「頼まれることは、なんにもなくってもいい」 | sachiのブログ

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「一人ひとりがそれぞれに自分らしくいられる場」をつくる人
でありたいなあと思いながら働く日々を綴ります。

なんというか、今の自分の状況にぴったりだったので衝撃を受けた記事。
もう本当にびっくりして、目から鱗がおちて混乱しました。

そして記事の日付を確認すると、2001年6月と書かれている。
8年前の記事に、その時から見たら8年後の自分が衝撃を受けている。
不思議で、そしてこの記事に出会えたことに有り難さと必然性を感じる。

もしかしたら8年後の2017年に同じようにこの記事を読んで
背筋が伸びる人がいるのかもしれないから、糸井さんには失礼ながら
この記事を引用させていただきます。

糸井重里さんが、外から仕事か何かの依頼が来たとき、
それを受けようか、どうしようか悩んでいた時にもらったアドバイスを記した記事。
そのアドバイスをくださった人からの言葉からはじまります。
https://www.1101.com/darling_column/archive/3_0618.html

「とりあえずの金のためとかだったら、
 それはやりたいってのとは違いますよね。
 だから、やらなくていいんじゃないですか。

 何かを頼まれるときっていうのは、
 頼んでくる人のほうに足りないものがあるんです。
 自分の力だけじゃできないってときに、
 はじめて他所の力をあてにするんですよ。
 自分で簡単にできるんだったら、そのほうが簡単だから。
 それができないから、頼んでくるって場合が多いです。
 だけど、何をして欲しいのかがハッキリわかっていたら、
 もう答えは出ているようなものですからね。
 何をして欲しいのかも、あいまいなことが多いんです。

 まぁ、注文はあるんでしょうけれど、
 それに最高の答えを出しても、うまくいかないでしょう。
 ほんとにするべきことがわかっていない人が、
 答えだけ、なんかしら欲しがっているわけですから。
 あとはいい企画さえあれば、とか、
 あとは金さえあればとか、有名ななにかがあればとか。
 それがあったとしても、パズルは埋まるけれど、
 ほんとに素晴らしいことなんかできやしないんです」

あっりゃぁ。そう言われてみれば、そうだろうなぁ。
じゃ、請負い仕事はなんにもできなくなっちゃう?

「そうです。
 頼まれることは、なんにもなくなってもいいんです。
 それがやりたいことなら、
 頼まれたからやるってのとはちがいますよね。
 だから、それは頼まれたことじゃないんです。

 でも、基本的には、いい仕事って、
 いくらでもできるわけじゃないから、
 ほんとは、自分がやりたいことを見つけて、
 門前払いをされてでも頼む側になったほうがいいです。
 自分から本気でやりたいって思ったことは、
 真剣さがちがいますし、相手が力を入れてなかったら、
 自分でそこを埋めようとしますから、
 いい加減にならないでしょう。
 成功が見えやすいです。
 それに、失敗しても、意味がありますから」」

(中略)

「その後、ぼくはどうしたか。
頼まれた仕事を、ボールを投げられたと考える。
それを、キャッチャーのようにすぐには投げ返さない。
いちど、自分のボールにする。
そして、答えを投げ返すのではなく、
「提案」や「企画」を、頼むというかたちで、
こちらから投げるボールにするのだ。
自分の側に、投げるべき動機がなかったら、やめる。
また、相手が、ぼくの投げたボールに
魅力がないと感じたら、断られるだろう。」

フリーランスとして仕事をしていくとき、
いつもこの記事を見返したいと思う。
やりたい!というかやりたいかやりたくないか悩む間もなくぱっと手が出るとき、
そして自分がそこでどんなふうに仕事したいか「わかる」、もしくは
「ピンとくる」ときに、頼まれたときの仕事をしようと思う。

というか記事にある通り、誰かから頼まれちゃったら「くそぅ、やられた」って思うくらい
自分から仕事をしていきたいな と思うのです。