3.11のあの日から変わったこと | 子ども達と自然に暮らそ!

子ども達と自然に暮らそ!

十和田で耳つぼジュエリーのおうちサロンをする傍ら、
子育てがラクに楽しくなるように、
自然食、自然療法などを取り入れながら、
子ども達との自然な暮らしを提案しています。

東日本大震災で多くの、

ほんとに多くの人の命が

津波に飲み込まれていってしまった

あの日。

 

ここ十和田では、

大きな被害もそれほどなく、

停電が数日あったのみでした。

 

あの日、子供たちは下校途中。

近くで工事してたおじさんに

大丈夫かと声をかけられながら帰宅。

私とおばあちゃんと末っ子は家の中で、

ただならぬ揺れに身を寄せ合っていました。

でもその時はまだ、

事の重大さがわかっていなくて、

停電になって、

いろんなことが電気がないことで

不便だと感じる程度で、

幸い水は出る。

 

それでも、

もと探検部。

電気がないぐらいでは

動じません。

調理もガスがあるし、

懐中電灯やランタンもある。

ストーブだけは、

灯油ストーブだけど、

電気でファンを回すタイプだから

使えなくって、

でも、太陽光パネルを

屋根に設置してたから、

日中はパネルのコンデンサーから

電気を持ってくることが出来たので、

オイルヒーターを使って部屋を暖め、

夜はみんなで

布団にくるまって過ごしました。

ご飯はもともと土鍋で炊いているので、

土鍋で炊いたご飯と、

汁ものと、

調理にはそれほど困りませんでした。

 

ちょっと困ったのは、

当時5か月の末っ子の

おしめ。

布おむつだったから、

冷たい水で洗って干してたけど、

この時ばかりは紙おむつを

買いに走りました。

 

震災の起きた夜、

アフタフバーバンの北島さんが

たまたま講演で来ていて、

十和田のホテルに泊まっていたけど

体育館に避難しなければ

ならなくなったからと、

それならうちに来てもらえばと、

うちに泊まってもらいました。

 

いつもはしゃべりの楽しい北島さんですが、

この日ばかりは

あちこちにいる仲間の安否を確認したり、

安否が確認できない人もいたりして、

神妙な面持ちで、

不安な一夜を明かしました。

 

その2日後、電気が通るようになって、

電気のありがたみを痛感。

普通に電気が使えるって、

ありがたいと思いつつ、

テレビをつけると、

あの、津波のニュース。

愕然としました。

そして、続く原発のニュース。

これは大変なことが起きたんだと、

改めて感じました。

 

それからは、

こうしてはいられないと、

仲間と反原発運動をしていく中で、

もりもりAOMORIという団体を結成、

放射能の勉強会や、

原発問題を描いた

映画の上映会を開催したり、

子どもたちを守るために

どうしたらいいかを勉強したり、

これから何を子ども達に食べさせたらいいか、

どんな食べ物を避けたらいいか、

そんなことをたくさんの人たちに

知ってほしくて、

もりもり通信という通信を出しました。

不安と原発に対する怒りとが

渦巻いていたあの頃。

 

「六ケ所ラプソディ」

「セヴァンの地球のなおし方」

「ミツバチの羽音と地球の回転」

「内部被ばくを生き抜く」

そんな映画の上映、

小出裕章さんの講演会、

同時に、反原発デモに参加。

金曜行動といって、

毎週金曜の夕方、

市内を「原発反対!」

「再稼働やめろ」

と言いながら商店街を歩く。

1歳になったばかりの息子を連れて。

 

とにかく、これから生きる

子どもたちを守るために、

何もせずにはいられなかった。

 

二年ほど、

そうした活動をしたけれど、

あるときふと気がついた。

2歳になった息子が

デモの後に

「げんぱちゅはんたい!」

と、無邪気に歌うように口づさみ、

イスでぴょんぴょん跳ねている。

 

何か違う。

その時感じた違和感。

 

そうだ、

私が、私たちが子ども達に残したいのは

不安や怒りだらけの世界じゃない。

この世界は美しい世界で、

あなたのすむ世界は

優しさと愛にあふれているんだ

ということだったはず。

誰かを批判して、非難して、

世の中の不条理に憂うる

そんな姿を、

これ以上子供に見せてはいけない。

そう思った。

 

そして、

私は、違うやり方で

子ども達を幸せにしていこう。

そう心に決めた。

 

もっと子供たちが

愛であふれた世界を

体感できるようにしよう。

 

そのためには、

私から発信するのは、

幸せになることだけ、

いいことだけ発信していこう。

 

もっと、お母さんが

自分の手で子どもを健康にすることに

関心をもって、

それぞれの家庭で子どもを守れるように、

役立つ情報を発信していこう。

 

そう意識が切り替わったとき、

私に夢が生まれました。

 

「子ども達が幸せな世界をつくる」

 

それが私の、

私たち夫婦の

大きな夢。

 

だから、

自分の子ども、

近所の子ども、

学校の子ども、

地域の子ども、

青森県内の子ども、

と、だんだんに枠を広げつつ

活動してきました。

 

Happy Childrenとして、

夫婦での自然体験やプレーパークの活動、

子ども達を幸せにしたい仲間と出会い、

プレーパークは、

青森のNPO「サポートこもも」の力もあって、

大きく広がりを見せています。

 

あの日から変わったのは、

私のスタンス。

大事なものを守りたいというのは

変わらぬ思いなんだけど、

フォーカスするところを変えた。

より、愛あふれる幸せな世界になるようにと。

 

原発問題も、放射能も、

問題はなにも変わっていないのだけど、

怒りと不安で過ごす4年より、

愛と幸せを感じて過ごす4年を

私は選んだ。

どうやって過ごしても、

問題は変わらない。

でも、

4年前より、

明らかに、

私の周りには

家族の健康を

自分で守ろうとする人が増えたと思う。

 

最後に、

多くの命が失われたあの日。

何でもない日常がどれほど大切だったか

思い知らされたあの日。

卒業式を目前に

亡くなった

たくさんの若い命。

きょう卒業を迎える

中学生の皆さんに、

その親御さんに、

これから子ども達を

未来に送りだす人たちに

この詩を皆さんに贈ります。

 

「最後だと分かっていたなら」

 

あなたが眠りにつくのを見るのが

最後だとわかっていたら

わたしは もっとちゃんとカバーをかけて

 神様にその魂を守ってくださるように

祈っただろう

 

あなたがドアを出て行くのを見るのが

最後だとわかっていたら

わたしは あなたを抱きしめて 

キスをして 

そしてまたもう一度呼び寄せて 抱

きしめただろう

 

あなたが喜びに満ちた声を

あげるのを聞くのが

最後だとわかっていたら

わたしは 

その一部始終をビデオにとって

 毎日繰り返し見ただろう

 

あなたは言わなくても

分かってくれていたかもしれないけれど

最後だとわかっていたら

一言だけでもいい・・・

「あなたを愛してる」と 

わたしは伝えただろう

 

たしかにいつも明日はやってくる

でももしそれがわたしの勘違いで 

今日ですべてが終わるのだとしたら

わたしは 今日 

どんなにあなたを愛しているか伝えたい

 

そして わたしたちは 

忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも

明日は誰にも

約束されていないのだということを

 

愛する人を抱きしめられるのは 

今日が最後になるかもしれないことを

 

明日が来るのを待っているなら

 今日でもいいはず

 

もし明日が来ないとしたら

 あなたは今日を後悔するだろうから

 

微笑みや抱擁やキスをするための 

ほんのちょっとの時間を

どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に

 その人の最後の願いとなってしまったことを 

どうしてしてあげられなかったのかと

 

だから今日 

あなたの大切な人たちを

しっかりと抱きしめよう

 

そして その人を愛していること

いつでも いつまでも

大切な存在だということを 

そっと伝えよう

 

「ごめんね」や「許してね」や

「ありがとう」や「気にしないで」を

伝えるときを持とう

 

そうすれば 

もし明日が来ないとしても 

あなたは今日を後悔しないだろうから

 

どうか、

この世界が、

子ども達にとって幸せな世界でありますように。