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私は 『また』 殺されそうになりました。

十月三十日午前二時過ぎ頃(彼らに睡眠を操られるので、こんな時間帯での外出とはなるのです)、場所は定禅寺通り。

一週間以上ぶりの外出に運動不足を補おうと、通り真ん中の遊歩道を歩いていた処、、 「突然に」大きくつんのめり、数歩も前へと姿勢が崩れたまま歩まされました。

後一歩の場所をタクシーが通り過ぎ、冷や汗をかきました。


つんのめる「寸前に」妖怪とやらの「ホレッ!!」と言うふざけた声が聞こえて来ました。

振り返って見れば、、つんのめった場所には何も障害物はなく、明らかに超科学で倒されてはいたのでした。



仙台は大きな都市で、広めの道路があちこちにと拡がり、そこを(深夜でも)相当なスピードで車が通り過ぎて行く街なのです。

このやり方、この超科学で、、今後幾らでも私が死亡する可能性はあることでしょう。




母が遂に亡くなり、警察の方々が拙宅に来て下さって間もない頃、、トイレに私が行くと、さぞ小気味良さげな妖怪の笑い声が聞こえました。

この談笑するかの如くの本当に楽しそうな笑い声は、、その日一日中何回も私を襲ったのでした。



この時から時間は遡ります。

亡くなる四時間程前に、母が「突然」イビキをかき始めました。


二日程でしょうか、、妖怪らの電磁波攻撃で殆ど一睡もしていなかった母でしたから、私は素直にその寝息を喜びました。

しかし一方、父が同様にして亡くなっている経験上、もしかしたら脳卒中を起しているのでは、と不安も生じました。

それでも、「苦しみの連続の末に、ともかくもこうして安息の睡眠を与えられているのだから良いではないか?」、と自分を慰めたのでした。


この四時間程の母の睡眠の間に 「アハハハハッ」 と何回も妖怪は笑い声を立てました。


火葬の後、母の御骨を拾う時に頭蓋骨に大きな紫色の染みが拡がっているのを私は目に焼き付けました。

(栄養失調などここに記すのも憚れる苦しみの果てに、)遂に脳内出血を起し意識を失った母に電磁波攻撃を行うも、母の無反応ぶりに妖怪は喜びの声を挙げていたのです。



母が亡くなって二ヵ月半の時間が流れました。

この間、「撤収を行うのだ。その準備なのだ。」、と毎日朝から晩まで私は苦しめられて来ました。

睡眠も三時間連続して取ることは、ほぼ完全にありません。