【カタカムナ 生命の神業51 日本の古来文明④】

 

★このブログは2023.6.2にyoutube配信した内容をそのまま まとめたものです★

 

こんにちは! ゆかりです
今回は【カタカムナ 生命の神業51 日本の古来文明④】です

大野朝行さんのHPや書籍を参考にお話し
させていただきます。

項目
1.違いを認め合うのが良い社会
2.細胞の心を大切にすること
3.身滌大祓で心のわだかまりも祓っていただける
4.心の病の原因は抑圧
5.言魂 マカヒクシサリ



1.違いを認め合うのが良い社会

現代の学校教育は型にはめて同じような人間を作り
ます。
明治5年に富国強兵のために、
フランスの教育が取り入れられて
寺子屋が学校教育に変わってしまいました 
上に言われたことに従う教育が今も続いています。

それではだめなのです。

一人一人が違っていて、そしてその違いを認め合う
ことができてこそ良い社会になります。


細胞の社会を見みるとよくわかります。
60兆個270種類ともいわれる細胞が
自分の得意技を生かして協調して働いています。
だからこそ、ひとりの命を生かすことができるのです。

みんなが同じでは、人や社会を生かすことなんて
到底できないのです。

そうなんですよね、ホントに。
だから、今後の教育は進化した寺子屋形式に変えて
いきたいですね。




2.細胞の心を大切にすること

「真の自己を生み出す場の体を大切に扱い、
魄を大事に扱うことを忘れてはならない」
(「合気神髄」16頁)

細胞には心があります。魄とは、細胞の心です。

その魄(細胞の心)を大切にすることが合氣では
大切です。
なぜなら、お互いの細胞の心が共鳴し合う
ことを学ぶのが合氣であり、「合氣とは愛氣」だか
らなのです。合氣とは愛なんです。


スポーツでは、体を鍛える際に魄(細胞の心)を
全く考えずに、ハードトレーニングで細胞を虐め
ています。

魄(細胞の心)を大事に扱うことを
忘れてはならないのです。



3.身滌大祓で心のわだかまりも祓っていただける

「滞なければ穢とはあらじ」と「一切成就の祓」に
ありましたが、過去や未来に思いを滞らせなければ
玉垣 (想念のあり方)は清浄なのです。
これが神道の特長です。


渡来文化である業やカルマの思想 
つまり、前世の生存中になされた善悪の行為が
「因果応報」となって現世に及ぼしているとか、
人は生まれながらにして罪を背負っているから、
今生ではそれを精算しなければならないといって
心を縛ったり、

倫理や道徳、戒律などを提示して、それを破れば
自身の心が責めさいなまれる というような
不健康なあり方。これは渡来文化のものです。
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懺悔ではなく、魂の学びなのです。

浄化という考え方も、善悪に二分する考え方も
渡来文化のものです。

罪とか穢れは「人」が作りだしたものですから
それを作れば侵すことにもなるでしょう。

日本も平安時代の頃になると、罪や罰の意識が
入ってきました。と同時に、それをお祓いする
という考え方も生まれてきたのです。

「身滌大祓」という神拝祝詞があります。

「高天原に神留座す。神魯伎神魯美の詔以て。」
(以下省略)
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「高天原に神留座す。神魯伎神魯美の詔以て。
皇御祖神伊邪那岐大神。筑紫の日向の橘の小戸の
阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生座る祓戸の大神等。

諸々の枉事罪穢れを祓い賜へ清め賜へと申す事の由
を天津神国津神。八百万の神等共に聞食せと恐み恐
み申す」
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これは「古事記」の中に伊邪那岐大神がイフヤサカから
脱出した後に
「私は穢き国にいったものだ、禊をしょう」
といって、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で
禊をしたという話がありますが、これに習ったものです。


これを唱えることで、祓戸の大神等や八百万の神等
によって、私たちの心のわだかまりを祓っていただ
けますから、清涼な心でいられます。
こういうことも日本人の精神を強くしてきました。

この伊邪那岐大神のお話 いいでしょ!
好きなんです。





4.心の病の原因は抑圧


現在は外国文化から来た道徳、倫理、戒律、法律、
それと世間の常識とされる行き過ぎた考え方によって、
心に不必要な罪悪感や敗北感を背負わされています。


常識というものに縛られ、我慢することが多くなる
につれて落ち込んでしまうのです。
いったん落ち込むと、
そこから なかなか抜け出せません。


神道に道徳や戒律がないのは、
それらで自分を抑圧してしまうこと自体が
お天道様に申し訳ない行為だからです。


そんな決め事がなくても、調和の心で、内なる心の
鏡に照らし合わせ、感受性を働かすことができれば
万事解決することです。

仏教には解脱しない限り
三界六道を輪廻転生しなければならないという
考え方があります。

三界とは迷いの世界である 欲界、色界、無色界のこと。
六道とは 地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天のこと


様々な界に何度も転生して、体験するのです。
そのような体験を通さなければ、ひとは学べない
のでしょうか。

外国文化に染まってしまう以前の日本の精神性は
遥かに高かったのです。

三界六道等を輪廻して学ばなくても、
カタカムナ文明を持った日本人のカミ感覚は
養われていたのです。


書籍「武産合氣」(30頁)に
「人間は、汚れ、けがれを浄め祓い、そしてその人の
天授の使命を完うさせてゆくのが、合氣道なのです」
とあります。

人の道は六道輪廻を体験することではなく、
天授の使命、命を実行することが大切なのです。
天命は各自違いますが、一人一人に与えられています。

ということですので、
自身の天命の種を養い育てて参りましょう♪


歴史については、また続きを撮っていきますね。



5.言魂 マカヒクシサリ

これは
体や精神の今の性質を良くすることで、
アワ量を増やして個々の微粒子が山積みに
なっていることです。


私達が、人生を如何に生きれば、元気に心安く過ご
せるか というと

姿勢や歩き方、呼吸のあり方、動き方、心の持ち方
などがマノスベシ 自然の秩序に従った あり方で
あることに尽きると思います

「マカヒクシサリ」は
アワ量を増やすこと これが第一なのです。

このようなカタカムナの発想は、いわゆる
「トレーニング」で筋肉を鍛えるという外国文明の
発想とは根本から全く異なるのです。

筋肉ではなく感受性を鍛えて、感受性に従った動き
が生まれることがイキを鍛えることになるのです。

「マカヒクシサリ」

ぜひ、使ってみてくださいね。



関連サイトや書籍につきましては、説明欄に
貼り付けますので、よろしければ参考に
されてください。





今日はここまでです
最後までご視聴ありがとうございます
モロカゲサチ~(^^♪
ではまた