昨日、アメリカ人の女性作家が「私はこんまりが嫌い」とツイートしたというニュースが出ていたので、それについて書きたいと思います。日本語の記事では、まるでこの作家がアメリカで少数派のような書かれ方をしていて、それが英語を喋らない人たちへの差別に基づいているから、批判されている、というような論調が表に出ていたので、こちらに住む日本人の私は両方の言いたいことというか本音が痛いほど分かるので、ちょっと解説しておこうと思います。この作家が言った「私は散らかす側の人間」と言った意味も…。



https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190206-00010017-abema-soci

まず、私は日本人なのでこんまりさんの提唱する「ときめくものだけを残して、あとは感謝して捨てる」、そして好きなものだけに囲まれて心安らかに暮らす、という考え方に共感しますし、すんなり受け入れられます。(実践するかどうかは別にしてw)

しかし、こんまりさんがネットフリックスで片付けの番組を発信しているアメリカなど英語圏の女性たちからは、共感して実践している人たちが大勢いる反面、上の記事で批判した女性作家だけではなく、こんまりさんのやり方に「嫌いだ!」、「間違っている!」という猛烈な反対論を繰り広げている女性たちがかなりいるのです。気に入らないなら無視すればいいだけのに、かなり感情的に反発している女性たちが一部にいるのです。英語で「こんまり」「批判」で検索しただけでも、こんなに記事が出てきました。

私が人生をコンマリすることを絶対的に拒絶する理由
https://www.popsugar.com/smart-living/KonMari-Method-Criticism-40617709

片付けの伝道師、マリエ・コンドウが間違っている理由
https://www.thestar.com/life/relationships/2016/01/14/why-decluttering-guru-marie-kondo-is-wrong.html

マリエ・コンドウに私が反対する理由
https://thecrazycraftlady.com/disagree-marie-kondo/

ク○が私を幸せにする:コンマリは貧乏な人たちのためのもの
https://ravishly.com/2016/05/17/sht-brings-me-joy-konmari-poor-folks



日本人として、「は?こんまり流の片付け術をしたくなければ、しなければいいだけなのに、なんでこんなに熱く批判してるの?意味わかんない」というくらいの感想しか持たないかもしれません。

 

こんまりさんは、日本人として当たり前の伝統的な価値観を英語で発信したために、それと真っ向から食い違う西洋文化を基盤に生活している人(特に女性たち)から猛反発を食らっているだけのことではないかと思います。

まず、アメリカなどを中心とする西欧文化では「掃除」や「片付け」などは肉体労働のカテゴリーに入れられていて、いわゆる「汚い仕事」というか「教育がない人がする仕事」とか「貧乏人の仕事」とされているので、大多数の人が「できれば自分はやりたくない」と思っています。ですから、アメリカではお金持ちの家は必ず掃除などをするハウスキーパー(家政婦)を雇います。「心を込めて掃除をすることで自分もスッキリして快適に暮らせる」的な発想をする人はごく少数派です。

 

(補足* 郊外の家などでは収納スペースがふんだんにあるので、そもそもあまり物を捨てたりする必要はあまりないですが、都会は狭い場所に住まなければならないので、「片付け」という作業の需要が多少出てきます。また、アメリカ人は全体的に自分の好みがはっきりしている人が多いので、私が長年こちらでアメリカ人の家にあるものを見てきて、「捨てるに捨てられない不要品」のようなものをそもそもあまり持っていない人が多い印象があります。それから、日本のように贈答文化がなく、一般的にクリスマスと誕生日に家族としか物をやり取りしないので、不本意なものをもらって溜まっていくということがあまりないです。)

ですから、アメリカの家庭で日本人の主婦がトイレ掃除などをしているところを現地の子供に見られたりすると、子供が「あなたのママって貧乏なの?」などと聞かれたりすることがあるのです。トイレ掃除=学歴がない人がする仕事=貧乏人のやること、というような考え方が子供のうちからなんとなく刷り込まれているのです。日本では、「トイレ掃除をすると可愛い子が生まれる」などと言って、トイレ掃除は大事で尊いことだという考え方さえあります。

西洋文化の根底にある聖書では神様の命令に背いて「生命の実」をアダムとイブが食べてしまったために、罰として「労働」を課せられます。つまり、西欧文化において働くこと、特に

肉体労働は「罰」として位置付けられている

わけです。日本文化の根底にある「古事記」の中では、高天原の神々が蚕を飼っていたり、畑を作ったりして、神々さえも忙しく働いているわけです。ですから、その流れで行くとその子孫である私たちが

 

働くことは、当たり前のことで尊い事

 

であり、働くことを「罰」だとか、「汚い」だとか、奴隷だとか、そういう考えは私たちの意識の根底にはないのです。

 

こんまりさんを嫌いといった女性作家の「私は散らかす側」という発言を意訳すると、「自分はインテリで成功者であり、掃除や片付けなどの惨めな苦役をするような教育程度の低い奴隷や貧乏人ではない」と言いたかったわけなのです。

こんまりメソッドへの批判記事の中に「ク○が私を幸せにする:コンマリは貧乏な人たちのためのもの」というものがありましたが、この記事がその考え方をはっきりと表しているかと思います。

 

つまり、下着や靴下などをきれいに畳んで、それが「自分に喜びをもたらす」とか言われても、西欧文化が根底にある人にとっては、「ク○みたいに細かくて面倒で余計な仕事を私にさせて、それで幸せを感じろって、いったいどういうSな奴隷推進哲学よ!?」という感覚しかもたないわけです。

アメリカに長年住んでいる私としては、アメリカ人女性たちの苛立ちも理解できます。以前、武田久美子さんがアメリカ人男性と離婚した理由として「専業主婦は求められていなかった」と述べていたことを書きました。アメリカには、「専業主婦」という言葉というかコンセプトがありませんし、働かない女性は夫にお金を管理されるので、自分の小遣いがないために、家庭内で立場がなくなってしまうのです。ですから、一般的に女性は結婚生活、子育て、家事、仕事とすべてをこなさなければならないわけです。ですから、「時間がない」と思っている人が多く、細かいことは出来ればしたくないし、しない人が多いです。

その点において、日本では家計を管理する主婦は7割近くいるので、

日本女性のほうが家庭内での経済的な地位が高い

のです。

そういう状況の中で、「お弁当をもっと可愛いものにしろ」とか「洋服をきれいにたため」というような要求が家庭内でおきると、アメリカ人の女性は猛反発します。例えば、アメリカの幼稚園に日本人が入ってきて、日本の典型的なお弁当を子供に持たせるとします。お弁当箱の中にりんごのウサギやタコさんウインナーが入っていたりします。そうすると、子供は素直なのでアメリカ人の子供たちが羨ましがって「僕(私)もウサギさんのリンゴが食べたーい」などと家に帰ってお母さんに言ったとします。

もう、お分りですよね? そこで、アメリカ人の主婦が何を思うか? 「私もウサギさんのりんごのカットの仕方を覚えましょう」などとは絶対に思いません。思うことは、「日本人主婦め!余計な技を使いやがって!!!」ってそれだけです。アメリカ人の側からすると、日本人が学校に大勢増えて、5品目くらい入っているお弁当を他の子供たちに見せられると、お弁当の質のスタンダードが上がってしまうので、今まで一品で良かったものが自分の子供のお弁当がショボく見えるようになってしまうわけです。英語で、これを「レイズ・ザ・バー(基準、ハードルを上げる)」と言います(笑)。他所から来た人が勝手にアメリカ人の基準を変えていくのが、彼女達は気に入らないんです。(アメリカである同調圧力の具体例はこちら)

 

私自身、アメリカの職場に日本仕様のお弁当を持っていくと、周囲のアメリカ人女性たちが苛立ってきて、意地悪をされたりして仕事に支障をきたすこともあったので、最近ではお弁当はかなり見た目を地味に作るようにしています。

おそらく、こんまりさんへの批判というのは、こんまりメソッドで洋服をいちいち畳んだり、ひとつひとつ物を残すか捨てるか吟味する、という「主婦としては非常に面倒くさい労働」を家族に「これいいね!」とか言われてやらされたら、「今でもいっぱいいっぱいの人生、たまったもんじゃねえ!」というアメリカ人女性たちの心の叫びなのです。わかりやすく言うと、

「余計な仕事増やすんじゃねえ!!」

って言いたいんだと思いますよ。多分。

しかし、批判がたくさんある、ということはそれだけアメリカ社会に日本的な考え方が刺さっているというか、リーチしてきている、ということだと思います。

西洋的な考え方から言うと、こんまりメソッドの「捨てる物に対して感謝する」ということは、コペルニクス的な発想の転換を求められる事項ではないかと思います。私たちには当たり前というか、普通に受け入れられるのは、私たち日本人の中に「すべてのものには魂が宿る」というような感覚があるからです。日本では縄文前期の12000年の米の化石が見つかっていて、そんなに前から助け合って稲作をしてきたので、その流れで米や農作物にも感謝してきました。日本人の意識では「物に感謝する」ということは普通のことです。

西洋的な発想で言うと、「誰かに何かしてもらったら、ありがとうと言いなさい」というのがありますから、人間に感謝する、ということはすんなり受け入れられる人が多いでしょう。

 

しかし、「物に話しかける」とか物を人間のように扱って感謝を捧げる、という行為は、西欧文化的には全くもってナンセンスというか意味不明な行為なわけです。物に話しかけているところを見られたら、精神病院に送られますからね。

 

物というのは、人間が作ったものです。ですから、彼らにとって物は、自分たちより「下」というか、自分の支配下にあるものなわけです。それを自分の支配下から外す時に、「今まで使ってやった私に感謝しろよな」とものに言うならまだしも、「物に今までありがとうって、なんで私が言わなきゃいけないねん!!こっちは、金払って買った側なのに」そういう感覚なんですよ。西欧文化では大人になった時に自分の身を守れるように、ハロウィンで子供に「お菓子をくれなきゃいたずらする」と言わせて「恐喝」を楽しみながら教えるのです。感謝とかいざというときは助け合う精神を大切にしてきた私たち日本人にはわかりづらいですが(笑)。

それから、「こんまりが嫌い」というアメリカ人女性の心の奥底にある気持ち、私はよくわかりますよ。こんまりさんは、30代半ばですが痩せていて肌が綺麗です。実際問題として、アメリカ人女性でこの年齢以降の女性がこんまりさんのような体型と肌を保つことは、涙ぐましい努力をしない限りはほぼ無理です。アメリカの肉には成長ホルモンがたくさん含まれていますから、必ず中年以降は太ります。こんまりさんの細くて愛らしい外見も、そういう外見が保てないアメリカ人女性にとっては、嫉妬と反感の的になるのです。そういう人は、こんまりさんの姿をテレビで見ているだけで、イラつくんですよ。根本的な価値観の相違と、外見への嫉妬も根底にあるんです。

まあ、「専業主婦」という概念がなく、掃除や片付けを忌まわしく苦労だとしか教えない社会に生まれてしまった彼女たちの大変さも、わかってあげて下さい(w)…。

 

男女平等の名の下に、実は世界で一番酷使されているのがアメリカ人女性なのですから。

追記

 

アメリカで左翼インテリ系のコメディアンであるジミー・キメルの番組にこんまりさんが招待された映像を見たのですが、言われたことは聞かずに最後に3人のアシスタントに片付けを言いつけていました。成功者のオレは自分で汚い仕事はしないというスタンスです。同じくコメディアンのスティーブン・コルベールも番組でこんまりに正座させられて「机に感謝を言ってください」と言われたら、結局は口から出たのは「エド・サリバン(故人の名にちなんだ劇場名)ありがとう」でした。成功者の俺は無機物である机にお礼なんて絶対言わない、ってそういう気持ちですかね。(←これは、通訳が机とスタジオにと訳した結果、こういう受け答えになったと指摘して下さった方がいました。)

 

それから、私たち日本人はなぜアメリカに負けた戦後、私たちが体育座りをさせられる様になったか考えた方がいいと思いました。アメリカでは子供に体育座りをさせないどころか、囚人にもさせないのですから…。

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