2月5日に7年になりました。


主人がクモ膜下出血を発症した日です。


2009年からです。


今までの振り返りとして思い出に残します。

今現在闘病している人もいます。

発症して間もない人もいます。

発症して亡くなられた人もいます。

様々な病状で生活をしている人がいます。

その中の一人である主人の事を書いています。

当時の写真を載せてありますので、気分を害された時には見るのを控えてくださいね。

我慢して見るものでもありませんから。

一つの症例として書いてあります。

発症してから病院生活と、在宅介護からの思い出を2回に分けて書いてあります。

読んでいただいて、ありがとうございます。m(__)m





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2009.3月の時です。


まだ、人工骨を入れていない時だったので頭が凹んでいますね。


寝ている時間の方が多かった時期です。


よく、先生や看護師さんが言われる覚醒していない時期です。



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3月の下旬に、人工骨とシャントを入れた手術の2日後のリハビリ室に来た時の様子です。

手術のあとで、まだ浮腫がすごいですね。

顔も手もパンパンですね。


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傷口がこのようになっています。



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初めて、私単独で廊下を散歩した時の様子です。


主人は、どの位足が動くか?自分で確かめていました。

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6月の時です。


初めてベッドの角度を上げた時です。


今までは、ここまで起こすと血圧が急激に下がってしまっていました。




この時に看護師さんが研修に行った時の話をしてくれました。


食事の後は、すぐに寝かさず少し頭を上げた状態でいた方が誤嚥性肺炎になりづらいと聞いてきた事を話してくれました。



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最初のシャントを入れましたが、高熱が続き感染していたので4月上旬に除去手術。


これは、7月下旬に今度は反対側にシャントを入れました。




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リハビリ病院に移って、補装具をつけての歩行練習をしていた時です。

血圧をチェックしながらでしたね。

歩行練習の時なんかは、血圧が急激に上がりやすくなっていましたね。

後ろに居る人が主人のリハビリの担当でした。

大変なのに女性の担当でした。

しっかりと見てくれていました。m(__)m




リハビリ病院では、主治医の許可が中々下りずにテスト食のみでした。



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療養病棟がある病院。


左手で食べれています。


息子は高校生で野球をしていて帰ってきてから病院へ来てくれていました。




リハビリ病院ではテスト食だったのが、こちらに来て直ぐに食事ができるようになりました。

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まだまだ左手では慣れないので右手で持って食べようとしていました。


が、手がここまでしか上がりませんでした。
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自分で食べれる事と、噎せない事
が分かったので、ペースト食から刻み食にする為に様子を見ていましたが、両方食べてしまいました。笑


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この時期が一番痩せていた時ですね。


納涼祭の時の様子です。


ここまでが、病院生活でした。


藤枝市立病院~聖陵リハビリ病院~岡本石井病院まででした。


色々ありましたね。


続きは、在宅の様子です。


生きていることに感謝します。


ありがとうございます!!