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なんだか気持ちの乱高下が激しい。

昨日は、姉を論破出来た嬉しさに小躍りしたいくらいハイだったのに、

夜は今までで一番と思うようなひどい頭痛に襲われた。

で今日はなんだか落ちこんでいる。

 

 

 

 

結局あの電話で姉は

 

『朋子の気持ちを考えたいと思わない。

母と姉の気持ちを尊重しなくなった朋子とは もう話もしたくない』

と言ったのだ。

昔も今もやっぱり、所詮私は母と姉の感情のゴミ箱でしかない。

姉から 「ゴミ箱として使えないならもういらない」 と言われたように私は感じている。

 

 

 

 

姉は昔から、姉だけの理屈を使って 私の話しを突き放してきた。

私は姉からの理不尽に、母にしたように突っ込んだりしなかった。

私が姉を諦めて 口をつぐんでいたから。 

でも父が死んで、私が口をきき始めたら 途端に姉は私と距離を置きだした。

昔も今も 母と姉から捨てられまくってるのは私の方だ。

 

 

 

 

 

 

 

そして、昨日書いた④の中で、

簡単に書いてすませていたけど、実はすごく拘っていたことがあった事に気が付いた。。

そこをじっくり吐き出してみようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

『母と姉は 何か問題が起きた時、「朋子がおかしい」 とする事で

「私達(母と姉)は、まともな人間」 と思う事が出来て、

だから2人は幸せそうにしていられる』

…これをすごく長い間 私は感じて生きていた。

小学生の頃から21歳でNZの留学から帰ってくるまでずっと。ずっとそこが苦しかった。

 

 

 

 

 

姉自身が小学生から大学生だった頃まで、

姉には友達がたくさんいたと思う。

休みの日もしょっちゅう友達と出かけていた。

 

 

 

 

 

一方私は、いつも人間関係に悩んでいて、

休みの日に友達に遊びに誘われることも無く いつも家にいた。

同じ母親に育てられているのに、

ちゃんと友達と上手くやれている姉がすごく羨ましかった。

 

 

 

 

 

そんな私を 姉はいつもバカにしていた。

「朋子は怒りん坊だから 友達がいないんでしょ」 とか

「朋子はおかしいもんね。そりゃあ友達もいないだろうね」 

「じゃあその性格 治せばいいのに」 という圧がすごかった。

姉からのそんな哀れみも含んだバカのされ方に、何度も悔しい思いをした。

 

 

 

 

私も、姉の様に友達と遊びに行けたらどんなに良いか。

姉は普通の人生を送れているけど、私は何かが違う。

姉の様に人生を過ごせない自分が、本当にイヤだった。大嫌いだった。

 

 

 

 

 

 

でも。

私はその頃にはとっくに精神的に身動きできなくなっていた。

私を精神体に身動きできなくしたのは 姉と母だ。

自分たちの汚い感情を私のせいにして、自分たちは楽をしていた。

 

 

 

 

 

母のおかしさを 姉も知っているはずなのに、

姉は母と一緒になって 私をおかしいと言い続ける。

そうすることで 母からもらう苦しみを和らげている。

私にだけは姉のそんなズルが見える。

 

 

 

 

でも私が子どもの頃から感じていた、

「母と姉に追い詰められているせいで 私は自分の人生を楽しむ努力ができない」

この私の言い分が おそろしく間違っていることも当時から分かってしまっていた。

友達が私を誘ってこないのは、私のせいだ。

姉や母のせいではない。

だから姉に対して恨みを持つのは間違いだ。

 

 

 

 

でもでも。

姉と母のせいで もう身動きが取れなくなっているのも

私にとってだけは 正しい事実だ。この真逆の思考に苦しんだ。

 

 

 

 

 

姉と母が 「朋子はおかしいわ~」 と教えてくれた。

「朋子がおかしい」 と私に言い続けてくれたせいで私は動けない。

実際に人間関係がうまくいかないことが、

「私がおかしい」 という事を裏付けた。

私にはどこにも逃げ場が無かった。

 

 

 

 

 

その当時、母に責められて、気持ちのやり場が無くて、

この訳の分からない気持ちを発散するために、「誰かを苛めたい」

何度かそう思った。

姉もそうだったと思う。

母のせいで起きる 訳の分からない気持ちを持ちながら生きるのはとてもしんどい。

だから姉は私に八つ当たりしている。

姉のその気持ち 私にはよくわかる。

 

 

続く