哲学問題によく登場する議論に、
「10人の人間を助けるために1人の人間を犠牲にしてもよいのか?」
というテーマがある。
~よく聞く設問例~
あなたは線路の分岐点にある転轍機の前に立っています。
暴走してくる無人の機関車を発見しました。
行く手には10人の作業員が何も気づかずに作業しています。
あなたはすぐさまポイントを切り替えようとしましたが、
切り替えるその線路の先にも1人の作業員が何も気づかずに作業をしていました。
さあ、あなたはどうしますか?
転轍機のレバーを引きますか?
それとも黙って見ていますか?
……
哲学的な答としては「レバーを引いてはいけない」
が正解であると思う。
「10人の命を助けるためには1人の命を捨てるのもやむをえない」
は、全体主義のものの考え方である。
この考えを認めてしまえば人間は何人でも殺せる。
10人の人間を殺そうと思えば、100人の命を助けるためと言えばよい。
100人の人間を殺そうと思えば、1000人の命を助けるためと言えばよい。
要するに分母を好き勝手に大きくして行けばいいだけなのである。
分母が大きすぎて世界人口を越えたら、
これから生まれてくる人間の数を引き合いに出せばよい。
暴走する機関車によって作業員が死ぬのは成り行きであるが、
レバーを引いた結果はレバーを引いた人間の責任である。
どんな理由があろうと殺人行為なのである。
多数の人間を助けるために、
1人の人間を殺したが、実はその人物、凶暴なウイルスに対する特効薬を発明し、
人類を絶滅から救うはずの科学者であった、などというシナリオもありなので、
議論は簡単には終わらない。
しかし現実社会の一般常識としては、
レバーを引くのが正解と考える人が多いと思う。
現実問題、そうしなければ社会秩序は成り立たないかもしれない。
何時のことだったか忘れたが、
旅客機がハイジャックされた際、犯人が客室乗務員を人質にして、
パイロットに操縦室のドアを開けるように要求したことがあった。
ドアを開ければ、何百人という乗客の命が危ない。
ドアを開けなければ客室乗務員が殺される。
機長はドアを開けるほうを選んだ。
事件の結果は、
機長は殺されたが他の者は全員無事の形に終わった。
その機長の判断は正しかったのかどうか、
その議論は困難を極める。