人工骨・シャント手術をしてから14日目の様子です。
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少し前回の記事(4/3)の様子と違います。
 
少し脂汗のような顔と、明らかに元気がない様子です。
 
4/614:00にリハビリ室にてリハビリをやりました。
 
リハビリをしていた時は良かったのですが、リハビリ室に出て数歩車椅子を押して出たとたんに、
 
ガタガタ震えだしました。
 
リハビリの先生が来て緊急に病棟の看護師さんを呼んでいました。
 
これほど数秒で高熱が出ている瞬間でもあります。
 
その時は内心びっくりしましたが、主人が不安になるといけないので『大丈夫だよ。』
 
というのが精一杯でした。
 
当時の手帳には、36.6℃→38.9℃→39.3℃ と書いてありました。
 
とりあえず病室について座薬を入れました。(18:00に39.3℃)
 
またまた一気に熱を下げたので汗びっしょり。(20:30に36.6℃)
 
下痢便4回。
 
7日も高熱が出ている。
 
家にいるときは何も手につかず掃除をしていた。
 
8日。
 
朝から体調不良で午前中横になっていました。
 
横になっている時に夢を見ました。
 
大きな液晶テレビの画面があり、その前で先生がいました。
 
手術の説明をしていました。
 
その時の画像が生身の人の画像で説明していました。(頭のところを半分にした映像)
 
生々しい夢を見て、変な夢を見たな~っていう感じで目が覚めました。
 
それがちょうど12:00のタイマーが鳴って直ぐに病棟看護師さんからの電話が鳴った。
 
『緊急手術をしますから先生の話があるのですぐに病院へ来てください。何分くらいで来られますか?』
 
あの時は、夢を見た直後だったから体が震えたな~。
 
支度して20分くらいで着いた。
 
高熱の原因がシャントの感染。
 
その除去手術をやるとのことを簡単に看護師さんから教えられる。
 
電話してくれた看護師さんが付き添ってくれて外来で診察している先生の所へ行った。
 
待合室で待っている最中はドキドキしていた。
 
それを落ち着かせるように看護師さんが話しかけてくれた。
 
お義父さんが結核で入院していた時にお世話になった看護師さんだったので話しやすかったけど。
 
顔は覚えていなかったけど名前は印象に残っていたので分かりました。
 
先生からの話は、夢で聞いたことと同じでした。
 
ある意味では冷静に聞く事が出来た。
 
病棟に帰るときには体がふわふわしていて看護師さんが腕の所に手を添えてくれていた。
 
主人に話をした。
 
15:30頃、主人のお姉さんの姑さんが見舞いに来てくれた。
 
『あんた、正○(姉)は正○(弟)のとこへ来てるだかや~。何にも言わないからわからないだよ。』
 
笑ってごまかした。一応はたまに来ている。しかし、『だれだれが入院しているから帰りに寄った。』とか『今日は歯医者さんの予約があったから、その帰りに寄った。』とかだった。
 
条件がないと来れないのか!!←心の声
 
19:00に手術が始まる。
 
部屋で待っていると誰か来ると嫌なのでナースステーションの前の待合室のかどっちょにいた。ここは見えづらいからね。
 
20:15に帰ってきた。
 
首に太いチューブが入っていた。
 
体の震えは一番弱いところに最初に出るんだな~。首から左腕に力が入りづらくなっていた。それが左足までになっていたので、立ち上がりに時間がかかった。きつかったな~。
 
9日の5:30まで付き添っていた。
 
それから息子の送りがあったのでいったん家に帰った。
 
11:00頃に病院へ行き、看護師さんから夕方からチームが変わる事を伝えられる。
 
『チームって何?』
 
看護師さんからの話では、療養と急性期とでチームに分かれているそうです。
 
なので担当の看護師さんも変わった。
 
今日は、主人のお姉さんのご主人の弟のお嫁さんが見舞いに来てくれた。
 
『お姉さんまめったいから毎日来てくれるでしょう!!』
 
明るく言われた。
 
毎日は来ないこと、あまり来ていないことを伝えた。
 
『うちの夫が入院していた時に、酒屋なんで私の代わりに毎日来てくれていたから、てっきり毎日来てくれていると思ったっけ。』
 
『・・・』
 
なんかさ~、こういうこと聞くとばかばかしいよな~。親が入院した時も付き添いに来なくて、見舞いに行って洗濯物があっても持って来なくって、電話で『洗濯物があるから取りに行ってやって。』とか『オムツが少ししかないから買って持ってってあげて。』こういう人だ。弟がこうなっても何の変化もなかった。←心の声
 
看護師長さんから話があった。
 
ちゃんと寝ているか?ちゃんと食べているか?家ではどうしているか?
 
ほかに付き添いをしてくれる人はいないか?
 
ちゃんと食べてこなかったら見舞いに来ちゃダメ!!っても言われた。
 
そうだよな~、主人が入院してから食べ物がのどに通らなくなっていた。
 
朝ヨーグルト一個、お昼ヤクルト一個、夜だけは息子と食べていた。
 
入院したばっかりに食事の支度をしようとして、息子に怒られたことがある。
 
『お母さん、何人分作ろうとしているの!!二人しかいないんだからそれだと多いでしょう。』
 
確かに材料が三人分手に持っていた。
 
いつもの習慣だ。(笑)
 
10日
髄液の管を取り付ける。軽めのリハビリ。
 
11日と12日
しゃっくりが止まらない。
12日に骨髄液検査。
日曜日なのでリハビリがなかったので、指先だけマッサージをしてみた。
 
12日は、親子でたけのこ掘り体験を裏山でやった。
約30人参加。
山の平らな場所にて炊飯とお味噌汁を作った。
前日に、フキの煮物とセリを茹でて麺つゆで和えたものを作ったので、それをみんなに出した。
炊飯は2升炊いた。
みそ汁は中鍋で作る。
13:00解散。
14:00まで一緒にたけのこ掘りを担当してくれたMさんと話す。
 
14:30には病院へ。
 
13日までしゃっくりが続く。
まだまだ熱が安定していない。
 
14日
しゃっくりが止まり、目がぱっちりとしていた。
帰り際に、むくみ・腕の所赤い発疹・鼻からのチューブに血?
看護師長さんが入ってきたので、このことを話す。
 
次の日に、先生から髄液のチューブを抜くとの話があった。
 
17日
下痢の原因が菌という事で個室に隔離。
その時の説明が副院長先生。主人が救急で運ばれた時に最初に診た先生でした。
ちょっとフラッシュバックで体調不良。
 
この時期は、色々なことが次々と起こっていた。
正直しんどかった。
主人の方がものすごい試練があったんだと思います。
変わってあげたかったけど、精神的なきつさは私が経験しているので、これは誰にも変われないんだと思いました。
 
その時その時で対処するという事を強く感じた出来事でした。
知識を知らずにやるっていう事はある意味幸せなのかな~?
どうなのだろう。
 
今だから考える事だけどね。
 
心の葛藤があるってことは仕方ないよね。
 
しんどいけど乗り越えなければいけないことってある。
 
それから逃げるか逃げないかで人は変われるのかもしれない。
 
巡り合わせで難を請け負う人が居るんだからね。
 
逃げずに、今自分がやれることをやる事が大事だと感じます。
 
 
 
長々と読んでくれて、すみませんでした。m(__)mm(__)m
ありがとうございます。m(__)m
 
今生かされている事に感謝です。
『ありがとうございます。』