全く表記されていない。
東港JCTが事実上の小倉駅北のランプになっているが、その行動点標識にはあくまでJCTとしての標識しか掲げられておらず、分岐先の2号線「本線」(東港〜小倉駅北)には実は出口標識が存在しないのだ。
だから、当時の小倉駅北は必然的に無番になるし、今も一般道にしか201番は掲げられていない、というわけ。
そして、日明が16、戸畑が18であり、若戸も等しく都市高速小倉方面のランプとみなすなら、法則上、20番ということになるのだろう。
ということで、これが、その当時の北九州都市高速の番号になる、というわけだ。
では、ここから福岡について推測していこう。
まずは現在の路線図だ。ちなみに、2号線の本線上に出口標識がある空港線は無視させていただき、空港通は2号線のランプとして表記した。
福岡は路線名が名付けられ、その際に1号線と2号線の一部、それに5号線は全部環状線となったが、2025年現在もランプ番号は旧路線番号ごととなっている。なので、旧路線番号ごとに書き直した地図がこちらだ(路線名改訂以後に開通したアイランドシティ線もそのまま表記した)。
私が記憶している限り、現在の太宰府線が開通した時点で、その当時の既開通区間は全部今の番号だったような気がする。
さらに言えば、粕屋線も同年の開通であり、百道〜福重と5号線、アイランドシティ線はその後の開通なので、それまでの開通区間といえば、1号線の香椎東〜百道と2号線の千鳥橋〜月隈北(あと3号線)のみということになる。
私が入手した情報では、西公園が8、百道が10、月隈北(現・月隈)が28だったことが判明している。
多分千代が20前後ぐらいだったとしても、百道からはかなり空きがある。これは、北九州同様、百道から先の計画線にも附番されていないと辻褄が合わない。ということで、福岡の旧番号は、1号線が福重まで計画された時点での番号だと推測する。この時点での計画路線は以下の通りである。
・1号線 香椎東〜福重
・2号線 千鳥橋JCT〜月隈北
・3号線
・4号線 貝塚〜流通センター(現・多の津)
結局、4号線は現番号で開通したので、推測のしようがないが、他の区間はこれでなんとか察しがつくかもしれない。
香椎東〜香椎も後から追加された路線だが、一応計画は百道~福重と同時期からあったらしい。(逆に言うと、香椎側の延伸はかなり急ピッチで進んだことになる。もちろん、短距離であった影響も大きいのだろうが)
なので、この香椎東が1であった可能性が高い。
ここから箱崎までは福重方面のランプが続く。貝塚も、現在では4号線粕屋方面のランプだが、その4号線が開通するまでは、今の貝塚JCTが1号線の貝塚ランプだったのだ。ちなみに、香椎〜粕屋の接続は4号線よりさらに後であり、当時は福重方面のみのランプだった。一応4号線の計画も始まっていたとはいえ、かなり後付けの計画なので、この時点ではただのしがない1号線ランプだった。
なので、多分ここも普通の番号じゃなかったかと思うんだが…。
なので、この法則に則ると、1香椎東、3香椎、5香椎浜、7名島、9貝塚、11箱崎と続く。
で、ここで福岡都市高速では珍しいフルランプの東浜となる。北九州の紫川JCTや1号線延伸計画に則ると、同じランプが方向でてんでバラバラでもお構いなしの様子なので、おそらく2と13だったのだろう。そして、築港が4、天神北が6と15になる。
これで、西公園が8、百道が10という条件を満たす。
ここから先は実際には開通していなかった計画段階の話なので、不正確になる。豊浜(現・愛宕)、福重(現在、入口は石丸と呼ばれている)は確実にあったのだが、その間の姪浜の存在は不確実だ。けど、前述の「番号の空き具合」を見ると、姪浜も勘定しておかないと、到底辻褄が合いそうもない。あとは、福重方面のランプがあったかどうか、ということだが、これも現在の状態に基づき、百道のみあったことにしよう。現在も百道を最後に福重まで5号線方面のランプはないし、5号線の計画がない時代ならなおさら可能性は低いだろう。
ということで、百道の福重方面ランプは17、あとは12豊浜、14姪浜、16福重ということになるだろう。
そういうわけで、ここから2号線に入る。月隈北が28なので、あと6つ香椎方面のランプが必要になる。…そんなにあったか?ひとまず2号線のランプに限定すると、呉服町、博多駅東、榎田、月隈北しかないのだが。足りない。この時点で、3号線空港通は、当時の番号上では2号線扱いだったことが極めて濃厚だと考えた。18呉服町、19千代、20博多駅東、22空港通、24榎田、26月隈北。うーん、足りない…
ここで私は、2号線の整備計画の変遷に着目した。3号線が「今の形になった」(詳細は調べてほしい)後の終点は榎田だったが、のちに半道橋、月隈北と徐々に伸びていったそうだ。…は、半道橋!?半道橋って太宰府方面のランプじゃなかったっけ。でも、この変遷からすると、当初は香椎方面ランプとしての計画だったのかもしれない。月隈北まで計画が伸びて、けど色々あって整備が後回しになって、そうこうしてるうちに太宰府まで計画が伸び、それに際して当初の計画と入れ替わった…?あくまで推測だが。
ということで、榎田までは上記の通り24番までとし、半道橋のつもりであてた26番が欠番で月隈北が28になったものだと私は推測する。
福岡の方。正しい情報をどうかご教示ください。





