自分自身の無知が痛いほどわかる。

女性なら誰しもとまでは考えてないですが・・・。


言葉を濁すのは

自分自身が当たり前に傲慢な考え方が

どこかにあったからだと思う。

授かるという言葉に・・


婦人科に毎回とまでは一緒に行けなくて、

主人と交代で病院へと送り迎えの日々。

診療途中で気分が悪くなれば

休憩室をお借りして横にさせて貰ったりと

ありがたかった病院での対応。


けど、中々、大きくならないのは

抗がん剤が邪魔しているようだったみたいだ。


結構な時間と日々が立った頃でした。


「ん・・・注射はこれで終わりです。

また、3日後に来ていただいて判断をしたいと思います。

大きくなってなければ今回は中止にしようと思います。」

「・・・・・・」


張り詰めた空気の中で

この時、娘はいたたまれなかったんじゃないかと

感じました。

帰る車の中では無言。

しゃべる気力もない感じ。

無理に励ますよりもそっとしていたほうが

いいんじゃないかと思えた。


3日後。

その日の予報は線状降水帯が

まともにやってくる予報に

行けなくなっては困ると

婦人科の近くのホテルに前乗り。

この日はどうしても仕事を休めなくて

主人に行ってもらった。

どちらにしても血液検査と

エコーを撮るだけだからだ。


そして、そこから、また、2日後に病院へ行き、

結果を娘と二人で聞いた。


「残念ですが今回は採取出来ません。」

「そうですか・・。」

「小さい卵が見えてはいるんですが

大きくなってくれないのはやはりがん治療の

クスリが大きく関係しているようです。」

「・・・・・」

「でも、まずは生きることの方が大切です。」


はっとしました。

確かにそうだ。


「今の病気を治してからでも遅くありません。」

「・・・・・・」

「まずは治療を優先してください。」

「・・・・・・・・」

「負けないでください。」


強い言葉に我を取り戻した気持ちでした。

泣くものか!!

まずは娘が癌に打ち勝つことこそが

次のステップに行けるんだからと。

横を向けば俯いていた娘。


立ち上がりお礼を言って

診察室を出た。

支払いをするために順番を待っていれば

一番最初に説明をしてくださった看護師さんが来てくれ、

娘に励ましの言葉を掛けてくれました。

治療が終わったらまた来るようにも言われ

涙ぐんでいた娘。


本当に感謝でした。


そして帰りの車の中で娘が言った一言が

胸を突いて今も心に残っています。


「お守りで持っていたかっただけなのにな・・

 

やらなきゃよかった・・・・」


と・・・。

それすらも自分にはと・・・

 

もしかしてそう言いたかったのかわかりませんが、

 

何も言えないまま車の中は静かでした。

 

安易な気持ちで受けた治療ではなかったのですが

 

暗闇に突き落とされたような感覚に、

 

色んなところが悲鳴を上げなければなと思いました。



家に帰りその治療の終わりを担当医の先生に連絡をすれば

4日後に再入院をするように告げられた。


最後の治療。

私たちにわかるように説明してくれたあの件。

(まあ幼児クラスの頭ですから・・。)

大量の抗がん剤治療の後に

自分の血で採った自家造血幹細胞移植。



もう・・何のことやらでございますがね・・。

移植って人から貰うものばかりかと思っていた私。

それって本当に好意で成り立っているものだから

やってくださる方もいらっしゃれば

たとえ見つかったとしても、

 

途中でやりたくないという方もいらっしゃる。

いやはや、まず、見つからない確率の方が

高いかもしれないかも・・・


当たり前に考えればこちらの都合。

型と称するものが一致するだけで

実費で入院して仕事も休んで痛い思いもしてと

リスクがある事ばかりなのに

強制なんかできませんよね・・。

 

 

でも・・

 

それでも人の気持ちを信じたいです。

 

いえ、信じています!!

 

すみません、勝手な言い分で・・・


兄弟でも4人いて1人一致すればいい方だという。

それでも先生はバンクに登録の手続きをしてくれたり

3人姉弟なので弟2人の型を調べる手続きまで・・。

 

遠く離れていたのでどうするのかと思えば

 

唾液でできるとか・・・。

 

本当に、今の医学は凄いの一言です。



退院する前に取ってたらしい血液。


娘が取れた造血幹細胞は自分の血から

その成分だけを採取するのですが

他の人よりも少ないみたいでした。


でも、先生曰く、


「他の人は一回投与する分の3~5倍ほど

 

それを採取するんですが

○○さんは1・5倍しか採取できなくて。

なので、これを一気に流し込みます。」

「・・・・・・・」

 

 

おいおい、娘よ!!

 

娘と先生が話した内容を私の頭でもわかるように

 

説明してくれたんだとは思うけど・・・

ん~~~??

 

どういう事?


大丈夫なのか?先生・・・

まあ、大丈夫なんだろうな・・・。

聞いていて元気にさせていただくような

それでいてオタク性質のような先生だ。

また、お話したいものだ・・。

今度はたぶん退院の時だろうけどね・・。


父が悪性リンパ腫で亡くなり、22年。


「日々、医療は進歩しています。

今日まで、治す薬がなかった病気でも明日は

 

治す薬が出来ている事もあるのが医学です。」



と、随分、昔ですがその時のお医者様が

そう言ってらっしゃったのを覚えています。



言葉に語弊があるとは思いますが、

たくさんの犠牲があってそれでも屈することなく

先生方が日々、研究して治療法を

確立していただいているおかげだと思います。

頭の下がる思いでいっぱいです。






「あら?もしかして明後日、台風?」


入院準備をしながら天気予報を

見てみればしっかりと

こちらに向かってる台風の目。


「マジか?」

「マジだね・・。」

「こりゃ・・直撃か?」

「直撃コースだね。」

「病院に連絡して、その次の日じゃダメなのか聞いて。」

「わかった。」


少し気持ちの切り替えをしてくれた様子の娘。

 

いそいそと連絡をする娘のそばで

少しでもそれてくれればいいのだけれどと

雨が降っていた窓の外を見ていました。