人事考課の評価基準が未設定のため、評価の統一ができていません。考課要素や着眼点などは、等級ごとに整理されていますが、段階ごとの評価基準が必要だと考えています。ちなみに評価定義は最上級がSで最下位はDです。目安的で結構ですが、評価基準を教えていただけないでしょうか。
評価段階の目安ということですが、まず、ABCの3段階で考えて、その後、必要に応じて5段階にするとよいと思います。
ABCの真ん中のBは、「標準。期待通り。会社や上司の期待通りであった。多少のミス間違いや問題点があったが、許容範囲である。」という目安でよいと思います。
Aは「期待を上回る。申し分ない。ミス間違いや問題点はまったくなかった。」
Cは「期待を下回る。問題がある。ミス間違いや問題点があった。許容範囲を越えている。」
というようになります。
その上で、Cに該当し、さらに業務に支障をきたした場合はDとする。
Aに該当し、上回った期待値が上位等級のものであった場合はAとする。
というようにD・Sを考えられるといかがでしょうか。
ホームページ「評価の疑問
」の「評価の段階
」の記事に詳しく掲載しております。
ご覧ください。
http://www.sabcd.com/01kihon/12kihon.htm#9
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当社の成績考課の考課要素に「仕事の量」という項目があります。仕事の量が多いのが良い評価になるのであれば、業務の改善をせずに、仕事の効率を上げないほうが良いということになってしまい矛盾すると思うのですが、どう考えればよいでしょうか。
そうですね。「仕事の量」という言葉だけ見ればそのように考えられますね。ですが、人事考課での「仕事の量」というのはちょっと意味が違うのです。
成績考課(会社によっては業績考課、期待成果の評価、成果評価など)を明確に行うためには、本人の役割や目標を明確にし、個別にその達成度を判定していくようにするとよいのですが、定型的な仕事をしている部署・階層においては、「仕事の量」「仕事の質」という考課要素を採用している企業が多くあります。
その場合の、「仕事の量」という考課要素は一般に次のような考え方で行っています。
まず、成績考課(会社によっては業績考課、期待成果の評価、成果評価など)は、上司が与えた指示命令や分担された役割、目標などを達成したかどうかを判断する考課項目です。その中の「仕事の量」ということですから、「上司が与えた指示命令や分担された役割、目標など」を量的な面から達成したかどうかを判断することになります。
すなわち、「上司が与えた指示命令や分担された役割、目標など」について、期限を守ったかどうか、期限における処理量は期待通りであったかどうか、を判定するということです。
「仕事の量」という考課要素は、決して仕事の量そのものが多いかどうかを判断するものではありません。仕事の量的な達成度(期限や処理量など)を判定するものです。
以上、よろしくお願いします。
この記事は「評価のQ&A 」にも掲載しています。
先日、我が家に振り込め詐欺から電話がかかってきた。手口は次の通りだ。
○○君(息子の名前)のお父さんかお母さんいますか?
⇒ 私ですが。
県警ですが、息子さんをわいせつ行為で今検挙しました。
⇒ えっ、わいせつ行為?何をしたんですか?(おかしいな)
通勤途中、コンビニで23歳の女性の下着を携帯のカメラで盗撮したんです。
⇒ いつのことですか?(今日は休みで部屋にいるとのことだったのに)
検挙したのは11時30分ですが、事件を起こしたのは9時26分です。
⇒ そうですか、ところでおたくさんは、どちらさんですか?(詐欺だな)
埼玉県警の山下です。
⇒ そうですか、で、私はどうすればいいのでしょうか。(だまされてみよう)
ガチャっと電話を切られた。
途中でわかったので、だまされてみようと思ったのだが、冷静に対応しすぎてバレてしまったみたい。今度はもっとうろたえてみよう。
たまたま、今回は朝電話で話していたのですぐわかったが、他の日だったらどうだったのか。ちょっと怖い気がする。(情報漏れも含めて)
条件つきの信頼と無条件の信頼。どちらがいいかは別にして、そのような違いが生じる理由を考えてみた。
条件つき信頼とは「信頼できる人」というような表現で使われ、期待通りの能力があるという意味を持っている。したがって、失敗すると「信頼できないヤツ」になってしまう。
例えば、「彼は失敗するので信頼できない」「彼はいつもいい成績を上げるので信頼できる」「能力が高いので信頼できる」という言い方を場合は、条件つき信頼ということである。
無条件の信頼とは見返りや成功を期待するのではなく、自分の意思として「信頼する」ということである。
例えば、「彼はよく失敗するが、私は彼を信頼する」「仕事の能力は高くないが、信頼している」という言い方をする場合は無条件の信頼ということである。
その発生条件は、
取替え不可能な場合は「無条件の信頼」、取替え可能な場合は「条件つきの信頼」になるのではないだろうか。
例えば、
自分の子供・親 → 取替え不可能 → 無条件の信頼・無償の愛
配偶者(新婚当時) → 取り替えようとは思わない → 無条件の信頼・無償の愛
配偶者(倦怠期) → あわよくば他の人と → 条件つきの信頼(してくれない)
配偶者(さとりの境地) → 死ぬまで一緒に → 無条件の信頼
会社創業時の部下 → 能力はなくても、変わりは他にいない → 無条件の信頼
会社成熟期の部下 → 能力のある人間は他にもいる → 条件つきの信頼(結果を出せ)
将来を託した相手 → 選抜した結果であり、他にはいない → 無条件の信頼
など
すなわち、かけがえのない人には「無条件に信頼」をするということだ。
人生で何人の「かけがえのない人」と出会う、見つける、感じ取るのだろう。
参考記事 ⇒ 「信頼する」とは?
考課者訓練で「人事考課は仕事上の行動や結果を評価するものであり、性格や人柄などの人物評価ではない。」と言っているが、そこがなかなか難しいらしい。
いくら仕事上の行動や結果を客観的に評価すると言っても、気に入った人はよい行動ばかりが目に映り、気に入らない人は悪い行動ばかりが目に映る。
考課者は好き嫌いで評価している自覚はなくても、結果的には、気に入った人はよいことばかりが記憶や記録に残り高い評価に、気に入らない人は悪いことばかりが記憶や記録に残り低い評価になってしまう。結局は、好き嫌いの評価と同じになってしまう。
考課者の心の中までは見えないので、意識的に好き嫌いで評価している人もいれば、上記のように、無意識のうちに好き嫌いで評価している人もいるであろう。そのようなことを全くゼロにすることは不可能であろう。
ある程度は考課者の感情に左右されるものであると考えざるを得ない。その上で、考課者が好きになる被考課者はどのような人かを考えると、見えてくる。
上司の仕事と部下の仕事がしっかり連鎖している組織であれば、考課者(上司)が好きになる部下は、仕事をしっかりしてくれる部下(被考課者)ということになる。仕事をしっかりしている部下とうのは、すなわち客観的に見ても「よい行動をし、よい成果を出している」ということである。仮に、考課者の感情が入ったとしても、それは何ら問題ないことであり、逆にそれが正しいかったということになる。
ところが、上司の仕事と部下の仕事が連鎖していない組織では、考課者(上司)が好きになる部下は、仕事をしっかりしてくれる部下(被考課者)ではなく、「組織ではなく、自分にとって都合のいい人」「ゴマをすってくれて心地よくしてくれる人」「自分に文句を言わずに服従する人」などになってしまう。逆に、上司より仕事をしっかりしている人は煙たがられ嫌いな人になってしまう。
このようなことは、甘い体質の企業や公務員的組織でよく見受けられるが、人事考課を実施する前に、組織管理体制の見直しや管理者意識の向上を高めることが必要である。
それをしないで、人事考課制度だけを導入して実施すると、最悪の結果になってしまう。
経理の人事評価がよくわからないです。どの部分に焦点を当てて評価していけばよろしいでしょうか。
経理に限らず人事評価は、どのような成果を上げて欲しいのか、また、そのためにどのような行動をして欲しいのか、を明確にする必要があります。
私はこれを期待成果と期待行動と言っていますが、これを各部署ごとに明確にすればよいと思います。
そのためには、その部署の使命を明確にして、その使命を全うすることで会社にどのような貢献をすることになるのかを考えます。また、どのように行動すること、どのように業務を進めることでその使命が全うできるのかを考えて、目に見えるように表現します。
例えば、経理・財務部門を想定した場合
使命:
会社のお金を有効活用し、会社の業績を上げる。
期待成果:
経常利益率、回収率、資本利益率、キャッシュフロー額、コスト削減などである一定の数値目標を達成すること。
期待行動:
① 適切な資金繰り計画を作成し、それに基づいて、適切な資金調達を行う。
② 試算表作成について、期限内に余裕をもって、全くミスなく作成する。
③ 月次決算を所定に時間(期限内)に、ミスなく完了する。
④ 請求書発行業務時間を現行よりも○○時間短縮する。
⑤ 支払いミス件数を○%(○件)減らす(なくす)。
⑥ 修正伝票件数を○%(○件)減らす(なくす)。
などが考えられます。
以上、よろしくお願いいたします。
信頼を辞書で調べると、信じて頼ること。「人を―する」「―を裏切る」「―性」「―度が高い」「―が置けない」と書いてあった。
また、Wikipedia(ウィキペディア)記事検索 では、信頼とは、相手を信用し、頼りにすること。信用が、「悪いようにはしないだろう」程度の消極的な人間関係であるのに対し、「自分の味方になってくれる」との、積極的な意味合いがある。と説明してある。
で、その信頼であるが、「信頼する」と「信頼できる」とでは、まったく意味が違うように思う。
「信頼する」するとは、条件や見返りなどを求めないで、自分の意思として「信頼する」ことである。失敗や成功に関係なく信頼するということである。
「信頼できる」とは、自分の期待通りに行ってくれる可能性が高い、自分の都合のいいように動いてくれるだろうという期待感を含んでおり、自分の意思ではなく、相手の能力に対して、「信頼できる」という言葉を使っているような気がする。したがって、失敗すると「信頼できない」と思ってしまう。
すなわち、「信頼する」とは、相手が失敗しようが、ミスしようが、その人間を信頼するということであり、「信頼できる」とは、自分の思惑通りにできる能力や可能性があるので期待するということである。
仮に、思惑通りにいかなかった場合は「信頼できない奴」と手のひらを反してしまうことになる。
相手に条件をつけずに(見返りを求めずに)、自分の意思で相手を信頼する気持ちをもっと強く持ちたいものだ。