★カタカムナ 生命の神業47【日本の古来文明①】★

★このブログは2023.4.16にyoutube配信した内容をそのまま まとめたものです★
 

先ず、お詫びと訂正があります。
書籍の名前の読み方が間違っておりました。
「カタカムナで直感する 神人一体の合氣」の
カミヒトの部分の読み方はシンジンが正しかった
のです。申し訳ありませんでした。

では、今回も
「カタカムナで直感する 神人一体の合氣」やHP等
を参考に、日本の古来文明の素晴らしさを
お話させていただきます。



項目
1.縄文時代の文明は大陸へと伝わった
2.縄文時代の生活技法



1.縄文時代の文明は大陸へと伝わった

縄文時代を戦前は上古代といいました。
世界で唯一といって良いほど優れた文化と
豊かな自然に恵まれていました。
カタカムナをルーツに持った日本人は、素晴らしい
生命力をもって、長い間平和に暮らしていたのです。

カタカムナを解明した楢崎皐月は、大東亜戦争時代、
陸軍の製鉄所の所長として吉林に住んでいました。
ある日、その地で最も人々の信望を集めていた
老子教道士の蘆有三に遭遇します。

蘆有三によると、「上古代の日本の地に、アシア族
という、高度の文明を持つ種族が存在し
「八鏡の文字」を創り、特殊な鉄をはじめ、様々な、
生活技法を開発していたこと、

そして、後代の哲学、医学(易の思想や素問・霊枢、
漢方等)は、その文化の流れの中に展開したもの
であるという、老子の古伝をあかしたのです」

「相似象」第8号86頁 に載っています。

このことは、日本の多くの方々に伝えたいと思って
動画「生命の神業12」で詳細をUPしておりますので
よろしければご覧ください。


2.縄文時代の生活技法

縄文時代は弓矢をもって獣を追いかけていたと
思わされていますが、
それは間違っていると思います。

日本には、貝塚を見てもわかるとおり、
自然の恵みは豊かで食事にも事欠かなかったはず
ですから、狩りをする必要などなかったのです。
肉食ではなかったことも日本人特有の強さを
作り出しました。

衣服も動物の皮ではなく
マツロユフミチという服織法(ハトリ、機織りから
変化した)がありました。
稲作も農業技法もありました。縄文時代の稲作に
ついてのウタをHPからご紹介します。

カムナガラノミチ 第71句
「カムナガラノミチ」全104句は『相似象』第5号に
載っています。



【稲のウタ】

カムナガラ 
イナホタカチホ オモホツミ 
シツエワキカブ キザミタチ 
タガラモリミチ ヤサカナリ


【大要】
○カムナガラ
形こそ目には見えないけれども、カムナガラのサトリ
によれば

○イナホタカチホ
稲穂を高い穂にして

○オモホツミ
重い穂になる程、実を付けるには

○シツエ
下方の枝葉

○ワキカブ
脇株。放置すると下の方からでた脇株に穂が着いて
しまいます

○キザミタチ
下からのびてくるのを切り刻み断ち落とします

○タガラモリミチ
これが農作技法であり

○ヤサカナリ
相互繁栄の法則です


ここまでが 稲作についてのウタでした。





そして、日本文化の優秀さの一端として、
「特殊な鉄」を作る、カムヒルメ 製鉄法があります。
現在は、西洋の製鉄法に変ってしまいましたが、
日本には砂鉄を原料としたタタラフキという
製鉄技法がありました。

しかし、それ以前に火山の鉄鉱石を焼いて作る技法
があったのです。
普通、鉄はどんなに薄くしても透き通ることなど
あり得ません。それが、裏側から表の形が見えたと
ドイツの技術者を驚かせたほどの技法です。

これについての詳細は「生命の神業15 鉄のウタ」
をご覧いただければと思います。


関連サイトや書籍につきましては、説明欄に
貼り付けておきますので、よろしければ参考に
されてください。



今日はここまでです。
また続きを撮って参りますので、
よろしくお願いします。

モロカゲサチ~(^^♪

ではまた