超訳 ブッダの言葉/ディスカヴァー・トゥエンティワン

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以前に読んだ本ですが、ちょっと気になり、昨日パラパラと読み返していました。(ブログのネタに困って・・・ということなんですが・・・)

超訳ということで、経典の内容を、分かりやすい表現で優しく書かれているので、理解しやすいですし、スッと入ってきます。

カルマの理論に通じるところも沢山あり、カルマの法則もこんな風に説明しなきゃなと思いますし勉強になります。

ブログネタのなりそうなテーマも沢山あって、困った時の助けになりそうです。

ということで、今日はこの内容をテーマに選んでみました。

「自分の良くないところは、自分では見えにくい」法句経252

~他人の良くないところは、とてもよく見えるし、ついつい調子にのって指摘したくもなる。見えにくいのは、君自身の良くないところ。自分は「いい人」のつもりでも、実は他人に善意の押し売りをしていたりするかもしれない。誠実に謝罪しているつもりでも、実は許してもらえないとすぐ腹を立ててしまう偽善者だったりするのかもしれない・・・~

アイタタ・・・と、自分の事を言われているようでした。

少しバラコミ的に付け加えると

「自分では見えにくい」のは、自分自身のカルマについては、思考力や判断力が低下するものですから、仕方のないことといえば、仕方のないことなのです。

ですから、他人の事と同じくらい自分の事が良く見える為には、相当カルマの解消が進まないと難しいですし、実際には中々難しいものではあると思うのです。

しかし、カルマの法則から考えると、相手に対してネガティブな感情が発生したり、指摘したくなると感じるならば、それは、同じように誰かが自分に対して同じように感じている可能性がある。と考えることができます。

しかし実際には、自分の事はつい棚に上げてしまいますし、特にネガティブな出来事ほど、そんな風には思えないものだと思います。

私自身、クライアントの方との対話の中で、お話を伺ったりアドバイスをさせて頂くことがありますが、「相手の悩み」と考えてしまう時点で自分が見えていない。ということになります。

何故なら、クライアントの方からその話を聞くということは、自分にも同じカルマがあって、自分の過去や現在や未来のどこかにあてはまる可能性がある。自分の身近な環境のなかで、自分がその当事者かもしれないし、関係者である可能性もあるということなのです。

そう考えると他人事ではなく常に自分事なのだけど、わかっていても、つい他人事で話を聞いてしまう場合がまだまだよくあります。

あと、「誠実に謝罪しているつもりでも許してもらえないとつい腹を立ててしまう・・・」

これもまさに私自身だと反省しました。

許してもらえないと腹を立ててしまうなら、それは本当に悪いと思っていない。ということになります。「こんなに謝っているのに許してくれない」と感じるのは、相手の気持ちを理解していないからですし、本当に自分が悪いと思っていないからなのです。

謝ったら許してもらえる。と考えていることが傲慢なのかもしれません。つまり「いくら自分が謝ったとしても許してもらえるものではない」という前提で謝ることで、許してもらえる可能性が出てくるのだと思います。

改めていろいろと反省です。



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