宮内庁OBを自称する小内誠一による、主に 上皇后陛下や秋篠宮ご一家に対する誹謗中傷が注目を集めていますが、
同じ『事件』に関しても、記事によって小内自身の立ち位置がコロコロ変わっている(※ある記事では「見た」が、次に書かれた内容では「聞いた」に変わっている)などの矛盾が指摘されていました。

 加えて、政府機関(※内閣府設置法48条に基づく)である宮内庁の人事権が、政治的権能を有しておられない皇族の意向によって左右されるなどといった、元公務員らしからぬ支離滅裂な主張からも、いちいち相手にするのもバカらしくなるほどであります。

 これは明らかに「消防署の方から来た」と言って、消化器や火災報知器を売りつける詐欺師と共通する騙りの一種であり、
皇室に対する名誉毀損に加え、宮内庁に対する信用毀損、偽計業務妨害の疑いもある極めて悪質なものであります。

 そして、過去の記事の多くは閲覧出来ないようになっていますが、確認できる記事の中には、
上皇后陛下と秋篠宮妃殿下が直々に、GoogleやYahoo!に圧力を加え、自分のブログが妨害されているという被害妄想じみた主張までなされる始末。




紀子さまと美智子さまの圧力…これが「皇室ブログ」の現実 – 皇室掲示板(旧、皇室「是々非々」自録)



「頭、大丈夫ですか!?」

 宮内庁の人事権に加え、いよいよ外資系の大企業まで美智子さまと紀子さまの配下にあるとは、もうホンマよう言いませんわ。






皇室ブログ 理非曲直 – 元宮内庁職員・小内誠一のつぶやき
https://imperatoria.info/

結局、それまでの『皇室「是々非々」辞録』の更新は停止され、今は『皇室ブログ 理非曲直』に活動の場を移しているようです。

しかし、、、

その熱意を、もっとマトモな方向へ向けられないものだろうか?




美智子さまは「今もキリスト教徒」 御所の地下に「秘密の礼拝所」 – 皇室ブログ 理非曲直
https://imperatoria.info/archives/2901

美智子さまはクリスチャン家庭に育ち、大学のキリスト教系の大学を卒業された。もちろん美智子さまも皇室に入られる前まではキリスト教徒であった。皇太子妃、皇后となられてから後に、どのような信仰をお持ちであったのか、度々議論になる。だが間近で見てきた者として、美智子さまは今も筋金入りのクリスチャンにしか見えないのである。その逸話を紹介したい。

美智子さまと信仰

美智子さまは昔も今もクリスチャンだ。それがこの記事で言いたい結論だ。結婚したというだけでそうそうに心まで改宗できるものでもない。今でもカラオケで歌うのはキリスト教の「聖歌」である。

買われるCDも、クラシックの宗教音楽が多い。お気に入りは、アヴェ・マリアであり、1年に5,6枚は買わているように記憶している。公務で能や雅楽を鑑賞される機会が多いが、それらのCDを購入されたことは私の知る限り一度もない。もちろん頼まずとも演奏家から能や雅楽のCDが送られてくるのだが、それらは開封されることなく地下倉庫行きとなる。

女官たちと合唱団を結成し、内内のパーティで讃美歌を披露されたこともある(1998年夏のこと、曲名は失念してしまった…)。皇室に入られてから、昭和天皇がご存命の間は、信仰を発露する術が限られていたので、女帝となってからその本領が発露されたように思う。思えば昭和の時代に「美智子さまのキリスト教信仰に昭和天皇が苦言を呈された」という報道が流れることがあり、その火消しに宮内庁は必死になったが、この必死さが逆に情報の真実性を力強く裏付けてしまったというのは皮肉でしかない。

ところで香淳皇后が亡くなられたとき、美智子さまはモーツァルトの「レクイエム」ディエス・イラ(怒りの日)を繰り返し掛けられていた。いろいろな想いがあったのであろう。(余談だが、美智子さまのお気に入りはカール・ベーム1971年録音版だ)

皇居は教会?

こんな逸話に欠かない美智子さまとキリスト教の関係。住まわれていた御所は、キリスト教の教会がイメージされていると噂されたが、「さもありない」というところだ。この御所の設計に美智子さまはあれこれ口を挟まれていた。

また、御所の中に礼拝室があったのではないかと噂が流れているが、実際そのような部屋がある。御所の西側は私室となっているが、そのなかでも北側の地下部分は完全プライベート区域となっており、年に一度女官が入れるかどうかというレベルだ。

だが、御代替わりに伴い御所(現、仙洞御所)から引っ越す必要が生じ、荷物の目録をつくるためにこのプライベート区域にも職員が入る必要が生じた。しかし、美智子さまはこれを執拗に拒んだ。その理由は簡単だ、ある一室の隅にキリスト教関連の書籍や十字架などが地下室に山と積み上げられ、さならがカテドラル(聖堂)のようになっていたのだ。

美智子さま曰く「独身時代に荷物をここに置いてままで、散らかってるの」だそうであるが果たして――。少なくとも私には秘密の礼拝室にしか見えなかった。

本地垂迹を熱心に勉強されていた美智子さま

私が美智子さまが未だキリスト教の信仰を捨てていないと確信する理由は、皇后となられてから「本地垂迹」(ほんじすいしゃく)の理論を大変熱心に勉強しており、ビックリするような発言をされていたからだ。

本地垂迹とは、「日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考え」(Wikipediaより引用)のことである。

つまり「天照大御神=大日如来」なとど解釈することによって、神道と仏教が矛盾なく共存できるようにした理論だ。外来宗教である仏教が布教先の現地宗教と混淆するにあたって、7世紀ごろの宗教家たちが考え出したものとして知られる。このような考え方が広く浸透したので、日本では長らく神道と仏教が併存できたのである。

美智子さまはこの「本地垂迹」を、とある「ご進講」で知られるや、これに大変な興味を持たれたようだ。「ご進講」に呼ばれた講師は、その後、お茶会に招かれるのが通例である。そのお茶会の場で、美智子さまはその講師に「本地垂迹は現代でもあるのでしょうか? たとえば神道とキリスト教との融和はどのようになっていますか?」と聞かれた。その講師(有名な歴史学者)は「そのような試みもございます。宗教多元主義的な考えでございまして、宗教は様々に存在するがそれぞれの宗教が持つ意味は同じであるというような理解がございます」と。美智子さまはさらに「その場合、キリストと天皇の関係はどうなるのでしょうか?」と問われ、講師は「天皇はキリストであるという考え方もございます」と回答すると、美智子さまは大変満足げに「では、キリストに祈るということは、実は天皇に祈ることと同じなのですね」と総括された。この総括に歴史学者は「そのような考え方もございます」とだけ答えた。

キリストに祈ることは、天皇に祈ることだからOK理論

私はこのお茶会の会話を傍らで聞いていて冷や汗が出た。というのも、美智子さまのキリスト教好きを知っていたからだ。

その数か月後、美智子さまは御所内での内輪のパーティで聖歌を披露されると「讃美歌を捧げることは、日本の神々や天皇に祈ることと同じなのよ」と仰った。

それからというのもの美智子さまは堂々と人前で讃美歌を披露されるようになった。そのような美智子さまの姿を拝して、私は言い知れぬ不安がこみ上げ来たのを覚えている。

そして、私の危惧は現実のものとなった。

美智子さまは地下室にカテドラル(聖堂)をつくっておいでだったのだ。 美智子さまのキリスト教信仰は今もない続いていると確信している。


 宮内庁OBとはいえ、部外者がなぜ、皇居内にある吹上仙洞御所の内装を見てきたかのように語れるのだろうか?

 皇后陛下(※当時)身の周りのお世話をする女官しか出入りのない『聖域』じゃなかったのか?

 小内、お前は変質者なのか? 



 どうせ、また削除するだろうな(笑)。