2017年2月17日、東京三日目、帰宅。 | 滋賀・高島の機屋・サダ杉岡のブログ

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滋賀の高島という地域で機屋をしている今年53歳の男のブログです。
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大したことは書いておりませんが、それでもよろしければご覧ください。

東京三日目、金曜日。


雪景色と、雪かきを離れた安心感、エスケープ感からなのか、とにかくよく寝られる出張です。


朝の目覚めは、そしてとてもスッキリ。


いつも見ている「おはよう日本」を東京版で見られることも、楽しみのひとつです。


東京だと、中村慶子さんをずっと見ていられるだなあ、という変な感心。






ここしばらく、東京駅より、大阪駅より、足繁く通っていたクアラルンプール空港でのあんな事件が起きた衝撃は、ここ数日のわたしの元気のなさに繋がっている気がします。


そのニュースが出ると、食い入るようにみてしまいます。


1月には、搭乗待ちで11時間過ごしたあの空港。


そんな場所で、あんなことが。


世界はやっぱり、わたしの思っているような「なんとかなる」という世界ではなかったのだなあ、という絶望感にも似たものがあります。


それでも


前を向いて生きていかないと、どうしようもない。


そんなことを思いつつ


展示会会場へ。




前の日の反省をしつつ、評判のよかった素材を見せあいながら、打ち合わせ。





製品見本になっているものの評判が、特によかったようです。




打ち合わせを終え、開場です。


ところがわたしは、14時で滋賀に戻り、その足でPTAの会議に出ないといけません。


一部のご来客予定の方にはそれらをお伝えできたのですが、なかなか全てにそれが言えず、難しい展示会になりました。


それでも


お昼の時間、そしてその前後とお客様にお越しいただき、とても有意義なものとなりました。









有り難いことです。


会場の雰囲気を見つつ、合間に片付けをしました。


マスダ社の増田専務に


「杉岡さんが帰ったあとの片付けも判りやすいようにしてかえってや!」


という、なかなかの無碍な一言を言われ、


「そんな言い方せんでええやろ」


と答えたものの、途中で帰ることはそういうことだと自分に言い聞かせて、まああとは、誰がやっていただいても片付けられるようにして帰りました。


その論法によると


クアラルンプールでも台湾でもジャカルタでも


そこそこ、よその会社のために、高島のために活躍してきたこのわたし。


これからは、ちょっと考えて自分の範囲だけ頑張るようにしないといけないのかな?


と思う、少し悲しい気持ちになります。


そんな思いもひととき、あとは来場者への応対に追われます。




ずいぶん、会社としても個人としても、東京方面に知己の方が増えました。





とても有り難いことです。





昨年度の展示会で知り合ったお客さんに


「どうして電話に出てくれないんですか!」


と元カレとの会話のような小言を言われ、困惑している川島織布の川島好行専務と、揃って応対する高島晒の平山係長を見つめつつ、14時までわたしのお客さんへの応対を続けました。




海外展開のことに関しての質問も多かったなあ・・


と思いつつ、タイムオーバー。


表参道駅まで歩き、そこからの地下鉄で東京駅。


新幹線乗車。




不完全燃焼ですが、やむを得ず。





米原付近から逸機に雪が増え、何となく冬に戻りましたが、それまでの景色は春の雨でした。


冬季ではジャンバーもコートも要らず、歩けば南風はあるものの汗ばむような景色。


京都駅での乗り換えもうまくいき、近江今津駅まで無事に帰着しました。





安堵。


その後


PTA会議に出て、挨拶をして、会議の進行を拝見して、何とかミッション終わり。


疲れました。


明日は朝から工場です。会長=親父さんもここ数日会社におらず、そんな会社の事情で、経済会の新年会は欠席することにしました。


リカバリー、頑張らないといけません。