あたしは猫だ。ワンちゃんには献血があるらしい。特別のボランティアだか職業での献血があるらしいが、猫のは知らない。
あたしは知る限り生粋の野猫の出で、あったところで献血はしない、受けない派だ。
手術だって受けてないのだ。手術より室内猫になったのだ。
だからこの話題は、しばとらにゆずろう。
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しばとらは、はたちは越えたけどまだ脛かじりで献血ぐらいしかできないかなと献血をしていた。
贅沢はしなくてもきちんと食べて、献血できるなら、と思っていた。
そのうち、しばとらがきちんと食べてるからというより、親が食べさせてくれてるからだな。と思うようになった。
そんな折に、針をさしたときからとても痛くて、始終痛くて腕がしびれるようだったことがあった。
しばとらが育てたわけでもない、その上こんなに痛い思いをして、献血していていいんだろうかと思った。
腕には、針の跡がいくつもいくつも残っていて、独立もしていない、しばとら自身のこともしばとら自身でしてないただ守られているだけなのに、その守られているしばとらの体を、針の刺し傷だらけにしていることが、突然罪悪のように感じた。
そしてしばとらは、それっきり献血を止めてしまった。
しばとらにとっての近しい人があるとき輸血のお世話になった。
それを機会にしばとらはまた献血をはじめた。そのひとに血液を分けてくれた誰かへの感謝の気持ちで始めた。
しばとらの血液型とそのひとの血液型は同じだったから使ってもらったらいいと思ったのに、今はそういう時には献血の血液を使うことになっているからと断られたのだ。
そのときは、献血の血液も絶対安心ともいえないのに、献血のシステムを支えるためか、余剰血液や輸血流れの血液を再利用できるから輸血を誰かが後押ししてるからかと非常に不満を覚えたのであったが、それでもお陰さまでという気持ちが強かった。
そんなあるとき、しばとらは献血できなかったことがあった。まさかのうすさでお断りされちゃったのだと。
しばとら自身が貧血で病的だというほどの程度ではないけれど、生きるか死ぬかのときの輸血に使いますからと言われたらしい。実際には、薄いのからとって貧血を起こされたのではいかんのだろうと思った。
そんなことが数回続いた。
レバーも好きだし、フライパンも鉄だし、なんでかなあ・・・
はじめてのことで不満だったそうだ。
貧血と貧血症状とは同じじゃない。貧血というほどのことでなくても、症状がでることもある。
鉄を補給するわけじゃないけど、くらくらふわふわによく効く漢方薬がある。
貧血でもなし補給をやめといてと言いたくなる病的な状態もある。
しばとらはふらふらくらくらも無い。だが、補給はぜひ止めとけといわれる状態でもない。
ふらふらはなくてもこれは補給してみる意味があるだろう。
のんで悪いのじゃないなら、しばらく飲んでみれば?
と勧めて自分のもっていたのをしばとらに差し出してくれた友人がいた。
しばとらは心を動かされ飲んでみることにした。しばらくして献血をしてみるとよくなっていた。
それっきりほったらかしだが、その後の献血に支障はないらしい。
献血してしばらくして送られてくる検査の値はいつでも覚えてもいないくらい正常値だったが、これまたあるときコレステロールが高かったことがあった。これは近い食生活がよく響いたのであった。つまりはしばとらが数日どか食いしたのだ。
しばとらは悔しがり、いつもより短い期間で献血に赴いた。
その時ばかりは送られてくる結果が待ち遠しそうにしていた。そして結果はいつもの正常値にもどっていた。
それにしても、実をいうとしばとらは注射が大嫌いだ。痛がるし怖がる、これが薬なら絶対お断りするという。
口から入れるのにしてください。ときっと抵抗することだろう。
血管に針をさすというのも怖い。それこそ薬なら絶対お断りする。中身が間違ってたら後悔しても遅いじゃないか。飲んだものなら吐き戻せるが、注射したものは出すわけにもいかない。問題ないとか、解毒できるとか、そーゆー問題じゃない。いうなれば、たかがではあるが気持ちの問題だ。。。とわめく。
出すだけ限定の献血だったからこそ、やってこれたのに、最近は400mlでないとお断りされるらしい。
しばとらもこれにはしばらく抵抗した。
成分献血ならお断りします。
実際、何度か成分献血なら受け付けるといわれて止めた。400mlならとって200mlならいらないくらいなら献血の重要性はどうせ低いに決まってる。痛い思いなんかするもんかと帰ってきたものだ。
それをやってみたのは、血球数を数えてくれるのが400mlか成分献血をした場合にかぎるからで、体が小さくて体重が足りないしばとらは、成分献血をしないわけにはその結果におめにかかれなかったからだ。
興味をひかれ、好奇心を抑えられず、しばとらは、とうとう、成分献血をしてしまった。
これっきりと思っていたのに、その後も200ml献血はお断りされていて、ふと何度か足を運んでるのにまたこのまま帰るのも気が悪いと成分献血をしようとしたところうすくてお断りされたのだった。
そのせいで何度かまた成分献血でもかまわないというはめになり、そしてまたコレステロールではめになり・・・
3回ばかり成分献血をしたようだ。
するするとはやく終わったこともあったそうだ。 なかなか進まず、にぎにぎを繰り返したこともあったそうだ。
4度目には何の理由も無く立ち寄った。むしろ、何の理由も無いからこそ献血かなと思って立ち寄ったそうだ。
やっぱり成分献血かと思ったが、もう慣れたかな、とも思った。また、いやだなとも思った。
血球が戻される時、時にはなんだか冷たく、気分が悪いほどではないが、点滴が冷たくて不快なような嫌な感情がわき起こるらしい。それがいやだと話していたことがある。
嫌なわけはもう一つきいているが、それには触れない。
とにかく、勢いでその日も献血をした。
その日は調子よく血液は流れ出て、むかむかくらくらとしはじめ、そして結局時間を長引かせることになった。
しばとらは、献血する意味を問われたような気がしたという。
献血はボランティアだ。することに意味がある。できることにも意味がある。できてもしないことにも意味があると思う。
ただ無関心でだけはいるまい。
しばとらはそういうが、あたしは以前とかわりなく無関心でいる。
