☆越後七不思議の伝説の残る境内から温泉が湧出する☆
場所・ 新潟県新潟市西区黒鳥
泉質・ (黒埼荘のみ温泉)強い塩湯でモール泉 加温、塩素、循環
開湯・ 800年前 平安時代からの伝説が八幡宮に残る
竣工・ 新しいので平成期が中心でしょう
構造・ 3、4軒の旅館は木造、鉄筋など(温泉は引いてません)
祭神・ 八幡様
外湯・ 市営のセンター系老人福祉施設「黒崎荘」があり、一般開放
料金・ 「黒埼荘」立ち寄りのみ 450円 10〜16時
市内の60歳以上は100円
社務所・ なし
最終訪問・ 2019.12 再訪
*新潟県・史跡
新潟市の西側、住宅街、田園地帯、新大などの文教地区を有する新潟市西区
海側は日本海に面しますが、こちらは内陸部の田園地帯に湧く塩湯です
かつての街道沿いを思わせる細い道沿いにある温泉街には緒立八幡宮があり、そこの敷地内に源泉井戸が今でも稼働しています
時を遡ること800年越後のダークヒーロー、黒鳥兵衛(くろとりひょうえ)という人物の伝説があります
平安時代のこと、源頼義に討たれた安倍貞任の残党・黒鳥兵衛は各地で仲間を増やしながら越後にやって来ます
越後では悪事を積み重ね、退治に来た朝廷の討伐軍もやっつけてしまったそうです
妖術を使う黒鳥兵衛に困り果てた朝廷は、島流しで佐渡にいた源義綱を呼び戻して兵衛の討伐にあたらせたそうです
とうとう兵衛を現在の新潟市南区・味方村のあたりの陣まで追い詰めましたが、泥が深い沼地のせいでお城に近づけませんでした
そこで、弥彦神社にお参りするとどこからか、つがいの鶴が小枝をくわえて飛んできて沼の上に数本落したと思うとその上を歩いて渡り行ったのにヒントを得て作ったのが「かんじき」だったそうです
鶴は弥彦の神様のお使いだったようです
かんじきの緒を立てたことからこのへんを緒立(おだて)と呼ぶ地名のもとになったとか
こうして攻められて討取られてしまった兵衛の首が飛んで落ちた辺りが今の黒鳥地区だそうです
最初は首と胴を別々に埋めていましたが、毎晩首の埋めてあるところから泣き声が聞こえてきます、、、 なので、一緒にして埋めたところに八幡神社を建てて供養したそうです
これが現在の八幡宮の由緒になるようですね
八幡宮には古そうな煉瓦の門があり、これも歴史の深い地区ということを感じさせます
首を塩漬けにして埋めたあとから温泉が湧いて緒立温泉になりましたが、塩漬けの首のせいかお湯がしょっぱいということだそうです
これが現在の緒立温泉の開湯伝説ですが、現在では湯を引いている施設はセンター系老人福祉施設の「黒崎荘」のみです
どうもここは個人的には苦手な施設系で行けていませんので、行かれた方の記事をどうぞ
湯は冷泉だそうなので、加温、循環、塩素で色はモール系の紅茶ぽい感じですべすべ系だそうです
同じ新潟市の田園に湧く、白根温泉もモール泉系で地下水ぽいので似てるかも知れません
温泉街というのかわかりませんが、この八幡宮や黒崎荘の間には3、4軒の木造、鉄筋含む割烹旅館や民宿が営業しています
残念ながら現在は旅館の方には温泉は引いていません
隣接する緒立公園には遺跡も残り、古くから人が生活していた場所のようです
今では新潟県内最大のショッピングセンターが隣接し、すっかり発展した地域で歴史深い様子は見受けられませんが、こういう歴史があったんだなあと勉強になりました
いつも通るたびに「緒立温泉」の看板が気になっていましたが、なんだ温泉は施設以外は引いてないのかあ
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★2016年12月 初訪問 「緒立八幡宮」「緒立温泉」
この神社には温泉の他に越後七不思議の伝説が残り、そちらも興味深いです
境内には石板が7つ点在しており、そこに一つ一つ漢文の説明書きが載っています
さすがにわかりませんので、訳したものを調べました
1. 矢竹のこと
黒鳥兵衛は死んだ後も憤りがひどく、人々に害を与えていました。
そこで義綱が、緋威の鎧、龍頭の甲の緒を締め、黒馬に乗り紅白の切り交えた采配を鎧の鐶に差し、八幡山に立ち、重藤の弓で稀の羽の矢を空に向かって放ちました。
矢は地面に落ち、たちまち枝葉が茂ったといいます。
これが俗に言う矢竹で、これにより黒鳥兵衛の祟りが治まったといいます。
2. 浮島のこと
この山は元来、島でどんな洪水にも沈むことがなかったといいます。
また、葦を地面に刺すとどこまでも刺さったと言われます。
3. 地面積のこと
山の上はわずか20間四方(1320平方メートル:現在でもほぼ同じ)で陣所に狭いということはなく、幾万の兵が集まることができました。
後に洪水が起きた時、村人が多数避難しても同様でした。
4. 兵衛の名を忌むこと
兵衛の名前をふざけて呼んだだけでも禍が訪れるとされました。
これは神の罰によるものとされ、そのため地名に「兵衛」と付く所がありません。
5. 胴鳴りのこと
兵衛の霊魂は一時は沈められたようですが、時を経ると(特に秋日風雨の前など)社の森の辺り、雲の中から雷が轟くような音がして周囲の村人たちを驚かせました。
(地元、黒鳥には聞こえないという)
これを胴鳴り(または、堂鳴り)といい、黒鳥兵衛の胴体が首を求めて鳴くと言われました。
6. 塩泉のこと
黒鳥兵衛の屍骸を塩漬けにして、石の棺に入れ神社の中に埋め榎を植えました。
その後、塩泉が湧き出しその塩辛さは海水のようでした。
7. 霊泉のこと
社殿入口の木の股の所に冷泉が湧き、四季に絶えることがなく、旅人が汲んでは万病に効いたといいます。
特に、傷、皮膚病に効能がありました。
広い境内には他にも戦時中にこの地区出身の戦争で亡くなった方を供養する供養碑があり、その前に置かれている狛犬はかなり削れていて歴史を感じます
右奥には鷲尾さんという方の2代にわたる胸像があり、この地区の有力者なのかなあと思われます
詳しいことは旅館の方など地元の方に聞けばわかりそうです
この神社で珍しいのは煉瓦塀が鳥居の前にあること、鳥居まで赤い橋を渡ることも特徴です
社殿の彫刻はお花で、かわいらしい印象なのが素敵な神社でした
ただ、すぐ隣がサッカー場で、土日は練習の声がけっこう響いてきました
それでも色々なものがありながら、落ち着きもあり、楽しむことのできる神社でした
御朱印は自分は集めていないので、ここはもらえるかどうかはわかりません
センター系が大丈夫な方は温泉と一緒に楽しまれてみては
八幡宮・温泉・七不思議好きの方にもオススメです(^^♪
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★2019年12月 再訪 「緒立遺跡」
昭和27年(1952)、緒立八幡宮社殿脇から1個の壺型土器が発見されました
このことがきっかけになり、緒立遺跡の存在が知られるようになりました
縄文から中世に至る複合遺跡で、それぞれの繁栄の様子を見せています
出土した多くの土器は、東北地方南部の系統で、縄文が施され、文様の様子も縄文末期のものと共通していたため、「縄文晩期の土器」とされていましたが、その後の研究で弥生前期の土器ということがわかりました
古墳時代前期のの葺石のある円墳は確認されているものとしては蒲原平野唯一であり、権力者の存在を感じさせます
また、奈良から平安時代については、大型倉庫と思われる堀立柱建物・井戸などの遺構や、サイコロ、瓦塔、和同開珎、祭祀具(人面墨書土器、木製品)などの遺物の発見によって官衙的性格をもった遺跡と推定され、800m東方の的場遺跡との関係が指摘されています
(新潟市役所のHPより)
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今回は遺跡がある、とのことでさっそく来てみました
3年前にも同じ12月に来ましたが、まだその頃は神社に行き始めたばかりの頃で何もわからない時期
そのときは遺跡の時代から、この場所が聖地だったとは気が付きませんでした
だって、現在の八幡宮の社殿の下に遺跡が埋まっているなんて
確かに社殿の下は何となく盛り上がっていて、円墳と言われればそうかもですが、ただの地面なので、わかりにくいです
昭和の時代まで気が付かれなかったとのことですが、境内からは温泉も涌くし、なんだか地下が色々面白そうな神社ですね
でも昭和の時代まで何も知らずに神社としてあがめていた場所、というのが不思議
境内の隣は遺跡公園になっていて、出土された壺のレプリカと説明があり、これも前回は気が付きませんでした、、、
当日も寒い日で日曜日でも人気がなく、境内は静かでしたが、近くのサッカー場の声は相変わらずでした
この近くにも「的場遺跡」というのがあり、ここ一帯が昔から人が居住していたんですね
同じ西区の内陸部の黒埼の方にも「新潟市埋蔵文化センター」があるので、そちらの方にもこの遺跡の出土品など資料がありそうですね
西蒲区の方にも前方後円墳遺跡があるとのことで、新潟市の遺跡ゾーンだと思いました
今後もそういうのを見に行ってみたいですが、見てもこんもりと土が盛ってあるだけで、よくわからないのが古墳なんだよなあ
古墳・歴史・八幡宮好きの方にもおススメです♪