僕が僕のすべて201 J | 櫻の妄想小説置き場【可塑的かそてき】

櫻の妄想小説置き場【可塑的かそてき】

【可塑的かそ・てき】思うように物の形をつくれること。 塑造できること。
主にラブイチャ系よりは切ないネガ多めです。
※このブログにある物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。

年末にかけて進行中の大埜さんのライブツアー。

 

『今回は一旦アルバムを元にっていう概念から外れてぇと思ってる』
『…といいますと?』
『そんままだろ、アルバムに囚われないコンサートを作りたい、やりたい。ただそんだけだ』

 

一旦スタートさせた案件はあっさり白紙に戻されて。

それでもスタッフ総出でここまで漕ぎつけることができた。

だけど、ホッとする暇もなく怒涛の日々は続いていく。

 

先々週まで地方でツアーを開催していて、久しぶりに東京へと戻って来た。

天気予報では昨日までは晴れていたはずなのに、今日の空は曇天模様。

しかもなんだか雨まで降り出しそうな気配すらしてる。

せめてお客様が家や宿泊先まで辿り着くまでは、なんとか持ちこたえて欲しいところ。

とはいえドームの中じゃ正直天気なんて分からないのだけれど。

 

「今日はめずらしく、なんのトラブルもなく順調に進んでるねぇ」

「にの~、おまえ俺らがどんだけ寝る間も惜しんで改善に時間費やしてきたと思ってんだよ。それに次から次にトラブルが起こってちゃ俺らのプロモーションの質が問われるだろ」

「まぁそうなんだけど」

 

にのとこんな他愛もない会話ができるのも、ツアーを幾つもこなしてきたことの象徴で。

さっき話題にも上がっていたけれど、トラブルが起きづらくなっていることと、若干慣れが生じてきたことにより、心に余裕ができてきたのは確か。

まぁこれで慢心してちゃ駄目だってことも、長年の経験から習得済。

なんて、この時の俺はまさか今夜のライブがあんなことになるなんて想像すらしていなかった。

 

「みんな今日はありがとう。実はさぁ今夜みんなに聴いてもらいたい曲があんだよなぁ。それを今からここで歌ってもいいかな?」

 

大埜さんが突然MCの途中でそんなことを言いだして、割れんばかりの黄色の歓声の中、俺とにのは顔を見合わせた。

にのの顔色がどんどん青ざめていく。

自分じゃ見えないけれど、恐らく俺の顔もそうなんだろうと思う。

 

だってさ、そんな大事なこと全然聞いてねぇし!

それに、これまでのライブでだって一度もそういうことはなかったというのに、なんでここにきて急にそんなこと。

 

「今度リリースする新曲のカップリング曲なんだけど……みんなのために作った曲だから誰よりも一番に聴いて欲しくて」

 

大埜さん!ちょっと待ってください!

なんて俺の声は、当然聞こえるはずもない。

 

「ちょっ、潤くんどうすんの!」

 

どうするったってこんな非常事態、俺だって分かんねぇ……、

って………、

 

「あ……」

「え?」

「俺、曲持ってる」

「嘘!」

「マジ」

 

何の気なしに、事務所の人から”まぁ使うこともないとは思いますが特別に"と受け取ったUSBを慌てて鞄の中から取り出してにのに手渡した。

 

「にのっ、カップリングって言ってたから多分二曲目!」

「分かった!」

 

にのが機器にUSBを接続して操作したのとほぼ同時に、

 

「では聴いてください………Still...」

 

シンと静まり返った会場にそんな曲紹介が響いた直後に、ぴったりと前奏が入り込んだ。

伴奏が入るなんて思っていなかったのだろう、大埜さんは一瞬びっくりしたような顔を見せたけれど、それはすぐに穏やかな表情に変わった。