ぬるま湯からの脱却
高崎山(大分県)の猿と下北半島の猿は、同じ猿の集団を作るがその内容は全く違うらしい。
高崎山の猿はエサがもらえるから、内部抗争に力を注ぎ力の強いものがボスになる。下北の猿は自分たちでエサを採る必要があるから、エサをとる能力(技術や情報など)に優れたものがボスになり、情報収集のためアウトローをうまく利用する。
同じように、役所もエサが与えられるわけだから、結局は内部抗争や派閥抗争、保身に目が行き、改革はできないという議論がある。
改革ができる・できないはさておいて、仕事(組織)の性格上、そのようなちがいは確かにあると思う。エサをとる、即ち、利益を上げるという意識がないから純粋によい仕事ができるという反面、のんべんだらりと仕事しても生きていける。
逆にエサをとる、即ち、利益を上げるという意識があるから真剣に顧客サービスを考えるが、反面、目先の利益のためにズルをする。
どちらも、それなりの倫理観が求められるわけであるが、それぞれがそれぞれの世界にいる間はそれぞれがそれで幸せである。
問題は、高崎山の猿が下北に行ったときである。今までエサを貰っていたが、いきなり自分でエサを採るという環境におかれた時、どうするか?そのように意識を変えて頑張るか、高崎山で味わったことを自然に求め結局消滅するか、どちらしかない。多分消滅するであろう。
今、日本の人間の社会にもそのようなことがおきている。今まで規制や法律で保護されていたものが、規制緩和や法律の改正で競争社会に組み込まれるようになってきている。当事者が、よほど強い決意で意識改革を行わないと、下北半島につれてこられた猿のように消滅してしまうかもしれない。