昨日のお話。
何かの話の流れで、
学生の時の成績の話になった。
コウは私が行った高校よりも偏差値の高い高校を卒業している。
私はと言えば、高校は推薦で行ったため他の高校は受けてない。
けれど高慢なのを承知で言うと、
受験をすれば県下一の進学校に恐らく受かっただろうと思っている。
(あくまで自己分析でしかないですけどね)
「たられば」だから思ってはいてもそうそう口には出さないけど。
私は自分の選んできたこの道を、
一ミリも後悔したこともないし、
むしろ過去は私にとって財産だと思ってる。
私くらいの人生のフィールド上では、
学歴って正直あんまり意味がなかったのよね。
周りにいた高学歴の人も、学歴コンプレックスを持ってる人も、
同じところで働いているわけだし、
出世に影響している感じも全く受けなかった。
実力次第、って感じだったから。
今は違うのかもしれないし、
自分が主となって社会進出したい人にとっては、
とても頼りになる肩書なのだと思うけどね。
少なくとも私が生きてきた人生では学歴は特に必要なかった。
信じてないと思うけど私さー、
本当にマジで中学んとき成績良かったんだよ。
マンモス中学でMAXの時トップ10に入ってたんだから。
頭良くないなんて思ってないよ。
けど、意欲がないからな。
意欲と頭の良さと何の関係あるの。
意欲は必須だよ。
どんなに頭良くても、
意欲がないと活きない。
ただのプレーヤーで終わり。
はぁ?
失礼だな。
頭の良さは認めてるよ。
でも「それなり」までしかいかないでしょ。
すぐにもーいいやってなる。
確かに、その自覚はある。
器用貧乏という言葉がありますね。
わたしはそれだと思います。
大抵のことがそれなりまではできる。
勉強にしろスポーツにしろ、
それ以外の細かいいろいろにしろ。
仕事でもそうだった。
オールラウンダーと言えば聞こえはいいけれど、
興味と執着がないから長く深く頑張れない。
物事だけではない。
人間に対してもそうだ。
愛着がなかなかわかない。
仲良くしようとしてくれる人に対して、
嬉しいし有難いとは思うのだけど、
ある一定の距離を超えられると非常に言葉は悪いのを承知で言うと、
面倒くさいという気持ちの方が圧倒的に強くなる。
それはきっと私が表面上の付き合いというものが非常に苦手だからだ。
自分をさらけ出せない状態のまま長時間過ごすのは、
とてもしんどい。
逆に言えばこのダメな私を知ってくれている人、
所謂私が心を許している人に対しては、
興味も深いし、何でも知りたい。
理解したい、教えてほしい、と思う。
そして私は何より日々の生活に安定を求めている。
数々の些細なことで心を煩わされるのは嫌だ。
つまるところ、私はまじめすぎるくらいまじめなのだ。
(これは短所的な意味合いで。)
心配性だし、
まぁいいやという鷹揚さがない。
ルーティン通りにいかないと心がざわつくし、
落ち着かない。
それってとても面倒くさい。
最近気づいたのだけれど、
実は小さなストレスに弱い。
もやもやと小さなことを思い悩む。
解決するまで打開策を考え続ける。
解決できないあいまいな問題を抱えるのは大嫌いだ。
それもとても面倒くさい。
「面倒くさい」のモードが発動すると、
全てが嫌になってしまう。
で、話を元に戻すと。
やっぱり私はプレーヤーなのだ。
自分一人ですらめいっぱいなのに、
全体を「見る」なんてできるわけがない。
そしてコウは時々レンにこう言う。
ママはマネジメントはできないけど、
パーソナルスキルは高いから言うこと聞いといたほうがいいぞ。
私はそれを聞いて苦笑する。
私の短所をここまで何も言わずとも把握してるのは、
この人だけだ。
私のこと、やっぱよくわかってるわ。
自分が思う自己分析と、
彼が思っている私。
そこの差異が少ないことがまた、私の心の安定を作っている。