身上さとしの注意

身上事情を諭す時、
ルール(因)を明確に理解していなければ、
心(縁)と身上事情(結果)だけに捕らわれてしまい、その結果、相手の心使いが悪いと責め、反省を促し、却って喜べない状況に追い込んでしまいます。
相手を救けようとして諭しているのに、相手の苦しみを更に助長し追い詰める愚行は避けたいものですね。

  • 親に従わず逆らうから腎臓を病む
  • 親、上級の態度を見て不足するから目を病む
  • 理の運び方(お供え)が悪いから足を病む・・・などなど

正しい『いんねん』、正しい『たんのう』を諭せるように、
神様が定めたルール(因)をしっかりと理解して、相手を十分満足、十分堪能させてあげてください。
それが本当のお救けです。

最後に少し寄り道します。

理の仕込み

もしかしたら疑問に感じている方もいるかも知れないので補足します。

『いんねん』 = 因縁 ?

何故、神様は仏教用語を流用したのでしょうか?
教祖の教えは仏教に影響を受けたものなのでしょうか?

教祖は月日の社です。
つまり教祖の言葉は、元の神、実の神、月日親神様の言葉。
人間世界を創造した因(もと)の心を表した言葉です。
もし、教祖が仏教から影響を受けたなら、神様が仏教から影響を受けたということになり、神様より仏教の方が因(もと)・・・?
という訳の分からない状況になってしまいます。

この世に初めて神様が現れたのが天保九年十月二十三日。
この日、人類史上初めて神様の言葉が降されました。
この時、もし全く理解できない未知の言語を神様が使用したら?
人間に理解させることは非常に困難になります。
計画的に人間創造を進めてきた神様がそんなミスをするわけがありません。
初めて聞く神様の言葉をすんなり聞けるように、知恵の仕込み文字の仕込みをして、下準備を整えてきたのです。
仏教の教義として意味を精査せいさし、一般的な用語としても広く認知されたからこそ、神様から『いんねん』と聞いた時、大凡おおよその意味をみ取ることが出来るわけのです。

しかし『いんねん』と「因縁」の意味は似て非なるもの。

神様が『いんねん』と諭す時、
その言葉は人類が初めて聞く『神語』として語られるのです。
私達が認知している「因縁」の意味を超えた、深い神様の思惑が込められてた『神語』なのです。

『いんねん』だけではありません。
神様の使う言葉には、全て神様の深い思惑が込められており、『神語』として常識に囚われず、襟を正して耳を傾けなければ、神意を見失う危険をはらんでいます。

深い神様の思惑・・・
この世を遍く支配するルール(理)を諭す『神語』は、それ故に 理の仕込み と言われています。

 

以上に、寿限無の怪しい天理教用語解説を、示しておいた。

これは、悪である。

 

筆先には、元を仕込みたいとある。が、寿限無は、枝先を説くだけで、しかも怪しい。
みきに、呪詛する。