公文式をやっていると、たびたびスランプに陥ります。
小1の息子と年中の娘も、3歳で公文式を始めて以来、幾度となくスランプを経験してきました。
スランプに陥るけれども、それを何とかして克服する。
それがある意味で、公文式の醍醐味(?)とも言えます。
つい最近まで、息子も娘も長期のスランプに陥っていました。
どのくらいかというと、ほぼ半年!
息子も娘も、新学年になってからほとんど先に進めなかったのです。
同じようなプリントを進んでは戻り、進んでは戻り、を繰り返していました。
「スランプ克服のカギは『怒らないこと』」
と過去記事で書きましたが、
スランプが長引くと、子どももやる気が無くなりますし、
私もそんな子どもにしびれを切らして、つい怒ってしまうこともありました(お恥ずかしい限り)。
宿題に1時間も2時間もかかってしまい、平日夜や、休日の貴重な時間を費やしてしまうこともあり…
「そもそも、なぜ公文式をやらせているのだろう?」
「早期教育に熱を上げて子どもを苦しめるよりも、たくさん遊んで家族が笑顔になることが大切ではないか?」
そんな自問自答を繰り返し、時には
「もういっそのことやめさせてしまおうか?」
と考えたこともありました。
ただ、そんな中でも、根気強く子供たちの宿題に向き合う中で、色々と試行錯誤をし、最終的には長い長いトンネルを抜けるに至りました。
今日のブログでは、今回のスランプ克服のために、親である私が試したことを紹介したいと思います。
1.宿題の量を減らす。
これは娘に試した方法です。
算数10枚、国語5枚のプリントを毎日やるのですが、国語はまだしも、算数がとにかく進まない。
やり始めて1枚目でゴロンと寝転んでしまう毎日でした。
「やりなさい」と言ってもやらないし、不毛な時間が過ぎ、親はイライラ、子どもは勉強嫌いへの道を一直線…。
よろしくない状況と頭ではわかりつつも、なぜか毎日決められた量をやらせなければならない、という謎の強迫観念。
しかしながら、この強迫観念を生み出しているのは紛れもなく私自身。
そもそも公文式は、「1人1人に合わせた量、難易度でOK」がコンセプトなはずです。
ふと冷静になり、初心に立ち返ってみると、「そうか、別に宿題全部をやらなきゃいけないわけじゃない。」との認識に至ることになります。
とある日、娘に向かって、「今日からは算数5枚でいいよ。」と言いました。
すると、娘は途端にやる気を発揮し、スラスラとやり始めたのです。
10枚だと1時間もかかっていたところ、5枚を5分で終わらせることもあったり…。
実はプリントの中身の難しさではなく、ただ単に表面的な負担感を減らしてあげることが、スランプ脱出のきっかけになることもあるのかもしれません。
教室にもよると思いますが、子どもにとっての適量は、公文の先生は教えてくれません。親が調整してあげる必要があると思います。
2.宿題の量は減ったけど…
さて、娘はその後1ヶ月くらいは順調に進んだのですが、またしてもスランプ状態になってしまいました。
どのようなスランプかというと、
◯+1だけの宿題
◯+2だけの宿題
…
◯+7だけの宿題
はそれぞれ1〜2週間ずつくらいかけて、できるようになるのですが、その後、
◯+1から◯+7までが混ざって出てくる宿題
になると、途端にできなくなってしまったのです。
(1+1ができないのに、直近で学んだ1+7、2+7、3+7…はスラスラできるという異常事態に…)
このスランプとは2ヶ月くらい戦いましたし、その間いろいろ試行錯誤しました。
まず仮説としては、「足し算の意味を理解せず丸暗記しているのでは?」ということ。
気づいたのは、夏休みに佐渡に帰って、私が昔通っていた公文式の教室に遊びに行った時のこと。
息子の宿題を恩師に見てもらっている間も、
極度のスランプ中だった娘はプリントをやりたがらなかったので、時間つぶしに数字盤をやらせてもらっていました。
1から50までの数字が書いてある盤の上に、同じ数字のマグネットを並べていくやつですね。
既に足し算をやっている娘には楽勝かと思っていたのですが、
何と何と、ものすごく時間がかかってしまったのです。
例えば「43」のマグネットを置くのに、中々置き場を見つけられないのです。
「43」は「42」の次の数字だということや「33」の下にある数字だということは、当然わかると思っていたのですが、
娘の様子をよく観察していると、
「43」のマグネットを手に持って、盤の上をぐるぐるとさまよっているのです…。
これは、数字が順序を成していることを理解できていないのでは?
◯+1から◯+7までを全て丸暗記していたのでは?
だから、◯+1から◯+7が混ざって出てくると、混乱してしまうのでは?
そんな疑念が湧いてきました。
3.足し算表
その後、
「足し算とはなんぞや?」
という原点に立ち返ってみることに。
おはじきを使って…
私「おはじきが8個ありました。
4個増えました。
さて、全部で何個になった? 」
娘「1、2、3…12個!」
私「そうそう!どう?これが足し算だよ!」
スランプ中なので、とにかく怒るのはやめて、些細なことでも褒める褒める。
しかし、内心は、
「1から数えて答えてたら、時間ばかりかかっちゃうよなぁ」
「スラスラ解いてたのは、やっぱりただ丸暗記していただけなのか」
「本質を理解できていなければ、いくら学年を超えて進んでも意味がないよなぁ」
と、一生懸命頑張っている娘には申し訳ないですが、暗い気持ちになっていました。
おはじき作戦も、時間ばかりかかるので、結局娘は途中で疲れてしまって、宿題放棄モードになるだけでした。
事態が好転したのは、息子の九九表を作って、リビングの壁に貼ったときのこと。
そうか、足し算表がいいかもしれない。
すぐに、九九表の×を+に変えただけの足し算表を作って、同じように壁に貼ってみました。
真ん中から下段が足し算表です。
ちなみに答えは娘に書かせました。
元の数と足す数が順番に並んでいるだけなので、簡単に答えられます。しかも、
「8+4がわからない?そしたら7+4はその上にあるでしょ?答えは11だよね。じゃあ1増えるだけだから?」
というように、足し算表全体を俯瞰して、数字同士の前後関係が理解でき、知っている足し算から答えを類推できます。
2+3と3+2が同じ5というように、数同士を入れ替えても答えが同じになることもわかったりします。
ただひたすらプリントに無作為に並んだ足し算をとき続けるよりも、足し算の構造が理解しやすい気がします。
その後、娘の宿題は、この足し算表を見ながらやって良いことにしました。
2、3日は、わからないところだけ「カンニング」していた娘ですが、
すぐに足し算表を見なくてもスラスラできるようになりました。
感覚としては、足し算表を暗記したというよりは、「足し算の地図が頭に刻まれた」という感じがします。
(うまく言えないですが)
半年という長かったトンネルを抜けた瞬間でした。
4.スランプの克服法
前回も書きましたが、とにかく親は「怒らない」こと。
怒れば怒るほどスランプは長くなると肝に命じた方がいいです。
私も今回のスランプで最初のうちは過去の自分の発言を棚に上げて、怒ってしまっていましたが、
ふと冷静になり、
過去のブログを見て、聖人君子ぶってる1年前の自分に諭されて笑
ダラダラしている子供たちを目の前にしながら、
「そもそも、何で怒ってるんだっけ?怒るようなことじゃないよね?」
と、自分をアンガーマネジメントするように心がけました。そして、
子供たちが苦しみながらも一問一問解いていくたびに、
「いいね!いいね!」
と根気強く励まし続けました。と、同時に、
スランプの原因はなんだろう?
と、子供たちを注意深く観察しました。
すると、できていると思っていたことが、
実は表面的な暗記に頼っているだけだったり、
本質を理解できていなかったり、
いろんなことが見えてきます。
これって実は、「毎日の宿題」「自学自習」「学年を超えて進む」がコンセプトである公文式の大きな弱点ではないかと思います。
公文式は、単純計算をただひたすらに反復練習し続けるため、自学自習が可能な反面、先生がみっちり何かを教えてくれる時間はあまりないのが特徴です。
特に、東京都心など、人口の多い地区の大規模教室では、その傾向が強いと思います。
先生の目が行き届かないんですね。
そうすると、知らぬ間に本質理解を回避して、変な我流の方法で突き進んでしまったりということも起きやすくなります。
毎日宿題があるため、正直辛くなることもしばしばなので、子ども心には「なるべく楽な方法でやり過ごしたい」と思う気持ちもよくわかります。
人間って生まれながらにして怠け者なので、楽な方へ流れたくなります。
これって、表面的な暗記に頼ってしまう、強い動機になり得ます。
そうすると、本質理解をしていないので、だんだん難しくなる内容についていけなくなって、スランプに陥りやすくなるのではないか、と思います。
さらに、表面的な理解のまま、「学年を超えて進」んでしまうとと、難易度や抽象度が増してくるので、ますますスランプから抜け出しにくくなると思います。
そもそも抽象的な学習内容は、若すぎると理解できないけど、歳を重ねれば発達に従って、自ずと理解できるようになるという側面もあるでしょう。
無理して先に進まないほうが良いという考え方もあると思います。
スランプに陥ったときは、公文の先生に相談することも一手ですが、こちらも教室によって、子供の様子をよく把握してるところと、忙しすぎて把握しきれていないところとあると思います。
ここまで言うと、
「公文式ってやらせない方がいいの?」
という問いが来そうですが、それはそれで極論だと思います。
公文式の特徴を親がよく理解して、上手に利用していくのが良いのではないでしょうか。
(公文は手取り足取り教えてくれる個別指導塾ではありません。適切な親の介入が必要です。)
別に、毎日宿題をやらなきゃいけないわけじゃないし、学年を超えて進まなきゃいけないわけでもない。
親が子どものことをよく観察して、宿題量をコントロールして良いと思います。
そして、たびたび訪れるスランプは、乗り越えることで子どもが健全な達成感を得られ、成長できる絶好のチャンスなので、親もできる限り寄り添って、一緒に原因を探って、試行錯誤をするのが良いと思います。
スランプを乗り越えることができたら、次のスランプまでは自学自習してくれるでしょう。
そして次のスランプでは、過去の克服経験を活かし、自分なりの試行錯誤をしてくれるかもしれません。
こうなってくれれば、親がいなくても自走できる一人の人間になっているということです。
これが子どもに目指してほしい姿ですし、公文式をやらせる目的だと言っても良いと思います。
公文式は歴史と実績のある非常に優れたツールです。これからの時代に合わせて、上手に活用していきたいものです。