★【カタカムナ 生命の神業53 神業はカミの力①】★

 

 

★このブログは2023.6.21にyoutube配信した内容をそのまま まとめたものです★

こんにちは! ゆかりです
今回は【カタカムナ 生命の神業53 神業はカミの力①】です

大野朝行さんの書籍やHPを参考にお話させていただきます
項目
1.合氣の理は神人一体
2.批判された楢崎皐月
3.日本の神と外国の神
4.アマ(始原量)は カ


1.合氣の理は神人一体

「全人類を大きく和合包摂し、総合揮一化して神人
一体(合氣の理)を傷つけないようにするところに、
宇宙や万物の発展が約束されている」
(「合氣神髄」36頁)

今の言葉にすれば、すべてが一つ、ワンネスになり、
神人一体(合氣の理)を傷つけないように生きれば、
宇宙や万物の発展が約束されている

ということです。


サヌキ形の社会(現象重視の社会)
では安心感を得るために、しゃかりきに頑張るしか
ないと考えるでしょうが、
眞の生き方、眞の安心感はアワ形の社会(神人一体
という合氣の理)でしか得られません。


カタカムナによって、私たちはカのミ(神)で
できていることを知りました。
私たちは既に神人一体なのです。

外国の神の考え方ではなく、日本の神とともに歩む
決心をすれば、ホグ(神に親和されて自由な状態)
になります。


ホグ(神に親和されて自由な状態)という言葉
その自由について ちょっとお話します


カタカムナ ウタに クヒ という言葉がよく出て
きます。

クヒ とは天然の行いの自由さ、つまりマノスベです。
その クヒ を行う働きをカタカムナ人はカム、
アマツカミ、カムナガラ、カタカムナと言いました。

日本の神は自由さが大好きですから、
日本の神は自由が大好きなんです。
だから
人を制限したり、束縛したりはしません。
ですから、悔いるといった思いは外国文化が
もたらしたものなのです。

動物達のようにオノズサリ(天然のあり方)
であれば、悔いることは無いでしょう。

過去はもう無い。今を生きるだけなのです。

そのことを私たちに氣がついてもらいたくて、
神は誰にでもしばしば不思議なことや奇妙なこと
を見せてくれるのです。



2.批判された楢崎皐月

楢崎皐月の満州での蘆有三との出会いや、金鳥山の
平十字(カタカムナ神社の宮司であり、楢崎に
カタカムナ神のご神体を秘匿されてきた カタカムナ
ウタ の巻物を写し取らせたこと)にまつわる出来事は、
楢崎自身、何としても科学的説明のつかない神秘的な
現象が多く、まるで幽幻の能を見るが如くでした。


当初、彼はその不思議さと驚きを周囲の人々に
あからさまに表明したところ、大変な批判を
受けたそうです。


「上古代人が、そのような高度の科学的物理を知って
いたとは思えない。おそらく楢崎自身の思想を平十字
だとか、カタカムナ文献などと、ありもしないのに
かこつけているのであろう」という疑いをイヤという
ほどかけられたようです。


抗弁すれば「精神分裂、誇大妄想」とよばれ、
人によっては極めて感動的に受け入れられる出来事も、
一般常識の人には侮辱の目でしか見られませんでした。
それ以来、彼は、非常に用心深くなったそうです。


楢崎は「日本の古来に素晴らしい文化があったのは、
日本の地が、たまたまアマウツシの豊かな条件に恵
まれ、人々が、それにかなう生き方をしたからであ
って、条件さえそろえば(対向発生の場さえあれば)
立派な分化が育ち得るし、またそれでなければ普遍性
はない」と語っています(「相似象」第8号 212頁)


「対向発生の場さえあれば」 というのは
「フトマニの条件がそろえば」 ということですね 

 



3.日本の神と外国の神

そもそも日本と外国とでは、神の考え方が違ってい
るのです。

梵天(ブラフマー、インド人の神)
エホバ(ヘブライ人の神)
ゼウス(ギリシャ人の最高神)
ラー(エジプトの最高神)
といった、外国の神々は天に坐します。

片や日本では、古事記に見られるように、天つ神、
国つ神、そして八百万(無限数)の神々は高天原に
神留坐す。

タカマガハラという言葉は、カタカムナで訳すと、
タカ(発現象の相:現象が発生した姿・形)
マカ(分化の相:分化する姿・形)
ハラ(還元の相:還元する姿・形)
つまり、あらゆるところに「神留坐す」ということです。

タカマガハラという言葉は あらゆるところ
ということなんです

タカマ(現象)と カムミ(潜象)は重合、互換し、
生滅(生まれることと消滅すること)を繰り返しています。

その生滅の実行者はカのミ(神)です。
万象万物すべて、神の仕事場なのです。


カミという言葉は、川の上流を川上、といいます
根源へと遡った先をカミといいます。
同様に私たちの体の根源は、カム・アマ(始原量)
なのです。万象万物は一つからは生まれません。
カムとアマの二つから、すべてが生滅しています。
宇宙も例外ではありません。

上古代の人たちは、カミ(生命の根源)を捉える
純粋な感受性を持っていました。
それを、楢崎皐月は「カミ感覚」といっています。

カミ感覚は動物的感覚、本能、感受性であって、
それは神(カムナガラを簡略した言葉)が私たちや
生物と交信するために作られたのです。

動物たちは神と交信することで、生まれた場所へ時期
を違えずに戻れるわけです。

我々もアワ(感受性、カミ感覚)を鍛えれば、
生命のカミ(根源)に共鳴して、
サヌキ(生命を維持するための判断行為)を発動し、
生きていくことが楽になるのです。





4.アマ(始原量)は カ

始原量とは、生命の元の元の一番小さい潜象の粒のこと。
アマには、容れ物と中身の二つの意味があります。

カムからアマ(宇宙球という容れ物)にカが発生
した場所をマといいますが、
そのマ(中身)のことも、両方ともアマといいます。

カムナガラ(カムが関わって)生命をどのようにして
発生するのかという発想は、
現代人には全くありませんでした。


私たちのカミ(根源)は、アマココロ(極微粒子)です

カム(無限界)から、カタ(カとして独立)して
マ(発生の場)に供給された潜象の小さい小さい
粒子のことです


これをアマ、アメ、カハ(カの正反)等ともいいます。

楢崎はこれらの潜象微粒子を「始元量」と訳しました。
元は すべて カ です。
その始原量はヒフミヨイムナヤと段階を経て成長
していきます。


宇宙に密充しているアマ(始原量)は、カが芽を出
したイメージで、アメ(現象の芽)とも呼びますが、
カには違いありません。


カは他にもカム、カムツミ、マリ、ヒ、アワ等とも
呼びます。ここがカタカムナの難しいところですが、

カムナガラ(カムからカが何兆回も現れること)に
よって、カが体に給与されて生命活動が続くのです。


私たちのミノシロ(生命体)もイキココロ(生命力)
もアマ(始原量)がウツシされていますが、その
アマウツシを十分に受け取るには条件が必要です。

その第一の条件は、
マノスベシ(自然の秩序に従った生き方をスベシ)
なのです。オノズサリ(自然さ)が大切なのです。



今日はここまでです

関連サイトや書籍つきましては、説明欄に
貼り付けますので、よろしければ参考に
されてください。



最後までご視聴ありがとうございます
モロカゲサチ~(^^♪
ではまた